悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (192)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その七十七

風太郎先生の首が右から左へと‥‥、背丈ほどの高さの樹々の向こうを移動していた。
「そんな‥ バカな!!?」ぼくは呻(うめ)いた。

「なに?、何?、何が見えてるの?」興奮気味に高木セナが、ぼくの左肩に両手でしがみついてきた。双眼鏡を構えていた左腕が揺れて、双眼鏡の視界も上下左右に揺れた。
ぼくは彼女に何も返答せず、慌てて双眼鏡の視界を修正した。見え隠れさせている邪魔な樹々を追い越し、その左側の、遮るものが疎(まば)らになった少し開けた場所に焦点を合わせた。
すると案の定、待ち受けていた視界に、風太郎先生の横向きの首が入ってきて、はっきりと像を結んだ。

「えェェ???!」
ぼくは、更なる衝撃を受けていた。何と、風太郎先生の首に、続きがあったのだ。首の下に上半身がちゃんとあって、おまけに下半身も、欠けることなくその上半身にくっついているではないか。
「そんな‥‥ 有り得ない‥‥‥」ぼくは二度目の呻き声を漏らしていた。
風太郎先生の無残な死体を見たことのあったぼくには、先入観があった。芝生の上にそれを見つけた時、右腕と左手が切られて落ちていた。上半身と下半身は二つにちぎれていて、首は、ずいぶん離れたところに転がっていた。ぼくは、それらを全部一か所に集め、レジャーシートで覆(おお)って手を合わせたのだ。風太郎先生の首が、樹々の隙間にちらりちらりと見えた時、ぼくはてっきり『切断されていた首』だけだと思ってしまったのだ。
それがどういうことだ?? 双眼鏡が今、結んでいる像は、首だけではなく全部のパーツが繋がって動いている。自らちゃんと歩いて移動している様に見えるではないか‥‥‥‥

風太郎先生が 生き返った‥‥
芝生広場の例の窪地を通り過ぎた時感じた違和感の正体は、死体に掛けて置いたレジャーシートの、『死体分の厚みが足りなかったこと』だったのだ。

「やっぱり! 誰かいたのね!」呆然としているぼくに、高木セナが両手を出して双眼鏡を催促した。
ぼくは無言のまま、小刻みに震えている手で、彼女に双眼鏡を渡した。

高木セナは、今までぼくが見ていた位置を、的確に把握できていた。すぐに「あっ」と声を出し、「もしかして、風太郎先生?!」と言った。
「間違いない、風太郎先生だ! 風太郎先生、体中あんなに汚れちゃって‥、いったいどこにいたのかしら?」
風太郎先生が、無残に死んでいたことは、誰にも話していない。ぼく以外に知らない。そして、バラバラだった体が元通り繋がって、今動いている、この‥まったく説明のつかない『底知れぬ不可解さ』も、ぼくだけのものだった。

「ああっ? もう一人いる!」双眼鏡を覗き続けている高木セナが、上擦(うわず)った声を上げた。
「え?」思考を非現実的な現象に囚われていたぼくは、思わず声が出て、現実に戻った。
「風太郎先生が歩いて行く後ろを‥‥ついて行く。‥もしかして‥あれって‥‥‥」高木セナの、双眼鏡を覗く両目が、細まるのが分かった。そしていきなり、嬉々(きき)として叫んだ。

「いたよ!!見つけた! ツジウラさんだよ!!」

次回へ続く

悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (191)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その七十六

「回線が『死んじゃったスマホ』か‥‥」ぼくはぼそりと呟いた。
そうなのだ‥ ソラも、すでに死んでしまっているのだ‥‥‥‥

だったら、今いるこの世界は何なのだろうか?
大人が小学生の姿になっていて、死んだはずの幼い娘が、小学生のクラスメートとして同じ遠足に来ている。交わした記憶さえ忘れかけていた他愛ない会話が意味を持ち、いくつもの出鱈目(でたらめ)が綯い交ぜ(ないまぜ)になって、自分の目の前にあるのだ‥‥‥‥‥

ギリッ‥ ギリリリ‥‥
頭の中が軋(きし)んだ。例の頭痛が、押し寄せて来る予感がした。
ぼくは慌てて、その方向への思惟思考のスイッチを切った。

高木セナは、ぼくより遥かに冷静でいられたはずだ。ツジウラ ソノに対する好奇心も、ソラと暮らしソラを喪(うしな)った記憶がないぶんそれは純粋で、ぼくはさっきから、双眼鏡を高木セナに手渡していた。彼女はぶきっちょな手つきながらも双眼鏡を操り、舗装道路だけではなく、その左右に広がっている草木の茂みを隈なく観察していた。

「‥‥‥‥‥‥‥‥ ん?」 
と、小さな疑問符を漏らして、高木セナの構えた双眼鏡の動きがとある一点で止まった。

「なっ 何か‥ 見えたのかい?」ぼくは、高木セナに身を寄せながら声を掛けた。
「‥‥わからない。何かが‥、動いた気がしたの」
彼女が今見ているのは、舗装道路を外れた左側。それも、かなり茂みを西方向に入った辺りであろうか‥。
「あの辺‥‥て確か、私がヒカリくんの後をつけて行って、道路から横入(よこはい)りしてずっと歩いてったところ。高い草があちこち倒されてて、ずっと道みたいに歩きやすくなってた場所の、途中だと思う」
高木セナの言っている場所は、もちろん知っていた。モリオとツジウラとぼくが着信音(野ばらの着メロ)を頼りに、水崎先生の携帯電話を捜して茂みの中へ入って行った時、行く手を阻(はば)む草を倒して足場を作りながら歩いて行った即席の通り道だ。そう言えば高木セナも、ぼくを尾行して来た時、一人でそこを歩いて来たんだった。
「あ!やっぱり! また動いた! 木と木のすき間に何かいる」
「ぼっ、ぼくにも見せてくれ!」ぼくは高木セナからそそくさと双眼鏡を受け取り、慌てて構えた。
「あの通り道は、ツジウラ本人も加わって拵(こしら)えたんだから、彼女が何かの都合でまた通ろうとても決しておかしくない場所だ」ぼくはそう言って、高木セナが指し示したちょうど人の背丈(せたけ)ほどの樹々、その木と木の隙間、枝と枝の隙間、葉と葉の隙間に‥ピントを合わせていった。「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」

「え?」

人の頭が‥‥ 人の首が‥ 見えた。ぼくは‥‥ 目を疑った。
その横顔に、否、首に、見覚えがあった。ぼくの頭がおかしくなっていなかったのなら、それは間違いなく、風太郎先生の首だった。

次回へ続く