悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (282)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その百三十七

言いたいことは言わせてもらった。あとはおまえ次第だ‥‥‥

最後にやつはそう言って、ぼくを解放した。
気がつけばぼくは、セナの手を引いて、終わりのない直線通路をただ黙々と歩いていた。
自分の身体の頭のてっぺんから両足のつま先まで、元通りに意識が行き渡っていることを確認できたぼくは、すぐさまこの『無駄な前進』を中断すべく、セナに声を掛けた。
「 セナ! ひとまずストップだ!」
「 え?? 」
いきなりのぼくの指図(さしず)に驚いただけのセナだったが、ぼくは繋いでいた手を引き寄せて、彼女を立ち止まらせた。
「 そっ‥ そうね、ヒカリさん。この通路‥、何だかおかしいわよね?‥ 」
立ち止まったセナは、たった今我に返った様に三回瞬(まばた)きをして、ぼくに言葉を返した。

「 こんな、いつまでも真っすぐ続いている通路なんて、迷路の中に存在するはずは無いんだ。ぼく達はたぶん、何かの暗示に掛かっている‥‥ 」
「 何かの‥ 暗示?‥ 」
「 そうだ‥。例えば‥、この先辿(たど)り着く場所にはきっと良くない事が待っていて、だったら、このまま到着しない方がいいんじゃないかっていう迷いが‥‥そうさせているのかも知れない‥‥‥ 」
「 ‥‥それは、この先に『ヒトデナシ』が‥待ち構えているから? 」
「 そうかも‥知れないし、そうじゃないかも‥知れない‥‥‥ 」

確かにぼくは『ヒトデナシ』の存在を恐れていたし、やつから『ヒトデナシ』は『いつの間にか心に侵入していた異物』であろうという話を聞いてから、さらにその思いは増したかも知れない。しかし、例えそれがどんな相手でも、ぼくは『ヒトデナシ』に会わなければならない。会ってその『真の正体』を見極めなければならないのだ。
全てをぼくに託(たく)して意識の中から身を引いていったやつは、何よりも重要なアドバイスをひとつ‥くれていた。それは、この『限りなく続く直線通路』から脱出する方法のヒントでもあったし、『ヒトデナシ』としっかり向き合うことを後押ししてくれるエールでもあった。
それは、こんな言葉だった。

いいか! しっかり覚えて置くことだ。 今みたいに『どうにもならない状況』になったら、「 一体この先‥どうなるんだろう?と思いを巡らすより、「 この先は、こうなったらいいのに‥‥」と望んでみるんだ。とりあえず望んでみろ。この『気持ちの悪い世界』は、おまえのものだという事を忘れるな。
分かったな‥‥‥‥

次回へ続く

悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (281)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その百三十六

病院の廊下か‥‥‥
あの時‥、一体どこの病院の廊下を連想したのだろう?‥‥‥

振り返って見ると、娘のソラが保育所で突然気を失ってから、どれだけの数の病院を訪ねただろうか?
どれだけの数の病院の待合室で時を過ごし、どれだけの数の病院の廊下を歩いただろうか?

ソラの病(やまい)は、診断を受けてもはっきりとした病因(びょういん)を特定することの難しい、ゆえに治療方法、治療方針の定まらない、極めて厄介(やっかい)なものであった。
ソラを連れたぼくとセナは、幾つもの病院や診療所を訪れ、検査入院を繰り返した。心臓や血管、脳の専門医の診断を求めて遠出したことも、一度や二度ではなかった。 内因(ないいん)としての、体質遺伝やら先天的な循環器の奇形など、外因(がいいん)としては、未知の病原体による感染症や様々な食物 薬物によるアレルギー反応まで、あらゆる可能性が検査の対象となった。
しかし、数ヶ月が経過し一年を過ぎても、ぼく達家族は『胸を撫で下ろせる様な』十分な結果を得ることはできなかった。『藁をもすがる』思いで耳を欹(そばだ)てた医師の言葉も、差し出された検査数値も、何の答えにもならない、只々(ただただ)不安と不信感を募(つの)らせていくだけのものでしかなかった‥‥‥‥‥‥

そうやってソラとぼくとセナは、様々な病院の控室で呼び出しがあるまで待機し、新しい病院を訪れる度(たび)にその病院の‥右も左も分からない廊下を寄り添って歩いた。


右も‥左も‥ 分からない廊下か‥‥
迷路の通路と繋(つな)がるイメージだな。おまえが一瞬連想してしまったのも、無理はないか‥‥

ぼくは、セナと二人してソラを連れ、幾つもの病院を訪ね歩いた日々を、今更(いまさら)ながらに思い出していた。
しかしそんな、娘の病を何とかしようと妻と共に奔走(ほんそう)した日々は、全てが徒労(とろう)に帰したのだ。結局、ソラは救えなかった。
ぼくは、知らぬ間に泣いていた。そして、その流れる涙の中に、やるせない感情だけではなく‥、行き場のない『怒り』が内在しているのを、強く感じていた。

そうだな‥‥ 確かに、誰かを憎まずにはいられないおまえの気持ちは理解できる。例えそれが、どんなに理不尽(りふじん)な感情‥でもな‥‥‥‥

ぼくはその時、やつが共に涙を流してくれているのを、感じ取っていた‥‥‥‥‥

次回へ続く