悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (197)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その八十二

巨大迷路の廃墟は‥‥ 二度と近づきたくない場所だった。
廃墟の外壁(そとかべ)に逆さに吊るされた水崎先生や教頭先生、そして見知らぬ人たち‥‥。彼ら全員の腹が大きく裂かれていて、そこからはみ出した内臓が、まるで巨大な赤い花弁の重なりのごとく咲き誇る‥‥。そんなこの世の物とは思えない光景が、今もぼくの脳裏にくっきりと焼きついていた。

正体の知れない『風太郎先生』に連れられたツジウラ ソノが、巨大迷路の廃墟に向かったとしたら、急いで追いかけて止めなければならない。しかしそれは、もう一度あの場所に近づくことを意味していた。

「行くか‥ 」
ぼくは迷いを断ち切る様に呟いた。ふたりを捜しながら後をつけるより、最初から巨大迷路の廃墟へと向かった方が、もしかしたら彼らの先回りができるかも知れないと考えた。廃墟の外観である『こんもりした緑の小山』は、遠くを見渡せる広場の駐車場から何度も眺めてその位置は把握していたし、実際、一度すぐ目の前まで行って、帰って来たのだ。この場所からの大体の方向とそこへの最短距離は、頭の中に描けた。
賭けでもあったが、ぼくは『風太郎先生』からツジウラ ソノを引き離し連れ戻すべく、透かさず行動に移した。
ザザザザ ザザササァー
ぼくは、誰も足を踏み入れていない茂みの中へ飛び込んでいた。丈(たけ)の高い草を搔き分け、なぎ倒し、踏みつけながら、一心に進んだ。進みながら、高木セナを連れて来なくて良かったとつくづく思った。巨大迷路の廃墟に着く頃には手足は傷だらけになっているだろうし、着いたは着いたで、廃墟の外壁に吊るされた先生を含めた何人もの死体を、目(ま)の当たりにしなければならない。
「ひとりでどうか‥ 無事でいてくれ‥」ぼくは大股に足を運びながら、高木セナの顔を思い浮かべて祈った。

歯を食いしばり全身汗をかき、草木と格闘しながら、時を惜しむ無謀な前進が続いた。‥と、その時である。
「え?」

ぼくはピタリと動きを止めた。
人の声が‥聞こえた気がしたのだ。それも随分と近く、ほとんど自分の耳元と言ってもいいくらいだ。
ぼくは左右を見る。後ろを振り向いて確かめる。誰もいない‥‥‥‥‥

「許さない‥ と言ったか? ‥勝手な‥真似は‥ 許さない‥‥ と‥」
風が遠くから運んできた声‥だったのだろうか?

しばらく棒立ちのまま、首を傾(かし)げていたら‥、高木セナに言われたことを思い出した。

ヒカリくん‥ わけがわからないこと、小さく怒鳴るみたいに言ってて‥‥ 気味が悪かった‥‥‥

「‥‥もしかして‥‥‥‥ ぼくが自分で‥‥ 言ったのか????」
全身にかいた汗が、冷や汗に変わっていた‥‥‥‥‥

次回へ続く

悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (196)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その八十一

ぼくは走った。
高木セナをひとり、駐車場を出たばかりの坂の途中に残して、ほとんど直線の舗装道路を全力で駆け出していた。
高木セナの言うことを素直に受け入れたのは、彼女の言葉にどこか『大人びた説得力』を感じたからだ。草口ミワらに世話を焼いてもらい、自分では何も出来ないみたいに振る舞っていた遠足当初の彼女と違って、今の高木セナは自らをしっかりと表現しようとしている。ピンチのタスクを助けてみたり、ぼくとの会話だって、『やぎさんゆうびん』になることはなくなった。『大人であったかもしれない彼女の記憶』はないものの、醸(かも)し出す雰囲気はもはや小学二年生のそれではないのだ。
もしかして、このまま時間がさらに経過していったら、『大人であったかもしれない彼女の記憶』が徐々に甦(よみがえ)ってくるのではあるまいか‥‥、そんな予感がした。

アスファルト舗装の強い反発を足に感じながら十数メートル走ると、道路の両端に等間隔で並んでいる反射板のついた白いポールの、左側に立っているとある一本の付近に、土や草の切れはしが路上にやたらと散らばっている場所があって、そこから左に逸れた道路脇の茂みには、明らかに人が複数で分け入った痕跡がくっきりと残っていた。
「ここだ!!」ぼくは声を上げた。
間違いなかった。ぼくとモリオとツジウラ ソノの三人で、着メロを頼りに水崎先生の携帯電話を探すべく分け入った茂みだ。草をなぎ倒し踏みつけて、少しずつ足場を確保しながら進んだ、ぼくらの拵(こしら)えた『道』なのだ。ぼくは迷わずそこに飛び込んで行った。
駐車場から双眼鏡で、風太郎先生とツジウラ ソノの姿を捉(とら)えたのもこの奥だ。水崎先生の携帯を発見した『ヘビイチゴの草むら』のある場所のまでちょうど半分くらい行った辺りだった気がする。ぼくは急いだ。しかし、できるだけ音を立てないで進むことにも気を配っていた。彼らがどこに向かっているのか分からなかったし、何よりも先頭を歩いていた『風太郎先生』の正体がどういうものであるのか見極めないうちは、ぼくが後をつけて来たことを悟られたくはなかったのだ。はっきり断言できるが、ぼくの知る風太郎先生は明らかに 死んでいた のだから‥‥‥。

「‥‥‥‥‥‥‥」 ぼくは、ヘビイチゴの草むらに到着していた。
身を屈めて周りに目を配り、耳を澄ませてみたが、『風太郎先生』とツジウラ ソノの二人が近くにいる気配はなかった。すでにこの先へと、行ったのだろう。
「‥‥しかし」 ぼくは考える。ここから先は携帯電話捜索のために拵えた『道』は途絶えている。ここからあるのは、指を切断された水崎先生の行方をぼくが単独で捜した際、彼女の流した血を辿りながら分け入って進んだ、道とは呼べそうもない狭い幅の踏み跡だけだった。はたして二人は、そこを歩いて行ったのだろうか? 足場の何もないところを進むより、多少はましだろうが‥‥‥‥‥

はっ
ぼくは、あることを思い出して息を吞(の)んだ。水崎先生の血痕を紆余曲折(うよきょくせつ)しながら辿って行き、偶然行きあたった場所がどこだったかを。
「‥こんもりした‥緑の小山‥‥」ぼくは呟いた。

「もしかして彼ら二人は! 巨大迷路の廃墟へ向かったのか?!」

次回へ続く