悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (114)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その一

久しぶりの遠足だ‥・と思った。

いつ以来だろうか?
結婚してから‥初めてなのは間違いない。それ以前だったら‥‥高校生の時まで遡(さかのぼ)るだろう‥‥‥‥‥
そんな事を考えながら歩いていると、並んで歩いていたモリオが、ぼくのリュックサックをつまんで引っ張った。
「ヒカリは、どんなおやつ持ってきた?お弁当は何?」
そんなモリオを横目で見て、「ああそうか‥」と思った。これは小学校の遠足だ。それも低学年の、おそらく二年生だろう。
ぼくも、おそらく小学二年生に違いない。周りの風景を映す目線が随分(ずいぶん)と低く、両足が刻んでいる歩幅も小さい。

「おやつはいろいろだけど、お弁当はサンドイッチにしてもらった」と、ぼくは答えていた。「モリオはどうなの?」
「お弁当は三色おにぎりだけど、おやつはチョコを五種類買って持ってきた」
嬉しそうに話すそんなモリオに、ぼくは忠告する。「チョコレートは溶けちゃうよ。食べる頃にはきっとべとべとだ」
「わかってないなあヒカリ。それがいいんだよ。それがうまいんじゃないか」
両手や口のまわりをチョコまみれにして食べているモリオが目に浮かんで、ぼくは少しだけおかしかった。

「うわぁあ!」
ぼくたちの前を歩いていた女の子数人が突然歓声をあげた。
クマザサが両わきに茂った山道が途切れ、前方に開けた野原が現れていた。野原は一面の菜の花で、眩(まぶ)しい黄色に輝いていた。

「みなさーん、ここで少し休憩にしまーす」引率の教師の一人が全員に声をかけた。担任の葉子先生だ。後の二人も口を揃(そろ)えた。名前は忘れたが話好きの教頭先生と、教師になったばかりでまだ大学生みたいな副担任の風太郎先生だ。「気温が上がってるので、必ず水分補給をしましょう」「おやつをつまんでも構わないけど、お弁当前なのでほどほどにしましょうね」
黄色い声を上げながら、みんな思い思いの場所に散らばっていった。ぼくとモリオは傾斜を少しだけ登って、野原の菜の花全部が見渡せる絶好のスポットに腰を下ろした。先生の忠告に従い、水筒を肩からはずしてコップのふたに中身を注ぐぼく。モリオはリュックに差してあったペットボトルを取り出すと直接口をつけてノドを鳴らし始めた。
「‥元気だねェ」菜の花畑を走り回る数人の子たちを呆(あき)れた様に見下ろしながら、モリオはさっそく『一種類目のチョコ』を平らげ始めた。
ぼくはと言うと‥‥、実はさっきから奇妙な感覚に囚(とら)われている。数メートル離れた右手の小さな木陰にやはり腰を下ろしてくつろいでいる『女子三人のグループ』がなぜか気にかかり、目が離せなくなってしまっていたのだ。

「もしかして‥‥‥ソラ‥なのか?」
知らぬ間に、ぼくの口からそんな言葉が漏れ出ていた。

次回へ続く


目を凝らさなければ見えないものがある (3)

私は、幽霊の登場する漫画を何作か描いてきました。
それで感じたのは、『幽霊を描く事』は基本的に『人間を描く事』で、つまり人間の感情や思念、もっと言えば業(ごう)みたいなものを掘り下げて描く事なのだと知りました。これは至極(しごく)当たり前の経緯(いきさつ)で、かつて人間だったものが死んで幽霊になり、死んでからも人間や人間の社会と何らかの関わりを続けていくと言う意味合いのお話になるからです。

だったら、広義の意味での『霊』を扱うとどうなるかと言うと、また違う様相(ようそう)を呈するお話になっていきます。
アニミズム、つまり人間が太古から抱いてきた、この世の万物(生物以外も含めた全てのもの)に霊や魂(たましい)が宿っていると言う考え方があって、その考え方の中で人間は、様々な物や現象に対して、時には畏怖(いふ)の念を覚え、時には敬意や信仰心を芽生えさせてきました。
人が目の前に、人間ではない、人間の理屈が通用しそうにない、或いはまったく通用しない未知なるものの存在を認め恐れおののくお話は、人間を破壊し、人間の社会を根こそぎ崩壊させるカタルシス的効果を生み出す可能性を秘めています。

悪夢十夜で次に題材にするつもりでいるのは、『人(ひと)ではないもの』です。
そいつは、生き物かもしれないし、生き物でないかも知れません。単純な物であるかも知れないし、ものすごく複雑かも知れません。行動原理が明確かも知れないし、そうでないかも知れません。そもそも、そいつは目に見えるのか、目には見えないのかもはっきりしません。
ただ、一つだけ言えるのは‥‥‥、そいつはきっと人間と同じ形をしているのでしょう。

‥だってそれが、いちばん恐ろしいから‥‥‥‥‥‥