ぼくらのウルトラ冒険少年画報 (4)

今週からは「ぼくらのウルトラ冒険少年画報」のエピソードの原案について書いていこうと思います。

第一話「防空壕」 前編

私は南紀地方(和歌山県)の海に面した田舎町で生まれ育ちました。
1960年代後半の小学生時代・・・すでに復興を遂げた都会と違って時が止まったように太平洋戦争の爪痕がまだそこかしこに残されていました。
新築される前の実家には、玄関の柱に弾の痕が刻まれていたし、小学校の木造校舎の屋根瓦には迷彩がほどこされ、町中の山が迫った場所には「横穴の防空壕」がいたる所に掘られていてそれがそのままになって生活の中にとけ込んでいました。

「防空壕」は空襲の時に逃げ込む場所です。
戦略的に何の価値もなさそうな片田舎に空襲があったのかと疑問に思われる方もいらっしゃるでしょうが、太平洋上の航空母艦や占領した島々から発進した米軍の戦闘機、爆撃機や攻撃機はまずは「紀伊半島」を目指し北上し、そこから左の「関西方面」もしくは右の「中京方面」へと進路を変えていったと聞きます。
紀伊半島南端近くに位置する私の町は言わば空襲に向かう米軍機の通り道だったようなのです。

親から何度も聞かされた話ですが、高台にある畑で農作業中の耳の遠かった老夫婦が空からの機銃掃射で落命されています。
数キロ離れた場所で列車を攻撃しようと旋回する戦闘機が今にもこちらに来そうに見え、身を隠す場所のない磯にいて恐怖で岩場にへばりついたと、父は若い頃の体験を語っていました。
「防空壕」はまさに町の人々の生死を分ける場所だったのです。

戦後20年近く経った時代に、私は当たり前のように毎日「防空壕」を見て育ちました。やがてそれは好奇の対象となり思わぬ恐怖の入口へと繋がっていくのです。

次回へ続く