悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (110)

第三夜〇流星群の夜 その二十四

自分自身の時間が完全に止まってしまうまでにこんなに長く掛かるとは、全くの予想外だった。
もしかしたら‥‥・僕が目を瞑(つぶ)らずしっかりと開いていて、見ようとする意識をずっと働かせているせいかも知れない‥・と思った。

それともう一つ。いくら人目につきにくい場所に移動したからといって、結構な月日が流れていながら未だ僕と彼女の体が誰にも発見されず、放射性廃棄物として回収されていない事が不思議でならなかった。
もしかしたら‥‥‥世の中がもうそれどころじゃない局面に至ってしまっているのか?
例えは謎の病にかかる者が急激に増加し過ぎて、処理しきれない体はそのまま放置されているとか、もしくはまったく予想もしていなかった『何か別の事態』に遭遇している‥‥‥‥とかだ。
「近い将来、人類にとって全滅の可能性のある一大事が地球に起ころうとしているのかも知れない」と言う、彼女の父親が残していった言葉が気にかかっていた。

僕は、夜と昼の境目がなくなっている(言わば早回しの時間の)空に意識を集中した。
ずっと目を向け続けている北の中心にあり、ほとんど動く事のない北極星は今も確認できている。ただ、その周辺を周回しているはずの星々はもはや特定はできず、何層もの波紋状の渦(うず)を形成しているみたいに見えた。それらが独特の色彩を帯びているのはおそらく、地球を包み込んでいる大気が、太陽の光や電磁波、宇宙線などを受け止めているせいに違いない。空は幽(かす)かに蠢(うごめ)いている様でまったく静止していて、まったく静止している様で幽かに蠢いていた。そんな光景を見せてくれる時間の超越は、新しい認識への入口なのかも知れないと思えてきて、僕はすっかり見とれていた。奇妙だったのは空全体が次第に、まるで『巨大な目』に見えてきて、見上げている僕を真っ向から見下ろし、ただひたすらこちらを、地球の行く末(ゆくすえ)をジッと観察しているのではないかと言う、ある種宗教的な考えに囚(とら)われてしまった事である。宇宙の深淵(しんえん)を覗き込もうとする研究者らが陥(おちい)りがちな感覚とは、こんな心の状態を言うのかも知れない。

「宇宙の有り様(ありよう)にはやはり‥‥‥‥何か途方もない存在の意思が‥‥介在しているのかも知れない」
そしてそれを人は‥‥『神』と呼ぶのだろう‥‥‥‥‥‥‥

そんな事を考えていた時、まったくの瞬間的に、からだ全体にものすごい衝撃と圧力を感じ、視界が一変した。

次回へ続く

悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (109)

第三夜〇流星群の夜 その二十三

夜が明けて‥‥・、空が青みを帯びて輝き出し、それをバックに真白い雲が足早に流れて行った。
南に背を向けている僕と彼女の後ろで太陽が移ろっていくのが分かる。北の空に視界を定めたのは正解だったかもしれない。太陽の光はいつにもまして眩しく感じられ、もし南の空を向いていたのなら目をつぶりたくなっていただろう。北側に落ちた草木などの様々な影が、『日時計の影の針を観察』している時みたいに左から右へとくるりと移動して行き、あっと言う間に太陽が西に傾く気配がしてきた。
自分の感覚では、朝が来てからまだほんの三十分程度しか経過していない気がするが‥‥、明らかにもう夕暮れが来てしまったのだ‥‥‥‥‥

戸惑っていた。どうやら僕自身の時間の流れ方はここに来て極端に遅くなり始めた様で、完全に止まってしまうのも間もなくかも知れない。
幸い、丘に人が来て僕たちが発見される事はなく(来ていた人の動きが速すぎてただ見えなかっただけかも知れないが‥)、回収される事もなかった。
僕と彼女の星空の下でのデートは二日目に突入したが、北極星を中心とした反時計回りの星々の動きは目に見えて加速していき、やはりあっと言う間に夜が明けてしまった。
三日目の夜もすぐにやって来て、もはや目が回る程の星の動きに呆気(あっけ)に取られているうちに、三日目の朝が来ていた。四日目の夜は曇っていて、星が見えないと認識しただけでもう朝になっていた。四日目の朝から五日目の夜にかけては雨模様だったはずだ(決してはっきりと雨粒が見えたわけではないし、体も濡れた感覚はなかったのだが、直感でそう思った)。天気が回復した六日目の夜、そして朝。さらに七日目の夜と朝。八日目。九日目。十日、十一日、十二、十三、十四‥‥‥‥‥‥‥
一日の経過が、夜の暗さと昼間の明るさの明滅(めいめつ)になっていた。それが何回も、何日分も繰り返されていった。さらに繰り返すうちにその明滅も、だんだんとはっきりしないものになっていった。つまり、黒と白を交互に見ていた速さが物凄くなり過ぎて、二つの色が混ざり合ったただの灰色に見え出したみたいな感じだ。そしてそんな風になるまでにたぶん一ヶ月、いや、もしかしたら半年以上の長い時間が経っていたのかも知れない‥‥‥‥‥。

もうほとんど、僕自身の時間は止まる寸前なのだろう。だだその時点で、彼女の肩に伸ばした右手の触感がいつの間にか柔らかく優しいものに変わっていて、寄り添っている状態の体も、より密着感が増している気がした。もしかしたらここに来て、彼女と僕の時間の流れ方の差がグンと縮まって、ほとんど同調しかかっているのかも知れないと思った。僕は嬉しくなった。

彼女の存在を体で感じながら‥‥嬉しくなって見た空は、夜とも昼ともつかない、独特の明度と色彩を有していた。
僕はふと思った。宇宙は何も、夜空の向こう側だけに広がっていたわけではない。昼間の青空の向こうにも広がっていたわけで、いつだってそこにあり続けていたのだと。
「これが本当の‥‥宇宙の眺めかも知れない‥‥‥‥‥」僕は呟(つぶや)いた。
しかしたった数秒のその呟きは、たぶん数年と言う時間をかけて丘の上を流れ、そして少しずつ消え失せていったのだろう‥‥‥‥‥‥

次回へ続く