悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (200)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その八十五

ぼくは、雑草が生い茂る地べたに突っ伏したまま、これからどういう行動を取るべきか考えていた。

正体不明の風太郎先生と彼に導かれたツジウラ ソノが、この巨大迷路の廃墟に向かっていたならば、先回りは出来たはずだ。ぼくの予想が外れていなければ、彼らは間もなくここに姿を現すに違いない。
今、自分から十数メートル前方に横長に連なる外壁(そとかべ)は、巨大迷路廃墟の南側にあたる。左に直角に回り込めば西側で、例の『林の中の道から見えた最初の赤い花』があった場所だ。そしてその正体である『水崎先生の腹を裂かれた死体』が逆さに吊り下げられていた壁で、ぼくが最初にそこを訪れた際、教頭先生の死体と、見知らぬ男女の死体も、後から次々とぶら下がっていった。
不思議なのは‥ぼくの頭の中にはどういう訳かそうやってここを訪れる以前から、巨大迷路の記憶がちゃんとあって、その記憶に間違いがなければ、西側とは正反対の、ここを右に回り込んだ東側に、巨大迷路の出入り口があるはずだった。
「巨大迷路の廃墟に用があってここに来て‥、中に入ろうとするなら、当然その出入り口を使うだろうな‥‥」
その出入り口とは、入口と出口が仕切り壁一枚で隣り合う形で設けられた形式になっていた。つまり入る時も出る時もここ一ヶ所、巨大迷路に出入りできる唯一(ゆいいつ)の場所なのである。
ぼくがここ南側の外壁の前で待ち伏せしていて、もし彼らが廃墟の西側に到着して、ぐるりと北側を通って東側に回り込んで行ったなら、ここだと見逃してしまうおそれがあることに気づいた。
「東側の‥出入り口が良く見える場所に移動しておくか‥」ぼくはそう呟いて、伏せていた草の地べたから身を起こそうとした。その時だった。

パシッ ザササッ サクッッ
ぼくのいる場所のすぐ左手の、丈の高い茂みの陰から、突然人が現れた。風太郎先生である。
ぼくは間一髪(かんいっぱつ)起き上がるのを止め、地べたの雑草の中にふたたび身を沈めた。
「‥‥‥‥‥‥‥‥」

ぼくは微動だにせず、上目遣いの眼球を動かすだけで、現れた風太郎先生の姿を追う。彼は、ぼくのほんの四メートル前をぼくに気づくことなく、横切る様に歩いて行った。幸運だったのは、彼の視線はここに現れてからずっと、十数メートル前方の廃墟の外壁に向けられていた。そして彼の通り過ぎた後、すこし離れて追随(ついずい)して来たであろうツジウラ ソノが、その姿を現した。

ツジウラ ソノも視線を廃墟に向けたまま、ぼくの四メートル前をぼくに気づかず横切って行く。一歩、二歩、三歩‥‥‥ にわかに彼女が立ち止まった。

すぐ後ろにいるぼくに気づいたか?! いや、そうではなかった。廃墟の外壁のあまりの『異様な光景』に、目と体が釘付けになってしまったのだ。彼女の後姿のリュックを背負った両肩が、ガクガクと震え出したのが見え、そうだと知れた。
当然だろう。普通の人間なら、卒倒しても不思議ではない。外壁のあちらこちらには、腹を裂かれて真っ赤な臓器をはみ出させた逆さまの死体が、いくつも吊るされていたのだから‥‥‥‥‥

ヒクッツ!
息が詰まる様な音がした。ぼくは、ツジウラ ソノが過呼吸の発作を起こしたのだと思った。彼女を救うため、すぐに地べたから起き上がって彼女に駆け寄り、彼女の手を掴んでこの場所から連れ出さなくてはならない。咄嗟(とっさ)にそう考え、ぼくは体を動かそうとした。

しかし、それはぼくの大きな勘違いだった。
次にツジウラ ソノから聞こえて来た音は‥‥ 紛れもない彼女の歌声 ‥だった。

次回へ続く


悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (199)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その八十四

頭の中に『内なる声』が聞こえて来て、自分自身の判断や行動が左右されるということは、人には間々在り得る経験だと思っている。
それはつまり、自己意識の『自我の声』であり、時にその声は自己中心的なものであるだろうし、時には人としての良心に根ざしたものであるのだろう。

ぼくがつい先ほど聞いてしまった『自分の声』は、寝言や独り言などとはまったく別ものの、自分の口からしっかりと発せられた『本物のぼく自身の声』だった気がする。
ぼくはその時、平静だったつもりだが、『声』は明らかに感情的に怒鳴っていた‥‥‥‥

「‥‥わけが‥‥ わからない‥」 ぼくは、今度は正真正銘の独り言を言った。
まるで手の込んだ手品か、ふざけ過ぎてる冗談につき合わされてるみたいだ。
例えば、ぼくは腹話術の人形で、誰かがぼくを操(あやつ)り、勝手に喋らせてる感覚。いったいぼくは、ぼくの体と心には、何が起こっていると言うのだ?‥‥‥‥

「‥‥いや」
考えてはいけない。これも、ぼくがこの『小学二年生の遠足』に知らぬ間に参加している理由と同じで、突き詰めて考えようとすると、例の『強烈な頭痛』がまたやって来るに違いない。
ぼくは、雲に覆われたままの空を仰いだ。
考えて立ち止まっているより、目先に在る目的に向かって体を動かすのだ。そうすれば自(おの)ずと答えも見つかっていくものなのかも知れないではないか。例えその目的への行動自体が、ぼくという人形を操る誰かのシナリオ通りだったとしてもだ。
ザサザササァァー ー
ぼくは前進を再開した。気を取り直して、断じて操り人形などではない手と足を動かし、草を搔き分け踏み倒した。正体不明の風太郎先生に先導されていったツジウラ ソノを見つけ出し、彼女を必ず連れ帰るのだ。
バシバキザザザァ ザサッ 「!」
丈の高い草と樹々の隙間に、『こんもりとした緑の小山』が見え隠れし出した。巨大迷路の廃墟はもう目と鼻の先にある。勢い込む代わりに、ぼくは身を屈め、搔き分ける手と踏み出す足を出来るだけ音を立てない動きにシフトダウンした。
やがて深い茂みが切れ、十数メートル先に見覚えのある、緑の蔦(つた)で覆われたどっしりとした外壁(そとかべ)が姿を現した。
「ああ!」そしてぼくは思わず呻(うめ)き声を上げてしまい、人目につかぬ様、慌てて草の地面に突っ伏し身を潜めた。
外壁に咲く、『大きな赤い花』が増えていた。前回来た時には見当たらなかった廃墟の南側の壁にも、腹を裂かれてはみ出した、人間の臓器で出来た悍(おぞ)ましき赤い大輪が、そこかしこに吊るされていたのだ。
「大歓迎だな‥ いったいどれだけの人が犠牲になってるんだぁ??」
嚙み殺す様な独り言が、ぼくの口から漏れた。

次回へ続く