悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (201)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その八十六

わぁらぁべぇはぁ みいたありいぃぃ  のぉなぁかぁのぉ ばああぁらぁ
童(わらべ)はみたり 野なかの薔薇(ばら)

きぃよぉらぁにぃ さぁけぇるうぅ  そぉのぉいいぃろ めえでえつぅ
清らに咲ける その色愛(め)でつ

それは‥‥
ツジウラ ソノが、巨大迷路廃墟の外壁(そとかべ)を前にして、突然歌い出したその曲は‥‥、ハルサキ山に来て‥水崎先生の携帯電話の着メロで何度も何度も何度も‥耳にし、そして何よりも、娘『ソラ』の思い出とともに今もある曲。ゲーテの詩をシューベルトの軽快なテンポのメロディーに乗せた名曲『野ばら』であった。
合唱部の一員であるツジウラ ソノは、遠足に来てすでに何度か披露しているその魅力的な歌声で、朗々(ろうろう)と歌い続ける‥‥‥


童はみたり 野なかの薔薇
清らに咲ける その色愛でつ
飽かずながむ 紅(くれない)におう
野なかの薔薇

手折(たお)りて往(ゆ)かん 野なかの薔薇
手折らば手折れ 思出ぐさに       
君を刺さん 紅におう
野なかの薔薇

童は折りぬ 野なかの薔薇
折られてあわれ 清らの色香(いろか)
永久(とわ)にあせぬ 紅におう
野なかの薔薇


ソラだ‥‥
ツジウラ ソノは本当に‥ソラだったんだ‥‥
ぼくはそう思った。
全身の力が抜け、知らぬ間に涙が両頬(ほほ)を伝って落ち、地べたの草を濡らしていた。

距離を取って前を歩いていた『謎の風太郎先生』が、歌い終えたツジウラ ソノの方に振り向き、無表情のまま、ひとつ頷いた。立ち止まっていたツジウラ ソノは、それが合図だった様に、再び歩き出した。
彼ら二人は、巨大迷路廃墟の南側の外壁に沿って右手に‥、おそらく回り込んだ東側の外壁の途中にある『出入り口』へ向かって、ゆっくりと歩き出した。

ぼくはと言うと、まるで催眠暗示にでもかかったみたいだった。立ち上がって後を追おうとしたが、力が入らず、まったく動けなかったのだ。「行くな! ツジウラ!」と叫んでみたが、声も出なかった。

声は出なかったが、何らかのぼくの気配を感じ取ったのだろうか? 南の外壁伝いに東側へと正に回り込もうとしていたツジウラ ソノが一瞬立ち止まり、振り向いて、明らかにぼくの方に視線を向けた。
ぼくはその時、ここに到着してからの彼女の表情を初めて見た。彼女は『風太郎先生』以上のまったくの無表情で、どろんとした目は一切の正気を感じさせなかった。ついさっき、辺りに歌声を響かせていた少女とは到底思えなかった。

「やっぱり‥ おかしくなってるんだ‥‥」ぼくは声にならない声を上げた。精神に異常をきたしていたから、幾つもの『腹を裂かれて逆さまに吊るされた死体』を目の前にして、あんなに平然と歌が歌えたのだ。
「それともあの『風太郎先生』に、催眠術でもかけられているのか??」

ぼくが1ミリの行動も取れないでいるうちに、『謎の風太郎先生』とツジウラ ソノは、外壁の南東角(かど)の向こうへと‥姿を消して行った。

次回へ続く

お詫び
前回(200回)は、文章が全く不十分な状態のままアップしてしまい、後に二回ほど大幅に書き直させていただきました。アップした直後にお読みになった方々、宜しかったら再度、前回分から読んでいただくことをお勧め致します。申し訳ありませんでした。

悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (200)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その八十五

