「テレビまんが」なんて呼ばれてた。中編

女の子の主人公が活躍するアニメが登場して、続いていくつかの作品が放送される様になりました。
「魔法使いサリー」「ひみつのアッコちゃん」などです。いにしえの王国の物語である「リボンの騎士」はすでに放送されていましたが、今度は魔法を使う女の子(つまり魔女。魔女っ子なんて呼ばれていく)の、まわりを巻き込んでのドタバタコメディです。その頃同じくテレビ放送されていた海外ドラマ「奥さまは魔女」の影響だったのでしょうか?
「奥さまは魔女」のオープニングはアニメの絵で、お決まりのナレーションが入ります。『奥様の名前はサマンサ。旦那様の名前はダーリン。ごく普通の二人はごく普通の恋をし、ごく普通の結婚をしました。ただ一つ違っていたのは、奥様は魔女だったのです』だったかな?サマンサは魔法を使う時、閉じた唇を左右に動かします。子供心にもそれがとてもチャーミングでした。長く続いたドラマで、サマンサとダーリンにはかわいい女の子が産まれますが、その愛娘タバサもやはり魔女。魔法が使えて、良い意味で話はどんどんややこしくなります。
魔法を使う事でエピソードに事欠かないこのホームコメディは、おそらく後のたくさんの作品のお手本になったんだと思います。

話は少々脱線しましたが、東京オリンピック(1964年)の後、まんがやドラマに「スポ根」と言うジャンルが生まれました。「スポーツ根性もの」のことです。
「アタックNo,1」「アニマル1(ワン)」は、東京オリンピックでメダルを獲得した人気競技種目の女子バレーボールとアマチュアレスリングの世界を描いていました。「アニマル1(ワン)」の主題歌には『やるぞ今に見てろ、バババババンと日の丸揚げるのだ。がんばれアニマルワン。強いぞレスリング』と言う歌詞があります。目標に向かって自分を日々鍛錬していく。子供たちにも分かりやすいクリアなテーマです。乗り越えなければならない壁がいくつも立ちはだかり、競争するたくさんの相手が登場します。「ライバル」と言う言葉もこの頃憶えました。
スポ根の代表だった「巨人の星」は、当時川上哲治監督の下、リーグ9連覇に向かってひた走る読売ジャイアンツの人気と相まって、長く放送されました。アニメには、原作にない展開やお話がふんだんに盛り込まれていて、最終話の終わり方も、一歩踏み込んだ解釈のものになっていました。動く絵のダイナミズムを痛感させてくれたのもこの作品で、今でも鮮明に覚えているのは、星飛雄馬の投じた大リーグボール1号を、ライバル花形満が渾身の力を振り絞ってスタンドに運ぶ、とてつもない表現のシーンです。
アニメそれぞれの演出の違いやその大切さに気づかされたのは、この頃からだったかも知れません。

当時はもちろん録画機器などありません。観たければ、放送される時間にはテレビの前にいなければなりません。だからそんな能動的になっている分、感じ方だったり楽しみ方だったりもひとしおでした。好みもはっきりと出てしまっていたはずです。だから、これも観てそれも観てあれも観るなんて事はあまりなかった様に思います。
それでも結果的にたくさんの作品を観てきた実感があるのは、再放送のせいでしょう。学校から帰ってひと心地ついた頃に、テレビでは何かしらの再放送がやっていて、退屈しながらでも習慣的に観てしまいました。でもそのお蔭で、見逃していたものが観れたり、今まで触手の動かなかったものの再評価に繋がっていく事も時々あって、例えばサリーちゃんなどは、そのおもしろさを再放送が教えてくれました。

さらに次回へ続く

「テレビまんが」なんて呼ばれてた。前編

突然ですが、アニメ(一般に言うところの)について気ままに書いてみたくなりました。
宜しかったらお付き合い下さい。

タイトルにある「テレビまんが」とはつまりアニメの事で、私の幼少期(日本のアニメーションの黎明期とも言える頃だったのかも知れません)、テレビで放送されるアニメは確か「テレビまんが」などと呼ばれていました。
「まんが」の動く絵が、テレビで観れる。絵には声や音がついてる。元気な少年やかわいい女の子の情感あふれる台詞や、光線の発射音とか爆発音。どの作品からもキャツチーな主題歌が流れてきて、いつの間にか覚えてしまい、一緒に歌える。二次元だった「まんが」が、限りなく三次元に近づいていく感覚です。キャラクターの玩具が発売され、人形やプラモデルを手に取ろうものなら、子供たちにとってもはやそれは三次元の世界だったのです。
「ウォㇽトディズニーのアニメーション映画」と比較して動きがどうとかこうとか、観ている側はたぶん考えていませんでした。つまりそれらは、「テレビから流れてくる動くまんが」と言う認識で一つのジャンルとして世の中に受け入れられていったのだと思います。

ロボットものは人気がありました。「鉄腕アトム」と「鉄人28号」。どちらもお菓子メーカーがスポンサー(そのほとんどが一社提供だった)で、マーブルチョコの筒の中には、アトムのシールがへばりつくみたいに入っていたし、グリコには鉄人のスタンプがついていて、応募して、パズルみたいに分解と組み立てができる鉄人の人形がもらえました。こう言う一つ一つのアピールが「テレビまんが」を、着実に子供たちの生活の、もっと言ってしまえば社会生活の一部にしていったのです。各局で、ゴールデンタイムの放送枠が定着していきました。
因(ちな)みに私の前の世代はおそらく、アトムも鉄人も「実写版のドラマ」としてテレビで観ていたんだと思います(ちゃんと確認できないですが‥)。実際に再放送などで少しだけ見た覚えがありますが、子供の目にはかなり不気味なものに映りました(確か「忍者ハットリくん」の実写版を観た時もけっこう気味が悪かったです。同じ感じ)。

他にロボットで好きだったのは「エイトマン」。かなり本格的なSFで、大人っぽくてとてもクールでした。こちらのスポンサーは食品メーカーで、のりたまを見ると今でもエイトマンのオープニングが頭の中に浮かびます。
子供たちにとって、「宇宙」も人気を博すキーワードです。「宇宙エース」「宇宙少年ソラン」「遊星少年パピィ」。また、「お化け」とか「妖怪」もブームがやって来て、「オバケのQ太郎」はギャグだけど、「ゲゲゲの鬼太郎」「どろろ(どろろと百鬼丸)」とかは、今とは違ってこの分野での鮮度が高くて、モノクロームの映像もかえって雰囲気づくりに役立って、大変面白かったです。

映像がモノクロームだった話ですが、東京オリンピック(1964)でカラーテレビが普及していきましたが、カラーの番組やカラーのアニメが出そろって放送される様になったのは、随分後の事だったと記憶しています。この時代、アニメをカラーで楽しめたのは映画館での「東映まんがまつり」などで、新作長編と数本の短編の組み合わせが嬉しいやら時々退屈やらでした。「サイボーグ009」の劇場版はカラーで、009たちのユニホームが原色でとてもきれいだったのを覚えています。ただ、今でも不思議に思うのは、人形劇だったはずの「ひょっこりひょうたん島」が、新しいエピソードの新作としてアニメになって上映されていた事です。何でかなあ?‥‥‥

次回も続けます