悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (112)

第三夜〇流星群の夜 その二十六

それは‥宇宙ロケットから録画されたり送られてきた映像でも、CGを駆使したリアルなイメージ画像でもなく‥‥、自分の目で直(じか)に眺める正真正銘の真の宇宙だった。
自分は今、普通なら生身の人間が到底生存できるはずのない超高度の空間にいるはずで、地球を包んでいる大気のベールは宇宙に向かって徐々に希薄になり、飛び交う宇宙線などの影響を真面(まとも)に受けてしまう過酷な環境の中を漂っている。目に映る星々の光に瞬(まばた)きはなく、眩(まぶ)しく、純粋で容赦(ようしゃ)のない輝きを放っていた。そして何よりも驚いたのは、地上から見上げる天球の星空と違って、そこには果てしない奥行きがあった。
それまでは‥‥、宇宙の主役は、幾多の光り輝く星たちだと思っていた。しかしそれは間違いだったかも知れない。無限に続いているこの広大な空間こそが主役で、星たちは所々(ところどころ)に立って辛(かろ)うじて暗闇を退けている街灯か、彷徨(さまよ)う者たちへの親切な道標(みちしるべ)に過ぎないと思えて来たのだ。

僕は見据えた。星ではなく、空虚で‥暗くただ果てしなく広がっているだけに見える空間を、しっかりと見据えていたし観察していた。
視界に入って来た当初から感じていた事があって、空虚であるはずの空間の中に何かが存在していて、幽(かす)かな暗闇の強弱や斑(むら)を作っている‥‥‥そんな気がしていた。まるで闇そのものが生きていて、蠢(うごめ)いてでもいるかの様にだ‥‥‥‥。もしかしたらそれは、僕自身の時間の流れ方(今にも止まってしまう寸前だったはずだ)によってもたらされた特別な視覚だったのかも知れない。

やがて、『幽かな暗闇の強弱や斑』は、何かの形にたとえられると思った。巨大な目であったり、巨大な口や牙であったり、何本もの巨大な手や、触手にも見えた。それはまるで地上にいて、天球にある星々を繋いでいく事で神話に登場する人物や獣、魔物の姿を『星座』として見い出していく行為に似ていた。
巨大な目は‥‥、宇宙全体を静かに見守っている様だった。巨大な手は、時々暗闇をかき回したり、時には星屑を集めて握りしめ、あちらこちらに投げつけている様子が目に浮かんだ。地球に衝突した隕石もきっと、これらの手が投げつけた石つぶてだったに違いない。
宇宙の暗闇、暗黒の領域に存在するものの作用が、宇宙全体の変化に重要な関わりを持っているのだと理解した。
僕と彼女の体の行く末も、おそらく例外ではないだろう。

地球の周りに漂っていたガスや塵などが、晴れていっている。今気がついたが、僕や彼女の他にも地上からこの空間にまで吹き飛び、巻き上げられた沢山の『石の様に硬くなった人々』の体が、何の損傷も見られないそのままの状態で浮かんでいた。もっと時が経てば彼らは、あるものは地球の引力に捕らわれてふたたび地上に落下して行くだろうし、あるものはこのまま、宇宙空間へと放り出されて行くのだろう。
僕と彼女はどうやら後者らしい。地球から少しずつ遠ざかり始めたみたいだ。

「嵐を遣り過ごした蛹(さなぎ)‥か‥‥‥‥」僕は思った。
このまま宇宙を漂って、仮に運よくどこかの惑星に辿り着いたとしても、はたしてそこで蛹が羽化する様に止まった時間がふたたび動き出し、僕たちは元(もと)の存在に戻れるのだろうか?‥‥‥‥‥‥
その答えは多分‥‥、目の前に広がっている宇宙の暗闇だけが知っているはずである。

「そうか‥‥‥」一つの可能性に気づいた。たとえ時間が動き出したとしても、辿り着いた惑星のその環境下で生きていける確率は極めて低いと考えるのが妥当だろう。しかし、僕たちが死んだとしても、残った僕たちの体が有機体である事に変わりはなく、生命誕生プロセスの糧(かて)と成り得る可能性が少なくともある。僕たちは言わば、無限の時間をかけて宇宙を漂う事のできる『生命の種』になったのだ。

僕は満更(まんざら)でもない気持ちに包まれていた。
そして‥‥隣に寄り添っている彼女の存在をあらためて確認した後、完全に時間を止めるべく、静かに目を閉じていった‥‥‥‥‥‥‥

次回は「編集後記」の予定です。