悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (196)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その八十一

ぼくは走った。
高木セナをひとり、駐車場を出たばかりの坂の途中に残して、ほとんど直線の舗装道路を全力で駆け出していた。
高木セナの言うことを素直に受け入れたのは、彼女の言葉にどこか『大人びた説得力』を感じたからだ。草口ミワらに世話を焼いてもらい、自分では何も出来ないみたいに振る舞っていた遠足当初の彼女と違って、今の高木セナは自らをしっかりと表現しようとしている。ピンチのタスクを助けてみたり、ぼくとの会話だって、『やぎさんゆうびん』になることはなくなった。『大人であったかもしれない彼女の記憶』はないものの、醸(かも)し出す雰囲気はもはや小学二年生のそれではないのだ。
もしかして、このまま時間がさらに経過していったら、『大人であったかもしれない彼女の記憶』が徐々に甦(よみがえ)ってくるのではあるまいか‥‥、そんな予感がした。

アスファルト舗装の強い反発を足に感じながら十数メートル走ると、道路の両端に等間隔で並んでいる反射板のついた白いポールの、左側に立っているとある一本の付近に、土や草の切れはしが路上にやたらと散らばっている場所があって、そこから左に逸れた道路脇の茂みには、明らかに人が複数で分け入った痕跡がくっきりと残っていた。
「ここだ!!」ぼくは声を上げた。
間違いなかった。ぼくとモリオとツジウラ ソノの三人で、着メロを頼りに水崎先生の携帯電話を探すべく分け入った茂みだ。草をなぎ倒し踏みつけて、少しずつ足場を確保しながら進んだ、ぼくらの拵(こしら)えた『道』なのだ。ぼくは迷わずそこに飛び込んで行った。
駐車場から双眼鏡で、風太郎先生とツジウラ ソノの姿を捉(とら)えたのもこの奥だ。水崎先生の携帯を発見した『ヘビイチゴの草むら』のある場所のまでちょうど半分くらい行った辺りだった気がする。ぼくは急いだ。しかし、できるだけ音を立てないで進むことにも気を配っていた。彼らがどこに向かっているのか分からなかったし、何よりも先頭を歩いていた『風太郎先生』の正体がどういうものであるのか見極めないうちは、ぼくが後をつけて来たことを悟られたくはなかったのだ。はっきり断言できるが、ぼくの知る風太郎先生は明らかに 死んでいた のだから‥‥‥。

「‥‥‥‥‥‥‥」 ぼくは、ヘビイチゴの草むらに到着していた。
身を屈めて周りに目を配り、耳を澄ませてみたが、『風太郎先生』とツジウラ ソノの二人が近くにいる気配はなかった。すでにこの先へと、行ったのだろう。
「‥‥しかし」 ぼくは考える。ここから先は携帯電話捜索のために拵えた『道』は途絶えている。ここからあるのは、指を切断された水崎先生の行方をぼくが単独で捜した際、彼女の流した血を辿りながら分け入って進んだ、道とは呼べそうもない狭い幅の踏み跡だけだった。はたして二人は、そこを歩いて行ったのだろうか? 足場の何もないところを進むより、多少はましだろうが‥‥‥‥‥

はっ
ぼくは、あることを思い出して息を吞(の)んだ。水崎先生の血痕を紆余曲折(うよきょくせつ)しながら辿って行き、偶然行きあたった場所がどこだったかを。
「‥こんもりした‥緑の小山‥‥」ぼくは呟いた。

「もしかして彼ら二人は! 巨大迷路の廃墟へ向かったのか?!」

次回へ続く

悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (195)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その八十

「本当に‥‥ ぼくがそんな憎しみのこもった言葉を‥口にしていたのか‥‥‥?」

まったく身に覚えのないぼくがそう問い質すと、高木セナはまるでぼくを断罪するように、迷うことなく大きく首を縦に動かした。
ぼくは言葉を失い、ただ茫然と立ち尽くすしかなかった。
高木セナの言うことが本当なら、ぼくは自分自身をどこかで制御しきれていないことになる。それはまるで、自分の中にもう一人の人格が存在していて、そいつが、『隙を見せたら入れ代わってやろう』とぼくの様子を虎視眈々(こしたんたん)と窺(うかが)いながらチャンスを狙っている‥‥みたいな緊迫感を覚えずにはいられなかった。
そしてさらには、頭の中にある『ソラの空白』以外の、例の『何もかもがギュウギュウ詰めにされている領域』が、いつからかすでにザワザワと騒(ざわ)めき出していて、ぼくはその圧力とも言えるエネルギーをはっきりと自覚した。

「行って、ヒカリくん! わたしのことは放っておいて、はやくツジウラさんを追いかけて!」時を無駄にするぼくを見かねて、高木セナが叫んだ。
「そっ、そんなことできない」ぼくはすぐに拒否した。「ここは『ヒトデナシ』という魔物のテリトリーなんだ。予想もしないことが同時にあちこちで起こっていた可能性だってある。ぼくは君から目を離したくないんだ」
ぼくはどうにか正気に返った目で高木セナを見つめ、彼女もまた、ぼくを見つめ返した。

「‥だいじょうぶ。わたしはここの魔物とは‥取引済みだもの」高木セナがぼそりと言った。
「な!何だって!??」予想だにしない彼女の言葉に、ぼくは仰天してしまった。
「ううん? そんな気がするだけかもしれないけど‥‥、あの時そう感じたの」

高木セナが話し出したのはやはり、芝生広場に来る途中の林の中の道で、彼女が腕に傷を負った時のことだった。
「‥あの時、道の右端を歩いてて、背の高い草の茂みの横を通ってたら、大きな虫が飛び出て来たの。えっと思ってよけようとしたら、それが、ナイフみたいなのを持った人間の手に見えて‥‥‥、気がついたら右腕に赤いスジが一本引かれてた‥」
「引かれてたって‥ 切られたんだろ?」
「うん、そうだけど‥、傷の深さは1ミリもなかったよ。血は出たけど、あんまり痛くなかった。ちょっとヒリヒリしただけ。あれはわざとそうしてったんだって、思った。まるでわたしの腕に、何かの『しるし』をつけてったみたいだと思った」
「しるし‥‥ か」彼女の観察力と感受性は独特だったが、ぼくはそれを侮(あなど)ったことなど一度もなかった。むしろそういうものが、彼女の持つ予知の能力を呼び起こす力の源(みなもと)なのかも知れないと考えていた。
「あの時の『手』が、ヒカリくんの言う『ヒトデナシ』のものだったのなら、わたしが一番最初に『ヒトデナシ』に出会っていたことになる。でもそれは、わたしを襲って本気で切りつけようとしたんじゃなくて‥‥‥、わたしに、何かを始めようとする『合図』を送ってきたんだと思う」
「‥‥なるほど。‥あるいは『警告』‥の意味かも‥知れない‥‥‥」

「だから、わたしにはわかるの。ここの魔物には最初から、そしてこれからも、わたしを襲ったり、殺したりするつもりはないって」高木セナはきっぱりと言った。
「だからわたしを信じて、ヒカリくん。わたしは一人でだいじょうぶ。ヒカリくんは!すぐにツジウラさんのところに行って!!」

次回へ続く