悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (287)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その百七十二

ヤツが言うところの、排除すべき対象となる『次元の変形や偏(かたよ)りの原因となっているもの』とはもしかしたら‥‥、この『ソラの空白』?

「 その通りだ 」
言葉にはしていないぼくの頭の中の考えに、答えるヤツの声がした。
「 な! 何だって!? 」 ぼくは驚いて、ヤツの顔を見据えた。葉子先生の姿の葉子先生の顔が、こちらを観察する様に見ていた。
「 あなたの考えている通りだと言ったのよ 」 ぼくが葉子先生を僅(わず)かに意識した途端、今度は葉子先生の声音(こわね)を使って語りかけて来た。やはりぼくの思考は些細(ささい)なことまで、ヤツに筒抜けの状態なのだ。

「 ‥‥‥そう‥か 」 ヤツの能力の計(はか)り知れなさを改めて痛感したぼくは、『ソラの空白』存続可否への心配も相まって、全身から力が抜けていった。

ヤツは、ぼくがそんな精神状態に陥(おちい)っていることも具(つぶさ)に察知して、その上でぼくの認識の甘さを責めるでもなく、ただ淡々と、解説し始めた。
「 断(ことわ)っておくが、この件はおまえ自身の自我が突きつけていた警告を、おまえがすでに受け入れを済ませているはずのものなんだぜ。おまえの心の真ん中にある『失った娘の形をした空白』がこのまま成長し続ければ、近い将来おまえの精神は必ず崩壊する。おそらくこっ酷(ぴど)く、二度と修復など出来ない程にめちゃめちゃにな‥‥ ゆえにおまえの自我が導く防衛策として、空白を消滅させるためのシナリオを、おまえがおまえ自身の手で描いたというわけだろうが。 違うか? 」

「 ‥そうだろう。 おまえの‥ 言う通りなんだろう‥ 」

「 ああ。もっと納得がいくよう更につけ加えて言っておくが、おまえの精神崩壊の前兆は、すでに顕著に確認できる。例えば、他人の幸福を妬(ねた)み、能動的な人的交流から自分をどんどん遠ざけていく。世の中にある欺瞞(ぎまん)や欠陥(けっかん)を一つ一つ論(あげつら)い、突然大声を上げて非難し、傍らにいた奥さんを驚かせる。特に地域の医療体制への不信感は、医師個人に対する不信へとすり替えられ、延(ひ)いては人間を、世の中の構成員としての一人一人の人間を、おまえはおまえの理屈をもって自らを正当化しー ー 「 わかった!! わかったからもうやめろぉ!! 」

ぼくは居たたまれず、思わずヤツの講釈(こうしゃく)を遮(さえぎ)っていた。

次回へ続く

悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (286)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その百七十一

ヤツが漏らした一言(ひとこと) 二言(ふたこと)が、ぼくの心に激しい波風(なみかぜ)を立てていた。

そもそもぼくがこの巨大迷路廃墟に乗り込んできた目的は、操られる様に集められたみんなをここから連れ出し、ハルサキ山の魔物『ヒトデナシ』を退けることによって、魔物のすべての影響下から全員を解放するというものだった。
しかし、いざ蓋(ふた)を開けてみればそんなものはただの『ごっこ遊び』で、ハルサキ山を血で染めていった『ヒトデナシ』にしたところで、ヤツがぼくの記憶の断片からトレースして登場させた『傀儡(くぐつ)』の様な存在であるらしかった。つまりは全てが、ぼくがこの遠足を少しでも楽しむためにわざわざ自分で用意していた余興(よきょう)の一つに過ぎないのではあるまいか‥という気がした‥‥‥‥

「 ‥ぼくは今‥どこにいて‥‥ 本当は何をしようと‥してるのだろうか?‥‥‥ 」
そう呟(つぶや)いて、ぼくは自分が立っている足元に目を落とした。

前方のつかず離れずの場所にいる葉子先生の姿をしたヤツは、「 自分で答えを出してみなさい 」とでも先生口調で言いたげに、そんなぼくの様子をただ黙って見ていた。


それは数十秒だったかも知れないし、数十分もしくは数時間だったかも知れない。
いずれにしろ、計り知れない自問自答を繰り返した時間の後、「 そっ そうなのか? 」と口にしたぼくは顔を上げ、辺りを見回し、最後に頭上に広がる中空(ちゅうくう)を仰いだ。
言うまでもなく、ぼくが今佇(たたず)んでいる場所は『ソラの空白』の中。娘の死後、ぼくが頑(かたく)なに守り続けて来た、ぼくの心の真ん中にある何物の侵入をも許さない、娘の姿形(すがたかたち)の輪郭をした完全なる空白。それが、どういう訳か巨大な空間となってここにある。最初ここに辿り着いたすぐには、あまりの大きさに輪郭の全体像を把握できず気づかなかったが、それは、ソラがベッドの上でほとんどを過ごすようになってからいつもしていた姿の、『お気に入りのパジャマを着て、両足をハの字に前方に投げ出し、両手をだらりと垂らした状態で座っている』そんな姿の輪郭だった。

そんなものがなぜここに? ぼくの心の中でひたすら秘してきた『ソラの空白』がなぜ、こんな場所に出現しているのかが理解できないでいる。
だが、ヤツが言うところの、排除すべき対象となる『次元の変形や偏(かたよ)りの原因となっているもの』とはもしかしたら‥‥ この『ソラの空白』?

「 その通りだ 」
言葉にはしていないぼくの頭の中の考えに、答えるヤツの声がした。

次回へ続く