ぼくは、雑草が生い茂る地べたに突っ伏したまま、これからどういう行動を取るべきか考えていた。

正体不明の風太郎先生と彼に導かれたツジウラ ソノが、この巨大迷路の廃墟に向かっていたならば、先回りは出来たはずだ。ぼくの予想が外れていなければ、彼らは間もなくここに姿を現すに違いない。
今、自分から十数メートル前方に横長に連なる外壁(そとかべ)は、巨大迷路廃墟の南側にあたる。左に直角に回り込めば西側で、例の『林の中の道から見えた最初の赤い花』があった場所だ。そしてその正体である『水崎先生の腹を裂かれた死体』が逆さに吊り下げられていた壁で、ぼくが最初にそこを訪れた際、教頭先生の死体と、見知らぬ男女の死体も、後から次々とぶら下がっていった。
不思議なのは‥ぼくの頭の中にはどういう訳かそうやってここを訪れる以前から、巨大迷路の記憶がちゃんとあって、その記憶に間違いがなければ、西側とは正反対の、ここを右に回り込んだ東側に、巨大迷路の出入り口があるはずだった。
「巨大迷路の廃墟に用があってここに来て‥、中に入ろうとするなら、当然その出入り口を使うだろうな‥‥」
その出入り口とは、入口と出口が仕切り壁一枚で隣り合う形で設けられた形式になっていた。つまり入る時も出る時もここ一ヶ所、巨大迷路に出入りできる唯一(ゆいいつ)の場所なのである。
ぼくがここ南側の外壁の前で待ち伏せしていて、もし彼らが廃墟の西側に到着して、ぐるりと北側を通って東側に回り込んで行ったなら、ここだと見逃してしまうおそれがあることに気づいた。
「東側の‥出入り口が良く見える場所に移動しておくか‥」ぼくはそう呟いて、伏せていた草の地べたから身を起こそうとした。その時だった。

パシッ ザササッ サクッッ
ぼくのいる場所のすぐ左手の、丈の高い茂みの陰から、突然人が現れた。風太郎先生である。
ぼくは間一髪(かんいっぱつ)起き上がるのを止め、地べたの雑草の中にふたたび身を沈めた。
「‥‥‥‥‥‥‥‥」

ぼくは微動だにせず、上目遣いの眼球を動かすだけで、現れた風太郎先生の姿を追う。彼は、ぼくのほんの四メートル前をぼくに気づくことなく、横切る様に歩いて行った。幸運だったのは、彼の視線はここに現れてからずっと、十数メートル前方の廃墟の外壁に向けられていた。そして彼の通り過ぎた後、すこし離れて追随(ついずい)して来たであろうツジウラ ソノが、その姿を現した。

ツジウラ ソノも視線を廃墟に向けたまま、ぼくの四メートル前をぼくに気づかず横切って行く。一歩、二歩、三歩‥‥‥ にわかに彼女が立ち止まった。

すぐ後ろにいるぼくに気づいたか?! いや、そうではなかった。廃墟の外壁のあまりの『異様な光景』に、目と体が釘付けになってしまったのだ。彼女の後姿のリュックを背負った両肩が、ガクガクと震え出したのが見え、そうだと知れた。
当然だろう。普通の人間なら、卒倒しても不思議ではない。外壁のあちらこちらには、腹を裂かれて真っ赤な臓器をはみ出させた逆さまの死体が、いくつも吊るされていたのだから‥‥‥‥‥

ヒクッツ!
息が詰まる様な音がした。ぼくは、ツジウラ ソノが過呼吸の発作を起こしたのだと思った。彼女を救うため、すぐに地べたから起き上がって彼女に駆け寄り、彼女の手を掴んでこの場所から連れ出さなくてはならない。咄嗟(とっさ)にそう考え、ぼくは体を動かそうとした。

しかし、それはぼくの大きな勘違いだった。
次にツジウラ ソノから聞こえて来た音は‥‥ 紛れもない彼女の歌声 ‥だった。

次回へ続く