悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (64)

第二夜〇仮面 その八

記念撮影用の顔出し立て看板が、着けている仮面を剥がす装置として機能してしまっている‥‥‥‥。それは何故なのか?

おじいさんは続いて推論の根拠となるものを述べ始める。述べられた事柄は、「天と地と僕と」の物語の発端となる主人公ワタルが異世界へ迷い込む経緯をも、まさに同時に解説しているみたいに私には聞こえた。

「ここが古くからどういう意味合いを持った土地であったのか、あなたはご存知でしょうか?」
「‥‥‥い‥いいえ」わたしはそう言って俯いた。わざわざ訪ねていながら私とおそらく姿を消した五人みんなも、アニメ関連の知識しか携えて来なかった。胎内くぐりの洞窟にしたって、その謂(いわ)れなどは皆目(かいもく)知らなかったし、調べようともしなかった。
「古くは鎌倉時代の文献に、『切っ掛けの地』と言う表現でこの辺(あた)りの事が記(しる)されています。訪れた際に、何らかの啓示を授かったり、予想だにしなかった転機がもたらされたと言う意味合いの記述です」
「きっかけの‥‥地‥」
「そうです。ここを訪れた所為(せい)で物事に変化が生じた、或いは変化が始まったのだと‥‥」
「パワースポット‥みたいな感じ?」
「うーむ‥‥都度の解釈でしょうね。良い方への変化なら肯定的に捉えられますが、悪い方への変化だったら忌み嫌われる場所となる‥‥‥。そう言った意味合いでは、この先にある神社の祀神に何らかの関連性を見いだせるかも知れません」おじいさんはそう言いながら店の入口に目をやる。入口に背を向けて座っていた私は、首と体をねじってそちらを見た。
「表の道を山の方向にしばらく行くと左手に大きな沼が現れます。そのほとりに古びた社(やしろ)が建っていて、祀られているのが蛭子(ひるこ)神なのです」
「ああ‥」私は、店に来る途中で見つけた観光案内地図にあった鳥居の絵を思い出していた。
「記紀(古事記 日本書紀)による蛭子は国造り神話で生まれる神の一人で、疎まれるかたちで海へと流されます。やがて流れ着くわけですが、沿岸地域では海からやって来た豊漁の神 恵比寿(えびす)と混同視され、信仰の対象となって行きます。
つまり蛭子神は、捨てられた後に福をもたらす神に転じて戻って来た、言わば変化を象徴する存在と考える事ができます」

おじいさんのお話は正直、普通の高校生である私にはかなり難しいものだった。学校の授業中だと眠くなるところだが、今はそんな状況では無い。私は、嚙(かじ)りつく様な気持ちで耳を傾け続けた。
「変化を再生と捉えるなら、胎内くぐりの洞窟もまた然(しか)り。蛭子神社と沼とは道を挟んだ右手、山の麓(ふもと)あたりにあって、ここを目当てに訪れる方も少なくはありません。胎内くぐりとは、胎内でもあり他界でもある狭い洞窟を潜(くぐ)り抜ける事でいったんは死んで生まれ変わる、今までの穢(けが)れを祓い生き直すと言う意味を持つ行(ぎょう)なのです」

そして、眩暈(めまい)のしてきた理解不能寸前の私を他所(よそ)に、おじいさんはこう結論付けた。

「つまりこの地に古(いにしえ)から眠る力、訪れる人々に作用し続ける力があるとするならば‥‥、それは抱えている現状の解体と再構成、或いは初期化と言っても良い‥、をもたらすものであった。顔出し立て看板が装置として機能したのは、顔を出す為に開けられた穴が、変化を求める部位の特定に偶々(たまたま)繋がってしまったからだ‥‥‥‥と」

次回へ続く

悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (63)

第二夜〇仮面 その七

「おじいさんに相談してみるのが良いだろうと、土産物屋のおばさんがおっしゃいました。それでこちらに参りました」
使い慣れない敬語や謙譲語をギクシャクと並べた後、私は早速、例の駐車場にあった顔出しパネルで起こった出来事を骨董屋(アンティークショップ)のおじいさんに話し出した。
おじいさんは姿勢良く椅子に腰かけたまま視線をこちらに向け、一切の相槌も入れず、質問したり聞き直したりする事も無く、黙って私の話を聞いていた。

「いったい何が起こったのか知りたいんです。教えてください、お願いします」私は正直な気持ちを伝え、話を締めくくった。
「‥‥‥‥分かりました。あなたのお役に立てるかどうかは些(いささ)か疑問ですが、私の知っている事、今考えている事で良ければお話しいたしましょう」おじいさんは、自ら発する言葉への責任を一つ一つ確認するかの様にゆっくりとそう言った。そして、レジスターの乗っかった机の上に私が前もって並べたてていた「みんなの顔」に、丸眼鏡の奥にある細い目の焦点を合わせた。
「これが一体‥‥何であるかを推定してみる前に‥まず、あの駐車場に設置してある記念撮影用の顔出し立て看板、そう、あなたのおっしゃった顔出しパネルの事です。それがいかなるものであるか触れておきましょう」
緊張の解けない状態のまま身を固くして椅子に座り続けていた私は、まるで条件反射の様にコクリと大げさに頷(うなず)いていた。

「役場の観光課に青年部がありまして‥・まあ青年部と言っても今年で三十になる男がたった一人でやっている部所なんですが、その男が随分と漫画やアニメに詳しい。ここが人気アニメの舞台のモデルになっていると言う情報を上司に伝えたのが始まりでした」
「天と地と僕とです。発端となる第一話と第二話で、この街とここにある胎内くぐりの洞窟が出てくるんです」
「うむ、そうらしい。たぶん放送が始まってから、熱心な若い方がちらほらとここを訪れる様になっていたし、役場にも問い合わせが来ていた。SNSの時代なのですね。我々の世代では到底考えの及ばなかった形の観光資源の再発見となりました。青年部の彼を中心に観光課が動き出し、地元観光組合も同調しました。比較的低コストで撮影した写真が広まっで宣伝効果も望める、まさにうってつけなアイテムである顔出し立て看板を設置するアイデアはやはり彼からもたらされたもので、アイデアだけではなくファンが見て納得する完成度の高い絵を再現する事にも彼は奔走(ほんそう)しました。こうして出来上がったのがあの顔出し立て看板だったのです。設置後の効果は覿面(てきめん)で、随分と学生さんや親子連れを見かける様になりました。休日などには撮影の順番待ちの列ができるほどでした」
おじいさんはそこでひと呼吸おいて、机の上の「みんなの顔」に再び目を落とし眉間にしわを寄せた。
「ところがです‥‥。最近になって奇妙な現象が表面化してきた‥‥‥‥。事件や事故として扱われない性質の現象だったので把握することが難しかった。恐らく設置当初から、現象は潜在的に発生していた可能性があります」
私も釣られて机の上の「みんなの顔」に目をやる。
「あなたはこれを‥‥・何だとお考えですか?」おじいさんが質問した。
「‥‥‥‥‥‥仮面‥‥なのでしょうか?‥」私は逆に質問する様な答えを返した。土産物屋のおばさんからの情報で、おじいさんがそう考えている事を知っていたからだ。

「私はそう考えています。本当の、或(ある)いは真実の顔を隠すか隠して見えなくしていた仮面です」
ゴクリと音がした。それは私自身が唾を飲み込む音だった。おじいさんは続ける。
「顔出し立て看板は、着けていた仮面を剥がす言わば装置として機能してしまっているのではないか‥‥‥それが今現在、私が抱いている推論です」

次回へ続く