悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (289)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その百七十四

そもそも‥‥ 自分の心の真ん中に『ソラの空白』が育っていったのは、娘のソラをもうこれ以上失いたくない という強い気持ちからだった‥‥‥

娘を失って、その言い知れぬ悲しみの中でぼくが痛いほど感じたのは、どうあがいても取り返しがつくことのない『完全なる喪失感』だった。
昨日まで、体に触れ、会話を交わし、心を通わすことの出来た娘ソラは、今日からの日々の生活の中のもうどこにも存在していない現実に気づかされた。そして、この喪失感は、ぼくがこの先ずっと生き続けて、そして漸(ようや)く死を迎えるまで、延々と続いていくのだとも思った。
ところが人間とは都合よくできているもので、信仰やら儀式・風習やら、日々の多忙な生活を掻(か)い潜(くぐ)っていく中で、その決定的とも言える喪失の感情はやがてぼやけ、薄まり、角(かど)が取れていくことに愕然(がくぜん)とする。一つの感情を純粋なまま、そのまま引きずり続けて行くことに、人間の精神は恐らく耐えられないのだ。涙に暮れ、塞(ふさ)ぎ込み続けることに、生きる意味はないのかも知れない。
このままでは、生きていたソラを失ったことだけではなく、ソラがいなくなった後のソラがかつてこの世に存在した痕跡(こんせき)や証(あかし)さえも日に日にあやふやになっていき、いつの間にかそれらに取って代わるように、何食わぬ顔をした紛(まが)い物が図々しく居座って新しい記憶の根を張ってしまうかも知れないではないか? そうなったらぼくは、死んだ後のソラも失ってしまうことになる‥‥‥‥‥
だからこそ、ぼくは決意したんだ。脆弱(ぜいじゃく)な自分への戒(いまし)めも兼ねて、もうこの世に存在しないソラがかつて存在していた空白を、逆の意味で『ソラがいない空白』の存在を守り続けて行くことにした。空白は空白のまま、そのままにして、何者であろうとその空白を侵すことを決して許しはしない。そして、『ソラが存在していない空白』を収集、集積し、ぼくの心の真ん中に据えて、せめてぼくが死を迎えるその日まで、確固として守り通してみせるんだ‥‥‥‥‥
まさにそれが、『ソラの空白』誕生の瞬間だった。

しかし‥‥ その『ソラの空白』が、大きく且(か)つ堅固(けんご)に成長し過ぎて、ぼくの精神のバランスを‥、もしくはぼくの精神そのものを、破滅させようとしている‥‥‥‥‥‥


「 何も案ずる必要などない。これからやろうとしていることは、『弔い(とむらい)』という名の治療行為だ 」 ぼくの逡巡(しゅんじゅん)を察して、ヤツが言った。
「 すぐに楽に‥なれる 」

次回へ続く 

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