悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (175)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その六十

「わたしたち‥‥どうしたらいいの?ヒカリくん‥」

高木セナの途方に暮れたそんな問いかけに、ぼくは答えられないでいた。考えていたのだ。
この『陸の孤島』から身動きが取れないでいるのなら、この先自分自身やみんなの身を守るため、『ヒトデナシ』が今までにしてきた行動の意味、あればの話だが何かヤツの『行動原理』みたいなものを知っておく必要があると思ったのだ。

「ハルサキ山に近づいて来た人間に誰彼(だれかれ)見境なく‥‥ただ祟りをなす山の神、ではなさそうなんだ‥‥‥‥」ぼくは独り言を呟いた。
目的はどうだ?『ヒトデナシ』にヤツなりの目的はあるのか?‥‥‥
目的ではないが、一つはっきり言える事はある。携帯電話だ。携帯電話で誰かと連絡をとろうとした人間を襲って、それを阻止しようとしている。水崎先生然(しか)り、教頭先生然り、掛けようとした葉子先生と、彼女から突然バトンタッチされた草口ミワ然り。連絡を取られるとマズイと考えたのだろうが、だったらまず、携帯電話を取り上げて使えないように破壊すれば済む話で‥、しかし『ヒトデナシ』はそうはしていない。携帯電話はそのままに、携帯を持っている手の指を切り落とした。
「‥‥やはり快楽を得る為に人間を傷つけて‥殺戮すること自体が‥‥‥ヤツの目的なのか???」傍らにいる高木セナには聞こえて欲しくない独り言だった‥‥‥‥‥

その時だった。ヒュンと風を切る様な音が、キュンキュンと何かが軋(きし)みを上げる音が、立て続けに聞こえた気がした。
「なっ、何だ今の??」ぼくは咄嗟(とっさ)に身構えて辺りを見回した。「今‥‥なにか聞こえなかったかい?」高木セナに確認する。
「き‥聞こえた。聞こえたよ。聞こえた‥」彼女は不安げな面持ちですぐに答えた。
ぼくと高木セナはその後、音がまた聞こえてこないかしばらくの間息を殺し、聞き耳を立てていた。しかし、いくら待ってももう何も聞こえてこなかった。

「また誰か‥‥襲われた?」
「‥‥‥かも‥知れない‥‥」どこから聞こえて来たのだろう?すぐ近くの物陰か?風が遠くから運んできた音だった気もするが、まったく見当がつかなかった。

「みんなの所へ‥‥戻ってみよう」嫌な予感がしていた。ぼくは声のトーンを落として高木セナに言った。彼女もいつもと違って、最小限の首の動きで頷(うなず)いて見せた。
ぼくは迷わず高木セナの手を取った。彼女が離れない様に手を繋(つな)いだのだ。「え?」そのぼくの行動に彼女は小さく声を漏らし、ほんのり顔を赤らめた。
「ゆっくりでいいから、なるべく音を立てないで、静かに歩こう」ぼくは周囲を隈なく警戒しつつ高木セナの手を引いて駐車場を横切り、芝生広場に足を踏み入れた。

最短距離で戻りたかったのは山々だが、風太郎先生が眠っている例の場所はやはり迂回した。
やがて芝生広場西端の林が近づいてきて、みんなが身を潜めている辺りの雑木林を窺ってみると、木々の物陰から出てきてじっと立っている、人影らしきものに気がついた。

「誰か‥いる」
「ああ‥‥」
さらに近づいて、それがツジウラ ソノであるのが分かった。
ツジウラ ソノもぼく達に気づいてこちらを見た。その途端、高木セナはぼくと繋いでいた手を素早く振りほどき、なぜか体の後ろにまわして隠した。恥ずかしかったのだ。ぼくは苦笑いした。
それよりも、近づくにつれ、ツジウラ ソノの様子がどこかおかしいことに気づき始めていた。ぼくは高木セナをほおっておいて、自分だけ足を速めた。

