ぼくらのウルトラ冒険少年画報 (23)

第四話「死体」 その三
「カラス鳴きが悪いよ‥誰か亡くなるかも知れん‥‥」

私の母が時々口にしていた言葉です。
カラスがギャーギャー騒ぐ声が妙に耳につく日があると、しばらくして町の誰かが亡くなるというのです。
ただの迷信でしょうが、子供の頃の私にとっては漠然とした不安を抱かせるものでした。カラスはというと今日の様に町を飛び回る事はまれで、たいがいは人を避け山にいたものです。

戦後二十年以上が過ぎ「死」を身近に感じる機会は確実に減っていました。ましてや小学生の私にとってまだまだイメージしにくいものだったのです。
強いてあげるなら生まれたばかりの仔猫たちが箱に入れられ海に流される場面を目撃した時や、市場で水揚されたイルカの腹の中からまるでミニチュアの様なへその緒が繋がったままの赤ちゃんイルカが出てきた時の哀れさと残酷さがないまぜになったような感覚でしょうか。
しかしこの頃私は「人の死」に関する大きな体験を二つする運命にありました。

寒い冬の未明の事です。
突然家の玄関の雨戸を叩く音で私は目を覚ましました。何事かと母が出ていく気配がして、しばらくして戻ってきた母がポツリと呟きました。
「○○おばちゃんが死んでしもた」

○○おばちゃんは母の伯母にあたり、子供がいなかった彼女は親戚の中で一番幼かった私を無条件で甘やかし大層可愛がってくれました。その彼女が亡くなったことは私にとっても大きな衝撃でした。その日の夕刻おばさんの家を訪れた時、彼女は布団に寝かされ静かに目を閉じていました。高血圧が持病だった彼女は朝早い仕事(エビ網漁)に備え起床しトイレに立った時に倒れたそうです。六十歳でした。
私は枕元に正座をし動かなくなった○○おばちゃんを言葉もなく眺めていました。すると何の前触れもなく涙がポロポロと膝に落ちていきました。自分が泣いているのだとしばらくは気づきませんでした。
普通子供が泣く時は、自分を理解してほしいというサインだったり単なる甘えだったり当てこすりだったりもします。その時の子供にはもっと泣いてやろうとか声のトーンを上げてやろうというはっきりした意識が存在したように思います。
しかしこの時ばかりは自分をコントロールできない状況に陥り、「泣く」という事は本当はこういう事なのかと後になって思いました。同時に人が死ぬという事をまっすぐに受け止めた初めての体験だったのです。

お葬式を終え母が言葉少なに言いました。
「そういえば、カラスの鳴き声が聞こえなかった‥‥」
母に言わせると、身近な人が死ぬ時そのまわりの人達にはカラスがいくら騒いでいてもその鳴き声が聞こえなくなるらしいのです‥‥

次回へ続く
来週は都合により火曜日に更新いたします。

ぼくらのウルトラ冒険少年画報 (22)

別冊付録「記憶の中のプラモデル」
私は小学校の頃、プラモデルの「組み立て説明書」の事をなぜか「設計図」と呼んでいました。
何かのテレビ番組の影響なのか、おそらくそう思い込む原因があったのでしょうが今では突きとめようがありません。しかし「設計図」という言葉からは、より高度な技術が必要な精密でハイレベルな模型に憧れ果敢に挑戦していこうとする当時の自分の気持ちが感じとれるのです。

近年「サンダーバード」のリニューアル版やよりリアルに再現された「ウルトラホーク1号」などのキットがたくさん販売されていますが、今回取り上げるのはおそらくもう二度と陽の目を見る事はないであろう、更に言うなら誰もかえりみる事はないであろう「だからこそ愛おしい記憶の中のプラモデルたち」の事です。

最初は「国立競技場」のプラモデル。1964年の東京オリンピックが終わりしばらくしてから出回り始めたキットです。価格は100円ほどだったでしょうか。こんなものが出ているんだという気持ちで購入しました。パーツは少なかったのですが聖火台が別パーツになっていて、それを接着する時は開会式の映像が頭の中に浮かび興奮したものです。聖火リレーの最終走者が昇っていった通路や観客席も甘いながらも再現されていました。
今手に入ったのなら着色してグラウンド部分にウルトラマンの怪獣「アボラス」と「バニラ」のフィギュアを配置するのに‥などと考えます。
2020年の東京オリンピック、新国立競技場が完成してもプラモデル化される事はおそらくないでしょう‥‥。

二つめは「第四話 死体」でも触れた「アポロ11号」のプラモデルです。私はアオシマ(青島文化教材社)から発売されていた1/48スケールの月着陸船「イーグル」を組み立てました。組み立てるという事はものごとをより深く理解する事だと実感できたキットです。
ハッチが開閉し、台座の部分と操縦席の部分が離陸時の時のように分離できました。宇宙服姿のフィギュアも付属していて、ラダーの側に立たせて月面に第一歩を踏み出したシーンを再現したものです。
他に司令船などの大小様々のバリエーションも登場し一つ二つ買い求めました。
タミヤ(田宮模型)からもサターンロケットやドッキングした状態の月着陸船と司令船のキットが出ていたようですが残念ながら私の田舎では手に入れる事はできませんでした。
また「ケロッグ」のコーンフレークの箱におまけとして封入されていたキットがありました。これが小さいわりにはよくできていてバリエーションも豊富で、一生懸命集めたのを覚えています。
サターンロケットや司令船の事をご存じない方は、トムハンクス主演の映画「アポロ13」をご覧になると良いでしょう。

最後は「原子力船むつ」のプラモデルです。軍艦ではなしに観測船なのですが、色や形は南極観測船と似ていました。放射能漏れで母港に帰れない事態になったことが報道されていたのを覚えていて、不遇の運命の船といったイメージです。
メーカーは不明ですが、原子力ではなしにゼンマイで動くキットでした。ちなみに「むつ」の名前はむつ湾もしくはむつ市からきているのでしょうが、この頃から青森県は原子力政策の一部に関わっていたのだなあとあらためて思いました。

まだまだ記したい事は尽きませんがまたそれは別の機会に‥‥