悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (186)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その七十一

「よし!ソラがそんなに遠足に行きたいんなら、行こうじゃないか。とうさんとかあさんと、ソラの三人で行こう」

高木セナが、見た『夢』の内容を詳しく話すまで、そんなやり取りがあったことをぼくはすっかり忘れていた。あまりに他愛もない会話だったので、顧(かえり)みることもなかったのだ。思い出してみると、遠足に行こうと最初に話を切り出したのは紛れもなく、ぼく自身であった。
「ソラが元気で最高に天気が良い日‥、たくさんお菓子を買って、かあさんにお弁当用意してもらって、みんなで出かけよう」
ぼくがそう言うと、ソラは「ええェ?」と不満の声をもらし、こう続けた。
「とうさん、それじゃあダメだよ。それは『えんそく』じゃあなくて、おうちでいく『ピクニック』でしょ?」
「フフッ 確かにそうね」娘が正しいと、妻のセナが笑った。
「だったら、どういうのが遠足だい?」
「えんそくは、おないどしのおともだちみんなで、いくものでしょ」ソラは当然のことの様にさらりと言ってのけた。
「フフフッ そうね。そうよね」セナはそんなやり取りが可笑(おか)しいらしい。「みんなで一緒に歩いて‥、みんなで同じ景色を見て‥、そしてみんなで輪になって座って、お弁当食べるんだものねえ」ソラの肩を持って、いかにも楽しげな解説を付け加えた。
「うーむ‥‥‥」僕は、別段辛くも悔しくも無かったのだが、わざと悔しそうな顔をして、懸命に頭をひねっている振りをした。本当は、妻と娘に何か言ってやって、その一言で形勢を逆転させて二人を困らせてやろうと考えていたのだ。

「よし、こうしよう。とうさんとかあさんは、ソラと同い年の子供になる。他におじいちゃんおばあちゃんと、カオリおばさんとか、横浜のジンちゃんとかにも、いっぱいいっぱい声をかけて、子供になって参加してもらうんだ」
「ええェ? 何よそれ? 何を言い出すかと思ったら、この人は」セナが呆れた声を上げた。
ソラの方は、目をまん丸にしてぼくを見て、こう言った。「とうさん へんなこといってる。へんだよ、とうさん。そんなことできるわけないよ。おとなが、ソラとおんなじこどもには、なれないよ」

「なれるさ」
ぼくはソラに、自分でもびっくりするほど自信に満ちた言葉を返していた。少し意地悪かも知れないが、幼いソラを煙(けむ)に巻いてしまおうと思ったのだ。
「だって大人はみんな、子供を何年もやってきてから大人になったんだ。だから、いろんなこと思い出せばいつだって、子供に帰れるんだよ」

ソラはきょとんとした。きょとんとしてセナの方を向き、「‥ほんと?」と聞いた。
「とうさんたら‥‥‥」セナは呆れていた。でも、聞いているソラのために、話をうやむやにしなかった。「確かに‥‥、子供に戻ったみたいな‥そんな気持ちになる時もあるけど‥‥‥」そう言い置いて、「思い出せることもいっぱいあるけど、忘れてしまった記憶もあって‥‥、かあさんが子供になれるとしても、小学生までかなあ?」と、困りながらもぼくの提案に少しだけ乗っかって来た。
ぼくは、どこか照れ臭い笑いを口元に浮かべながら、そんな二人を眺めていた。

「ソラ‥は、『そうぞうりょく』でおとなになれないかなあ? おとなはむりでも、ちょっとおおきいだけの『しょうがくせい』なら、なれるかもしれないよね」突然、ソラが声を弾ませて言った。
「かあさんが、『しょうがくせい』までしかなれないんだったら、ソラがそのぶん、『そうぞうりょく』をつかっておおきくなって、『しょうがくせい』になるよ。そしたらソラとかあさんは『おないどし』になって、いっしょにえんそくにいける」

ぼくは驚いていた。ソラはぼくの馬鹿げた話に、楽しそうに乗っかっている。否、ただ乗っかっている振りをしているのだろうか?
ソラは頭の良い子だ。時々、親に気を遣い、ちょっとしたお芝居もする。
その時のソラが実際『本気』だったのか、あるいは『振り』をしていただけなのかは‥‥、ぼくには区別がつかなかった‥‥‥‥

次回へ続く

悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (185)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その七十

「ねえ! ツジウラさんって、本当は何者???」
高木セナの突然のそんな問いかけに、ぼくは黙り込んで、しばらく口を開けないでいた。

「どうして‥‥ ぼくにそんなことを聞くんだい?」
「え?」
高木セナは、当然の流れからぼくにその問いを投げて寄越したのだろうが、ぼくは彼女に、別の問いかけで返していた。大抵は彼女が始めることが多かった、例の『やぎさんゆうびん』的対話である。

「きみが‥『私たち、結婚するの?』て聞いてきた時もそうだった。きみはどうして、ぼくが何もかもを知っていると思うんだい?」
「そっ、それは‥‥」今まで興奮気味だった高木セナは、叱られたみたいに首を竦(すく)めた。そして幾分声のトーンを落として、叱られた言い訳みたいにこう続けた。「‥だってヒカリくんは、まわりの誰よりも大人みたいだし、いろんなことを知ってるし‥‥、いつだって私のお話をちゃんと聞いてくれる‥から」
「そうか‥‥」ぼくはゆっくりと頷いた。少し安心したのかも知れない。
ぼくは彼女が、『本当は小学二年生ではないぼくの素性』に気がついて、その上で質問を繰り返しているのかと思っていたのだ。
実のところぼくは、高木セナの『ツジウラさんって本当は何者?』の言葉に衝撃を受け、今まで深く考えようとしてこなかった根本的な疑問、『なぜ僕は小学生に戻って、こんな遠足に来ているのか?』という事を自分自身に問い直していたのだ。そしてその答えが、もしかしたら高木セナが駐車場のトイレに隠れていた時に見た『夢』の中に隠されていて、彼女がそれを承知の上でぼくに鎌(かま)をかけ、試そうとしているのではないかと勘繰(かんぐ)ったのだった。

「そうか、分かったよ。だったらきみが見た『夢』の細かなところを、もっと聞かせてくれないか?そうしたらぼくもさっきの質問に、もしかして答えられるかも‥知れない」
「‥うん、わかった」高木セナは気を取り直すみたいに瞬きを三回して、ぼくの要求に応えるべく、集中した様子で語り始めた。

「知らない家の二階の部屋‥‥。窓際にあるベッドの上に、『ソラ』て呼ばれてるツジウラさんにそっくりな女の子がいて、窓の外を見てる。部屋の入口のドアの前には、大人になったヒカリくんが寄っかかって立ってて、ベッドの足元の方に置いた椅子に腰かけて、編み物?か何かで手を動かしてる私がいる。きっとヒカリくんと同じで、大人になってるみたいで、私は『かあさん』、ヒカリくんは『とうさん』て呼ばれたり、自分で言ったりしてた。だから普通に考えると、私とヒカリくんは夫婦で、ソラちゃんは私たちの子供?‥ってことになる‥‥‥」
ここで、話している高木セナの顔がやっぱり赤くなるのを、ぼくは見ていた。
「それで、そのソラちゃんがね‥‥、リュックサックを背負って窓の外の道路を歩いて行く小学生たちを見て、『わたしも遠足に行きたいな』て呟いたの。そこからよ、三人して『遠足に行こう』て話になったのは‥‥‥‥」

次回へ続く