「何か‥ あったのかい?」ぼくはツジウラ ソノの7メートル手前から声を掛けた。
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥」彼女は何も答えない。
2メートル手前まで近づいて見ると、彼女の両頬が涙で濡れているのが分かった。口は真一文字に硬く結ばれ、まるで何かを堪(こら)えているみたいだ。
「ツジウラさん‥」後から追いついて来た高木セナがさらに声を掛けた。
ぼくと高木セナはツジウラ ソノの前に立ち、彼女の答えを待った。

「‥こんな遠足‥‥ 来なければよかった‥‥‥‥‥」
ツジウラ ソノがそう呟いたのは、しばらく経ってからだった。

次回へ続く


悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (174)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その五十九

何という事だろうか!
予想していたパトカーだけではなく、すでに『送迎のバス』まで到着していたのだ!

否!違うか! パトカーも送迎バスも決して到着してはいない。芝生広場の駐車場へ向かう途中で、ことごとくその到着を阻止されたのだ。つまり『ハルサキ山』に近づく者は、容赦ない『ヒトデナシ』の手に掛かり、腹を裂かれて吊るされる運命にあるのだ。きっとこの先、近づこうとする者の全ても‥‥‥‥‥

ぼくは、構えていた双眼鏡を下ろした。全身に鳥肌が立っている。
「なにか‥良くないものが‥‥見えたのね」そんなぼくの様子をすぐ横で窺っていた高木セナが、悲しそうな声で話しかけてきた。
ぼくは、黙って高木セナに双眼鏡を差し出した。そして、舗装道路を見てみるよう促した。
彼女は双眼鏡を受け取ると不器用にそれを構え、やはり黙ったまま、時間をかけて何とかピントを合わせ、道路上に放置されているパトカーとバスを確認した。
「どうしてあんなところで止まっているの? 事故?」
「いや‥‥」ぼくは残酷な言葉を彼女に告げることを自覚した。「運転してた人たちは‥みんな殺されたんだ」
「殺さ!れた??」驚いた高木セナが危うく、構えていた双眼鏡を落としそうになった。ぼくはそれを何とか受け止め、そして続けた。「おそらく、芝生広場を襲ったのと同じ犯人の仕業だ。ヤツはこの先も、芝生広場に近づこうとする人間を全員、殺すつもりでいるのかも知れない‥‥‥」

ぼくは、驚愕(きょうがく)の表情が張り付いたままの高木セナに、その犯人が、この辺りで長い間噂されている『ヒトデナシと呼ばれる謎の存在』である可能性があると言う事を説明した。
「そっ、その『ヒトデナシ』は、悪魔か何か?それとも、人間のすることを許せない神さま?」
「な?なんだよ、それ?」
「おばあちゃんに、『たたり』て聞いたことあるもの。入っちゃいけない場所に入ったり、壊しちゃいけないものを壊したりする人間がいると、たたりがあるんだって。神さまが怒って、その人間たちに罰をあたえるんだって」
「なるほど‥。祟(たた)り、祟り神か‥‥」ぼくはこんな時でも、高木セナが大人になって尚も持ち続けている独特の思考回路に、感心させられてしまった。「そんなこと‥考えもしなかったな」

「ねえ、ヒカリくん!この先、私たちはどうなるの?このまま、ここにいていいの?」全く的確な問いかけだった。
「見た通り、警察の助けや、予定の時間より早くなったバスの迎えは、『ヒトデナシ』に阻止されたみたいだ。君の言う通り、ここに留まってて良いわけないけど、葉子先生やタスクの‥動けない者がいる。救急車だけでも来てほしかったのに、期待しない方がいいな。通報に失敗したか、もしかしたらやっぱり既(すで)に来ていて、舗装道路のどこかで、もうどうにかなっているのかも知れない‥‥‥‥」
今置かれている自分達の状況を、言葉にして整理してみると、まるで『陸の孤島』にでも閉じ込められた気持ちになった。そしてその『島』には、『祟り神』のごとく容赦なく人間の命を奪っていく謎の『ヒトデナシ』が潜んでいるのだ。

次回へ続く