悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (54)

第一夜〇タイムカプセルの夜 その三十九

委員長の「泣き声」に共鳴して、教室全体が細かく振動していた。

ピシッ! パシッ! ピシリ! ピシーン!
教室中の窓ガラスに次から次へと亀裂が入っていく。
地中の土砂を遮っている外側に面した一連の窓ガラスがその圧力もあってか、いち早く割れて落ち始めた。
ガシャーン!ガシャーン!ガシャガシャーン‼
やはり教室と一緒に振動しているのだろう、外の土砂が細かく砕けながらパラパラサラサラと、そしてサササーッとまるで水の様に徐々に教室の中へ流れ込んで来た。

「彼ら」子供たちが口々に何かを叫びながら教室出入り口のドアに殺到し、我先にと出て行こうとしている。泣き続ける委員長と傍らに立つ俺にはもはや目もくれない。
廊下に出た子供たちはさらに大騒ぎをしている。ガラスの割れる音と共に聞こえてくる叫び声、バタバタという足の入り乱れる音は彼らの混乱ぶりをうかがわせた。
どうやら「泣き声による振動」は廊下にまで及んでいるらしい。もしかすると校舎全体が今その影響下にあるのかも知れない。

やがて廊下の喧騒は遠ざかり、未だ泣き続ける委員長と俺だけが教室に残された。
ザササササーッッ ザザザザーァァー
土砂は外に面した全ての窓から着実に流れ込んで来ていて、俺の足元にまですでに押し寄せて堆積(たいせき)していた。恐らく数十分もすれば、教室の中は土砂で埋めつくされるだろう。

「‥それでいいか‥‥‥‥」俺は呟いていた。
不思議だったが、ここから逃げ出そうとは思わなかった。子供らしく声を出して泣き続ける委員長と一緒にここにこうしている事に、安らぎの様なものを感じていた。
このまま土に埋まって死を迎える事で過去の罪が償えるのなら‥‥‥‥‥‥
それでいいのだ。もう‥それでいい。

実際‥‥俺は何て愚かで卑怯な人間だったのだろうと考えている。人を貶(おとし)め悩ませ、笑いものにして‥‥逃げたのだ。
今傍らにいる委員長が本当に「俺自身が拵(こしら)えた委員長」なら、遠まわしではあるが、俺は罰を受ける事を自ら望んだ事になる。それはこんな俺にとって、ある意味ささやかな救いである気がした‥‥‥‥‥‥
そんな考えを巡らしている間にも土砂はまったく着実に、教室を、俺と委員長を埋めていった。

ギシィイーッッ ガシャッ ツッッー ー
「排せつ物のオブジェ」を作る際に教室の隅に寄せられ乱雑に積まれていた椅子や机も土砂に埋まりつつあった。その一部分が突然動いた。
そこから這い出す様に現れたのは、「滅亡」したはずの「粘土のクラスメート」の一人だった。倒れた机の陰にでも隠れていて、「ウンコ」の一部になるのを免(まぬが)れたのだ。
俺にはその人形が誰なのか、誰を模(かたど)ったものなのかすぐに分かった。小太りで小柄な「小川」だ。
ただ、彼は半分だけだった。真っ二つにされたのか上半身だけになっていて、すでに堆積している土砂の上を両手で這って、ゆっくりと俺に近づいて来た。

「今さら‥‥‥まだ何か用があるのか?」俺は小川に問いかけた。
彼は粘土の人形である。喋れない。その代わり小川は、右腕を懸命に俺に向かって伸ばしていた。
右手には何かが握られていて、どうやらそれを俺に渡したいらしい。
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
俺はそれを無言で受け取った。
受け取ったのはクシャクシャに丸めた紙。明らかに見覚えのある紙だった。
掲示スペースに貼られていたものを剥がしてポケットに突っ込み、その後委員長の指摘にしらばっくれる為に誰かの机の中へ慌てて隠した、例の‥‥‥書道の半紙だ。
「まったく‥‥今さらだな。おまえは気が利く男じゃなかったのかよ‥‥‥‥‥‥」
拡げて見るまでもない。書いてあるのは委員長に見せたくない文字だ。否‥‥・違うか、俺が俺自身の為に隠しておきたかった文字か‥‥‥。
俺はしばらく考え、現実を見つめて自分を正す意味を込め、クシャクシャに丸まった紙をゆっくりと拡げていった。

紙には‥‥筆で大きく‥・、「ハゲ」と書かれていた。
俺は深く静かにため息をついた。

ところが粘土の小川は、俺の行動を否定する様に首を横に振っている。
「何だよ?何が言いたいんだ?」
今度は小川は、手のひらを裏返したり戻したりの動作を繰り返し始めた。
「‥‥‥裏。裏返しにしろと言うのか‥・」
俺は紙を裏返しにしてみた。

「あっ」
驚いた。そこにも文字が書かれていた。
おそらく鉛筆で書かれた文字。おそらく俺の筆跡の‥‥三文字だ。

俺は完全に忘れていた記憶を‥‥‥‥‥手繰(たぐ)り寄せ始めた。

次回へ続く
次回、第一夜完結です。