第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その百十八
ぼくは、この遠足に来られて嬉しかった。‥‥嬉しかったんだ。
自分が、いろんな事から解放される気がした。遠足に来てる間だけでも、のんびり羽を伸ばせるんだと思った。
ソラが死んでからというもの、その余りにも重たい現実に押しつぶされそうな毎日を送って来た。
幾度、何もかもをやり直せたらと思ったか、知れなかった。
この遠足は、そんな自分を、遠足に来ている間だけでも解放してくれたのだ。
きっと‥‥ 生前のソラと‥ベッドの横で交わした冗談めかした約束が、叶(かな)えられたに違いない。
ぼくと妻のセナと、小学校へ上がる前の幼いソラと、そして気の知れた周りの大人達とみんなで、小学校の同級生として、遠足に行くという約束‥‥‥‥
奇跡が起きて、その約束が叶(かな)えられたのだ。だから、ツジウラ ソノは ソラ なのだ。ツジウラ ソノは、ソラでなくてはならないのだ。
セナは半信半疑のようだし、ぼくも、確かめる必要があると‥話を合わせて上辺は装っているが、本当はすでに固く信じている。なぜなら、遠足に来たおかげで解放されたか、あるいは徐々に解放されつつあるぼくの心が、ツジウラ ソノが ソラである ことを強く語りかけて来るからだ‥‥‥‥‥‥
ぼくはこの先の行動が、解放されてきた心が指し示す方向へと、自(おの)ずと導かれて行くであろうことを予感している。
「今いるこの場所が、本当の巨大迷路廃墟ではなくて‥‥、たとえ『ヒトデナシ』が用意した罠が待ち構える空間だとしても、ぼく達は前に進むしかないんだと‥‥思う」
ぼくは、セナの目線を避けるように辺りを見回しながら、ゆっくりと言った。
「ぼく達はもう、飛び込んでしまったんだよ‥‥‥」
「‥‥‥そう‥ね」 セナは、辛(かろ)うじてといった感じで返事を寄越した。
「行きましょうか‥」
「ああ‥」
セナは手を繋ごうと、右手をぼくに差し出した。ぼくも自分の左手を出して、彼女の右手に合わせ、受け止めた。
ぎゅうっ‥ッ
受け止めたセナの手に、思わぬ力が込められた。ぼくの手を力一杯握ったのだ。
「えっ?」 ぼくは驚いて咄嗟(とっさ)に顔を上げ、セナの顔を直視した。直視してしまった。
それは、彼女の仕掛けたちょっとした罠だったのかも知れなかった。
ぼくとセナの、目と目が合った。彼女はそれ以上ない、真剣な眼差しをしていた。
「ヒカリさん!正直に言って! 私に何か、隠していることはない?」
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥」 ぼくは、黙り込んだ。黙り込んだままでいた。
「だったら質問を変えるわ! ヒカリさん! 私が芝生広場に着いてから見た‥夢の話は覚えてる?」
「‥‥‥‥‥ あぁ」 ぼくは、消え入りそうな声で言った。
セナは容赦なく、続けた。
「車内の床やシートが血まみれになった送迎バス。その運転手が大人のヒカリさんだったことに、今は何か心当たりが‥ ある?」
次回へ続く