悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (191)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その七十六

「回線が『死んじゃったスマホ』か‥‥」ぼくはぼそりと呟いた。
そうなのだ‥ ソラも、すでに死んでしまっているのだ‥‥‥‥

だったら、今いるこの世界は何なのだろうか?
大人が小学生の姿になっていて、死んだはずの幼い娘が、小学生のクラスメートとして同じ遠足に来ている。交わした記憶さえ忘れかけていた他愛ない会話が意味を持ち、いくつもの出鱈目(でたらめ)が綯い交ぜ(ないまぜ)になって、自分の目の前にあるのだ‥‥‥‥‥

ギリッ‥ ギリリリ‥‥
頭の中が軋(きし)んだ。例の頭痛が、押し寄せて来る予感がした。
ぼくは慌てて、その方向への思惟思考のスイッチを切った。

高木セナは、ぼくより遥かに冷静でいられたはずだ。ツジウラ ソノに対する好奇心も、ソラと暮らしソラを喪(うしな)った記憶がないぶんそれは純粋で、ぼくはさっきから、双眼鏡を高木セナに手渡していた。彼女はぶきっちょな手つきながらも双眼鏡を操り、舗装道路だけではなく、その左右に広がっている草木の茂みを隈なく観察していた。

「‥‥‥‥‥‥‥‥ ん?」 
と、小さな疑問符を漏らして、高木セナの構えた双眼鏡の動きがとある一点で止まった。

「なっ 何か‥ 見えたのかい?」ぼくは、高木セナに身を寄せながら声を掛けた。
「‥‥わからない。何かが‥、動いた気がしたの」
彼女が今見ているのは、舗装道路を外れた左側。それも、かなり茂みを西方向に入った辺りであろうか‥。
「あの辺‥‥て確か、私がヒカリくんの後をつけて行って、道路から横入(よこはい)りしてずっと歩いてったところ。高い草があちこち倒されてて、ずっと道みたいに歩きやすくなってた場所の、途中だと思う」
高木セナの言っている場所は、もちろん知っていた。モリオとツジウラとぼくが着信音(野ばらの着メロ)を頼りに、水崎先生の携帯電話を捜して茂みの中へ入って行った時、行く手を阻(はば)む草を倒して足場を作りながら歩いて行った即席の通り道だ。そう言えば高木セナも、ぼくを尾行して来た時、一人でそこを歩いて来たんだった。
「あ!やっぱり! また動いた! 木と木のすき間に何かいる」
「ぼっ、ぼくにも見せてくれ!」ぼくは高木セナからそそくさと双眼鏡を受け取り、慌てて構えた。
「あの通り道は、ツジウラ本人も加わって拵(こしら)えたんだから、彼女が何かの都合でまた通ろうとても決しておかしくない場所だ」ぼくはそう言って、高木セナが指し示したちょうど人の背丈(せたけ)ほどの樹々、その木と木の隙間、枝と枝の隙間、葉と葉の隙間に‥ピントを合わせていった。「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」

「え?」

人の頭が‥‥ 人の首が‥ 見えた。ぼくは‥‥ 目を疑った。
その横顔に、否、首に、見覚えがあった。ぼくの頭がおかしくなっていなかったのなら、それは間違いなく、風太郎先生の首だった。

次回へ続く

悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (190)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その七十五

ぼくと高木セナの背後へと、例の窪地は遠ざかって行く。

何だ?? この違和感は‥‥・
ぼくは今すぐ振り向いて、違和感の正体を確かめたい衝動に駆られていた。しかし、高木セナと一緒でそれは出来ない。ぼくは懸命に堪(こら)えた。
隠し通せるなら、それに越したことは無い。ぼく以外の人間が、あんな『風太郎先生の無残な末路』を見る必要もないし、知る必要もないのだ。
高木セナの手を握り、黙りこんだまま、駐車場へ向かってただ歩を進めた。違和感への問いかけは答えの出ないまま、いつの間にか胸騒ぎのようなものに変わっていった。

「い‥痛い、ヒカリくん」突然、高木セナが訴えた。「手が、痛い」
「あっ ああ ごめん‥」ぼくは慌てて、高木セナと繋いでいた手を放した。知らないうちに強く握ってしまっていたらしい。
「何か、気にしてる? 気になることがあるの?」
「‥ああ もちろん、ツジウラのことだ。ツジウラのこと、考えてた」ぼくは誤魔化した。
「そう‥‥‥」高木セナは、やや上目遣いにぼくの様子をしばらく窺っていた。
余計なことに囚(とら)われている場合ではないと、ぼくは心のざわめきを押し込め、「行こう」と前を見た。すると、仕切り直しをするみたいに今度は高木セナの方から手が伸びて、ぼくの手を優しく掴(つか)んでくれた。

ぼくと高木セナは、駐車場に到着した。
二人して油断なく辺りに気を配りながら、迷わず北東側にある駐車場出入り口付近、舗装道路が良く見渡せる場所まで行った。
ぼくはリュックの中から、風太郎先生に無断で拝借している例の双眼鏡を取り出した。早速両手で構え、ピントを合わせながら、舗装道路を手前から先へとゆっくり舐(な)める様に観察していった。
「どう? ツジウラさん、いる?」
「‥‥いや」
雲に覆われた空の下、真っすぐ北へ伸びる舗装道路上には、一切の人影はない。ぼくは、道路の左右周辺部まで視野を拡げ、さらに観察を続けたが、ツジウラ ソノを見つけることは出来なかった。

「ねえ、ヒカリくん。ツジウラさんのリュックには、『未来の携帯電話』は入ってないかしら‥」
「え?」高木セナの問いかけに、ぼくは双眼鏡を目から外した。
「だって、ヒカリくんのリュックにも私のリュックにも、知らないうちに『未来の携帯電話』が入っていたでしょ? ツジウラさんが本当に『未来のソラちゃん』だったら、彼女のリュックにももしかしたら、同(おんな)じように入ってるんじゃないかと思って‥‥。入っていたなら、私の時みたいにその携帯電話を鳴らしてみたら、ツジウラさんの今いる場所がわかるかなあって‥‥‥」
「ああ、そうか!」ぼくは、高木セナの発想に素直に驚き、感心した。
だが、それは考えられないと同時に思っていた。ソラは小学校へも上がっておらず、まだ幼かったのだ。確かに自分の携帯電話を欲しがってはいたが、ぼくたち夫婦はまだ早いと考え、持たせなかった。
「未来では‥ソラはまだ小さすぎて、携帯電話は持っていなかった‥‥はずだ。ぼくの頭の中に流れ込んできた記憶ではそうだよ」ぼくは、高木セナに嘘をついたシチュエーションのままで答えた。「だから、ツジウラのリュックに入っているはずが‥ない」
「そ‥ そうかぁ」高木セナは、『本当に残念そうに』残念がった。
ぼくは、そんな彼女の豊かな感情表現を束の間(つかのま)、愛(いと)おしく眺めていた。

‥と、ある記憶が突然、頭の中に蘇る。
そう言えば、未来の高木セナ‥である妻が、新しいスマートフォンへの何回目かの機種変更を済ませた後、古いスマホをソラに与えていたことがあった。ソラは大喜びして燥(はしゃ)いだ。そんなソラに妻は、「それはもう、カイセン(回線)が『死んじゃったスマホ』なんだから、お電話はできないからね」などと‥念を押していた。

次回へ続く