悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (66)

第二夜〇仮面 その十

かつて『切っ掛けの地』と呼ばれた今の観光地を、修学旅行の自由行動で私達は訪れた。
そしてこの地ゆかりのアニメが描かれた顔出しパネルで記念撮影したことで、予期せぬ不可解な『変化』に見舞われる。
パネルから顔を出していた私の友達、文音 陶子 実奈 凪子 沙織が、それぞれの顔の部分だけを残して忽然と姿を消したのだ。
骨董屋のおじいさんは残されていた顔を、仮面と呼んだ‥‥‥‥‥。
おじいさんの言葉に、思わず私は座っていた椅子からお尻が浮くほど身を乗り出していた。それまで私は、顔を残して消えてしまったみんなに何かが起こったのだと当然の様に考えていたからだ。しかしおじいさんは、そうではなくすべては私自身に起こった事なのだと指摘したのだった。

「私は!私には何も変わったことは起こっていません!」
おじいさんは首を横に振る。
「あなたが撮影して、お友達五人全員ががいっぺんに消えた。この仮面を残してね‥‥」
おじいさんと私は、机の上に並んでいるみんなの顔を同時に見ていた。
「これらの仮面は、あなた由来のもの‥、あなたが彼女らに着けていたか着けさせていた仮面だと、考えられます」
「ちょ、ちょっと待って下さい!どうして私がみんなに仮面を着けさせなきゃいけないんですか⁉まるで意味が分からない」
おじいさんは僅かの間をおいて、こう答えた。「おそらくその方が‥・あなたにとって都合がよかったんでしょう」

あんまりな話の展開に私はこの時、おじいさんを睨(にら)みつけていたかも知れない。みんなに仮面を着けて、それでどうして私の都合がよくなると言うのか?
「おっしゃっている意味がまったく理解できません!」
「だったらこう言う例えはどうでしょう。とかく周りの人間の顔色を窺(うかが)いながら生きている男が居るとします。男はできるだけ彼らの機嫌を損ねない様、できるだけ彼らと上手くやっていこうとして、毎日へとへとに疲れ切ってしまいます。疲れ果てた男はやがて無意識のうちに、ある打開策を見い出してく。攻撃は最大の防御なりで、いちいち思い悩むのをやめにして、彼はたぶんこう言う人なんだからしょうがない‥・彼女はおそらくこう言う考えの持ち主だから仕方がないと、彼らに接して少しの情報が集まった段階で高(たか)を括(くく)ってしまうのです。男にとってそれは自分が壊れてしまう前の逃げ道でもあるだろうし、救いにもなる‥‥‥。つまり楽に生きていく為の防衛本能のある種の体現です」
「‥‥‥‥‥‥‥‥そ‥その男が私だと?」
「いえ、これは飽くまでも一つの例えです。しかし、高を括った瞬間から男は、周りの人間の顔に、自分にとって都合のいい仮面を着け始めているのではないでしょうか‥‥‥」

私は水底(みずぞこ)の泥の様に沈黙し、机の上のみんなの顔を凝視していた。
私の友達‥。気心の知れた仲間達‥・。みんなの為なら、みんなで楽しくやれるんだったら何でもするし、現にずっとそうして来た‥‥‥‥‥‥
偽りではない。決して偽りではない。みんなを軽んじたり貶(おとし)めたりしたことなど、ただの一度だってない。‥‥‥ない。‥‥‥ない。‥‥‥ないんだ‥‥。

「‥・私は楽などしていません。一生懸命生きているだけです‥‥‥‥‥」
私は、漸(ようや)くそれだけの言葉を絞り出した。

次回へ続く

悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (65)

第二夜〇仮面 その九

顔出しパネルでみんなの顔が剥がれた理由は、解った‥‥‥様な気がする。
しかし私にとって一番知りたいのは、みんなが『仮面』を剥がされてどうなったのか?、どこへ消えたのか?‥‥だと言う事も、分かり過ぎるくらい判った。

「あのォ‥‥‥、残されていたみんなの顔が仮面だとして、みんなは別の顔になったんですか?例えば私が全然知らない顔になってるって事ですか?」
さっきまでの調子から、おじいさんは私の質問にすぐに答えてくれるものだと思っていた。ところがおじいさんは徐(おもむろ)に私から目を逸らし、私が並べた机の上のみんなの顔に今日何度目かの視線を向けた。
おじいさんの唇はしばらく結ばれたままになった。
「あのゥ‥‥‥」沈黙を予期していなかった私は、せっかちに言葉を続けた。
「消えた人達にはもう会えない‥・。仮面が外れて透明人間になったんだ‥‥・。おじいさんはそうおっしゃったと聞いています」

「確かに‥‥言ったかも知れない‥‥‥‥‥」そんな呟きから、おじいさんの口述は再開された。
「なかなか簡単に説明し難い現象なんですが‥‥‥。私は、すべて認識の問題だと考えているんですよ」
「に‥認識?」
「あくまでも仮説に過ぎませんが、あなたのお友達は仮面が剥がれ本来の、或いは本当の顔に戻った。あなたはそれが認識できなくなって、彼女らを見失ったのです」
「ちょっと待ってください。例えみんなが私の知らない顔になって認識できなくなったとしても、目の前から煙の様に消えるわけが無いと思います」私は正直に反論した。
「いや。私がここで指摘している認識は、目で見て得られる視覚情報に対する脳の処理判別能力の事ではありません。言わば人の心の作用‥、人間の精神が物事の本質を知り、明確に把握する概念の事なのです。したがって認識できなくなったと言う意味は、対象が存在しているはずなのにその存在を感じ取る事のできない状況に陥(おちい)った。つまりは透明人間になった様なものだと私は例えてみた訳です」
「すっ、すみません。私はあまり頭の良く無い、ただの女子高生です。もう少し易しく言っていただけると助かります‥・」私はやはり正直に、おじいさんにお願いした。ふたたび眩暈(めまい)を感じ始めたからだ。
「申し訳ない。他に言葉が見つからなかったのです。‥分かりました。それでは、これまでに起こった事例についてまとめてお話しておきましょう」

「今まで、顔出し立て看板で写真を撮って仮面が剥がれ、撮影した当事者の前から忽然(こつぜん)と消え失せたすべての人々は、行方不明になったのでも消滅したのでもありません。その後も何の問題も無く、それぞれがそれぞれの場所で、それぞれの生活を普通に送られています。しかし撮影した当事者の方々だけは、仮面が剝がれた人々を今も認識できず、居なくなったと訴え続けています‥‥‥」
「ああ‥」私は呻(うめ)き声を漏らした。「やっぱり!やっぱり私はもう、みんなに会えないんですね!」悲しみが、涙が、いっぺんに込み上げてきた。私は両手で顔を覆って泣き出していた。
そんな私の様子を見かねたのか、おじいさんが慌てて言った。
「絶望する必要はありません。認識出来なくなった相手に、また新たな認識を持てるよう努めれば良い。そうすればお友達に会える日がいつか必ず来ます」
「‥‥‥‥‥‥新たな‥認識?」私は顔を上げておじいさんを見た。おじいさんはゆっくりと頷いてくれた。「だがその為にも‥‥、あなたに自覚しておいてもらいたい事をはっきりと申し上げておきましょう」

「今回、あなたとあなたのお友達がここ‥切っ掛けの地を訪れて生じた変化は‥‥、あなたのお友達にではなく、すべてあなた自身に起こった事なのです」

次回へ続く