悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (167)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その五十二

芝生広場駐車場の西側隅に設けられているトイレは、比較的新しくきれいな建物で、正面の入口を右側に入れば男性用、左側に入れば女性用と、中は二つに仕切られていた。
スマートフォンを手に入口の手前で立ち止まり、聞き耳を立てていたぼくは、着信音の『グノシエンヌ』のメロディーがどうやら右側男性用のスペース内で反響し続けていることを知った。

ディスプレーに表示されている『セナ』の文字通りに、高木セナが携帯しているスマホを呼び出していると考えていたぼくは、正直戸惑った。想像だにしない『不測の事態』が混在している可能性を考えた。呼び出しているスマホは、今は高木セナの手の中にないのかも知れない。誰か別の‥‥‥‥‥
ぼくは心の中で高木セナの身を案じ、無事でいてくれることを強く願わずにはいられなかった。
するとその時、手元のスマホで続いていたコールが自動音声のメッセージに切り替わり、明らかにそれに呼応して、男性用トイレ内に響いていた着信音が途切れた。

一歩‥ 二歩‥ 三歩‥‥  ぼくは息を殺し、男性用トイレ内に侵入した。
中は、ひんやりしていた。入ってすぐの所に鏡と洗面台があった。右の壁伝いにはどっしりとした小用の便器が二つ並んでいて、奥には個室が一つと鍵のかかった用具入れがあった。
人影は見当たらなかったが、個室のトビラがピタリと閉まっている。
ぼくは、しばらくの間、動かなかった。おそらく個室のトビラの向こう側に潜んでいるであろう何者かの気配を、何とか感じ取ろうとしていたのだ‥‥‥‥

ぼくは個室のトビラに視線を据えたまま、右手に持つスマホの上で親指だけを動かした。リダイヤルしたのだ。

僅かなタイムラグがあってその後(のち)、個室の中から十分(じゅうぶん)な音量で『グノシエンヌ』が流れ出し始めた。 そしてそれとほぼ同時に、ガタンと肘か何かが個室の壁を打ちつける音がして、さらに「またか!また始まった! 早く音消せってば、お前んだろ!」「だから、知らないってば!勝手にリュックの中に入ってただけで、こんなの私んのじゃないもの! 操作なんてできないよう!」と、精一杯声を殺そうとして、まったく殺しきれてない会話が聞こえて来た。

ぼくは、ほっと安心の吐息をついた。その声の主(ぬし)たちに心当たりがあったのだ。一人は当然 高木セナで、もう一人の方は タスクに違いなかった。
「二人とも‥、出て来いよ。ぼくだ、ヒカリだ‥‥」

キーイィー ー ー
個室のトビラがゆっくりと開いた。そして‥‥ 閉じられた便座のふたの上に座り込んで、全身傷だらけな上に痛そうに右足を両手で抱え込んでいるタスクと‥‥ 汗びっしょりで泣きそうな顔をして、今にも手にしているスマホを床に放り出してしまいそうな高木セナが‥‥‥ ぼくの方を見ていた。

次回へ続く

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