悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (63)

第二夜〇仮面 その七

「おじいさんに相談してみるのが良いだろうと、土産物屋のおばさんがおっしゃいました。それでこちらに参りました」
使い慣れない敬語や謙譲語をギクシャクと並べた後、私は早速、例の駐車場にあった顔出しパネルで起こった出来事を骨董屋(アンティークショップ)のおじいさんに話し出した。
おじいさんは姿勢良く椅子に腰かけたまま視線をこちらに向け、一切の相槌も入れず、質問したり聞き直したりする事も無く、黙って私の話を聞いていた。

「いったい何が起こったのか知りたいんです。教えてください、お願いします」私は正直な気持ちを伝え、話を締めくくった。
「‥‥‥‥分かりました。あなたのお役に立てるかどうかは些(いささ)か疑問ですが、私の知っている事、今考えている事で良ければお話しいたしましょう」おじいさんは、自ら発する言葉への責任を一つ一つ確認するかの様にゆっくりとそう言った。そして、レジスターの乗っかった机の上に私が前もって並べたてていた「みんなの顔」に、丸眼鏡の奥にある細い目の焦点を合わせた。
「これが一体‥‥何であるかを推定してみる前に‥まず、あの駐車場に設置してある記念撮影用の顔出し立て看板、そう、あなたのおっしゃった顔出しパネルの事です。それがいかなるものであるか触れておきましょう」
緊張の解けない状態のまま身を固くして椅子に座り続けていた私は、まるで条件反射の様にコクリと大げさに頷(うなず)いていた。

「役場の観光課に青年部がありまして‥・まあ青年部と言っても今年で三十になる男がたった一人でやっている部所なんですが、その男が随分と漫画やアニメに詳しい。ここが人気アニメの舞台のモデルになっていると言う情報を上司に伝えたのが始まりでした」
「天と地と僕とです。発端となる第一話と第二話で、この街とここにある胎内くぐりの洞窟が出てくるんです」
「うむ、そうらしい。たぶん放送が始まってから、熱心な若い方がちらほらとここを訪れる様になっていたし、役場にも問い合わせが来ていた。SNSの時代なのですね。我々の世代では到底考えの及ばなかった形の観光資源の再発見となりました。青年部の彼を中心に観光課が動き出し、地元観光組合も同調しました。比較的低コストで撮影した写真が広まっで宣伝効果も望める、まさにうってつけなアイテムである顔出し立て看板を設置するアイデアはやはり彼からもたらされたもので、アイデアだけではなくファンが見て納得する完成度の高い絵を再現する事にも彼は奔走(ほんそう)しました。こうして出来上がったのがあの顔出し立て看板だったのです。設置後の効果は覿面(てきめん)で、随分と学生さんや親子連れを見かける様になりました。休日などには撮影の順番待ちの列ができるほどでした」
おじいさんはそこでひと呼吸おいて、机の上の「みんなの顔」に再び目を落とし眉間にしわを寄せた。
「ところがです‥‥。最近になって奇妙な現象が表面化してきた‥‥‥‥。事件や事故として扱われない性質の現象だったので把握することが難しかった。恐らく設置当初から、現象は潜在的に発生していた可能性があります」
私も釣られて机の上の「みんなの顔」に目をやる。
「あなたはこれを‥‥・何だとお考えですか?」おじいさんが質問した。
「‥‥‥‥‥‥仮面‥‥なのでしょうか?‥」私は逆に質問する様な答えを返した。土産物屋のおばさんからの情報で、おじいさんがそう考えている事を知っていたからだ。

「私はそう考えています。本当の、或(ある)いは真実の顔を隠すか隠して見えなくしていた仮面です」
ゴクリと音がした。それは私自身が唾を飲み込む音だった。おじいさんは続ける。
「顔出し立て看板は、着けていた仮面を剥がす言わば装置として機能してしまっているのではないか‥‥‥それが今現在、私が抱いている推論です」

次回へ続く

悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (62)

第二夜〇仮面 その六

「おじいさんの骨董屋」に辿り着いたのは、観光案内地図を離れてから10分以上たった後だった。

行ったり来たりして二度もその前を通り過ぎていた。店の間口(まぐち)が狭く、両側の建物の隙間に埋もれる様に建っていたからだ。おまけに、掲げていた木製の看板も考えていたものより小さく古びていて、文字が目に留まらない。看板自体がまったくの骨董品だった。目的の店の前に立った時、私は呻(うめ)き声みたいなため息をついていた。
通り過ぎてしまったもう一つの原因は外観にもあった。その骨董屋が、骨董屋には見えなかったのだ(もっとも、一般的な骨董屋がどういうものか知っているわけではないが)。どこか‥・一時代前の喫茶店の造りを思わせた。もともとが本当にそう言うお店だったのかも知れない。私は、赤 青 みどり 黄色のカラフルなステンドグラスが嵌(は)まった木枠のドアをゆっくりと押し開けた。

迎える声は無かった。声の代わりに私をさり気なく迎え入れてくれたのは、店内に流れていた落ち着いたピアノの旋律‥‥‥‥。私はその曲を知っていた。お気に入りでもあった。サティの『ジムノペディ第一番』だ。
傘付きのランプを模した照明が縦長の店内の二ヶ所に吊るされ、陳列された品々を絶妙な明暗のグラデーションで浮かび上がらせている。手狭な場所を想像していたが、意外な程に奥行きがあった。
単なる文字のイメージに過ぎないが、「骨董屋」と言うより寧(むし)ろ「アンティークショップ」と呼んだ方がしっくりくる印象だった。ほど良い調和を保って並べられている西洋の調度類、工芸品などを目でゆっくりとなぞりながら店の一番奥まった所の薄暗がりに顔を向けると、照明の光を反射して、丸い眼鏡のレンズが二つ、その中に浮かんているのに気がついた。

「あ‥あっ、こんにちわ」私は慌てて挨拶する。
丸眼鏡の光がスーッと上に移動した。どうやら腰かけていた人物が立ち上がったらしい。
「随分と若いお客さんだね。こんにちは」そう言いながら奥の薄暗がりから現れたのは、おそらくこの人が「骨董屋のおじいさん」、スラリと背筋が伸びた面長の顔の老人だった。首元までボタンの留められたシャツにベストを合わせ、白髪はきちんと後ろにまとめられ、丸眼鏡のレンズの向こうには品の良さそうな細い目が優しく輝いている。やはりここは「アンティークショップ」であって、おじいさんは「アンティークショップのおじいさん」である‥と思った。

「あなたは先ほどから、店の前を何度か行き来していた様だが‥‥、ここを探していたのかね?」おじいさんが落ち着いた声で質問してきた。
「そっ、その通りです」全部見られていたんだと、顔が少し赤らむのを感じながら私は答える。「ちょっと訳の分からない‥・いえ、かなり訳の分からない事があって、ご相談したくて来ました」
「ほう‥‥‥‥」
おじいさんは店の奥に手招きし、商品かも知れないシャレた感じの木製の椅子を私に勧めた。自分は、年代物に見えるレジスターの乗っかった机とセットで置かれていた椅子に腰かけた。先ほどもたぶんここに座っていたのだ。
「何があったか多少は予測がつくが、取り敢えず伺いましょう」
「ありがとうございます」私はペコリと頭を下げ、椅子に座る時に肩から外して膝の上に置いていたリュックから、「みんなの顔」を慎重に取り出した。
おじいさんはそれを目にするなり、「やはり‥‥‥」と呟いた。

次回へ続く