悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (37)

第一夜〇タイムカプセルの夜 その二十二

翌日、委員長は学校に来なかった。

朝、先生が教室に入って来るなり委員長の欠席を告げ、副委員長である山崎に彼女の代行をするよう命じた。
「きり-つ!」「おはようございます」
山崎の号令で一日が始まった。俺はその日一日を、針の筵(むしろ)に座った心地で過ごすことになった。
委員長が休んだ理由は分からなかったが、おそらく俺のせいだ。そうに決まっている。このまま委員長が学校へ来なくなったらどうしょう‥‥‥‥‥そう考えていると、何も耳に入らないし手につかない。
気を紛らわそうと視線をさまよわせていると、誰かが目を逸らせた気がした。誰かが‥‥‥俺の様子を窺っている気がした。

こんな状態がいつまでも続いたら、とてもやっていけない‥‥‥‥‥
そう思い知らされた次の日、委員長は普段通りの様子でちゃんと登校して来た。
頭にヘアバンドはなかったが、何種類かのヘアピンで両耳が見える感じに髪をまとめ上げていた。はげを隠しているとは思えないほどおしゃれに見えた。
俺は心底胸を撫で下ろした。
ただ‥‥彼女に近づいたり、目を合わせたりすることが出来なくなっていた。気を引くような目立つ行動はやめた。もちろん、虫を仕掛けることはきっぱりとやめにした。
結局その時から小学校を卒業するまで、俺は委員長の1メートル以内に近づくことはなく、一言の口も利かなかった。

「‥‥‥‥‥‥‥」
「何か思い出してたのね‥‥」
黙り込んでいた俺の顔を、委員長が覗き込んでいた。
確かに思い出していた。今さら思い出したくもない記憶を‥‥。
辛く切ない記憶である。しかしこんなことを葬り去るために、俺はわざわざ校舎を丸ごと埋めて見せたと言うのか?‥‥‥‥‥

「話してみてよ‥」
「いや‥‥大したことじゃないんだ」
「‥‥‥そう‥」委員長はやけにあっさりと引き下がった。そして、気を取り直した様子で、「だったら、ポケットにある紙を見せてよ」と言った。
委員長はやっぱり忘れてなかった、隠して正解だったと思いながら、俺は即座にズボンのポケットの裏地を引っ張り出して見せた。「どうやら無くしたみたいなんだ。途中の廊下で落としたのかも知れない‥」とごまかした。
「‥でも覚えてるでしょ?なんて書いてあった?」
「‥‥・それは‥女子にはすごく失礼で下品な言葉だったんで、口にしたくない」
「ふーん‥‥‥あなたって意外と狡猾なところがあるのね‥‥‥‥」
委員長はやっぱり鋭い。俺の嘘はたぶん全部見抜かれてる。
委員長の視線から逃れるためわざとらしく教室を見回し、彼女から離れていった。
ポツンと空いた席が一つ‥‥‥やはりそこに目が止まった。俺の席だ。

まだ‥続きがある‥‥‥‥空席を見ているとそんな予感めいたものが頭を過(よぎ)った。
徐々に思い出して鮮明になっていった記憶だが、完全に忘れていたわけではない。嫌な記憶だったから、ただ遠ざけていた程度のものだ。
本当に忘れたくて校舎と一緒に地中深く埋め、俺自身が未(いま)だに思い出すことを許していない記憶‥‥‥そんなものがまだあるのかも知れない‥‥‥‥‥。

俺はゆらりと、自分の席に近づいていった。
俺が今あの席に座ったら‥‥‥、空席を埋めたなら‥‥、俺もこの人形達の一員になって、あの頃に戻るのだろうか‥‥‥‥‥‥
そしてすべてをを思い出し、俺への裁きは終わる‥‥‥のだろうか‥‥‥‥‥‥
俺はそんなことを考えていた。

次回へ続く

悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (36)

第一夜〇タイムカプセルの夜 その二十一

「こいつ、ハゲてやがんの!」

今振り返ると、どうしてそんな酷いことが言えたのか自分でも分からない。
ただ、委員長のとんでもない秘密を知ってしまって体が熱くなるほど興奮し、鬼の首でも取ったようなのぼせ上った高揚感の中に身を置いていたことは確かだ。

驚いて振り向いた委員長に対して、俺はさらにこう付け加えた。
「おしゃれの振りして、そのヘアバンドはハゲ隠しだったのか!」

付け損ねたヘアバンドを両手に絡めたまま‥‥目を大きく見開いて真っすぐこちらを向いたまま‥‥そのまま‥‥‥委員長は動かなくなった。
俺はこの時、きっと笑っていた。ニヤニヤが顔に張りついていたに違いない。
そう‥‥ほんの数秒後まで‥‥‥‥俺は笑っていた。

驚いている委員長の表情は変わらなかった。しかし、彼女の開かれた両目から大粒の涙が溢れ出し、頬を伝った。後から後から溢れ出て、頬を伝って落ちた。とめどなく、落ちていった。
一切泣き声を上げなかったし‥・しゃくり上げることすらしない‥‥・。委員長が泣いているところを初めて見た‥‥という以前に、そんなふうに泣く子供を見たのは初めてだった。悲しみを訴えているのではない。悲しみを悟られまいと堪(こら)えている‥‥‥堪えて、悲しみが去るのを待っている‥‥‥‥俺にはそんな風に見えた。
俺は、ショックに身を竦(すく)ませた。とんでもないことを言ってしまったのだとやっと気がついた。

校舎のどこかから喚声が聞こえる。囃し立てる声と馬鹿にした笑い。誰かと誰かがいつものようにふざけ合っている。
その時の俺はもはや彼らとは決して相容れることのない、別の世界の住人になっていた。
胸が苦しくなり、冷や汗が噴き出した。いたたまれなくなり、後ずさっていた。
この場を繕う術(すべ)など持ち合わせていない。俺が一方的に委員長に注目しているだけで、彼女は俺のことを「いつもふざけてばかりいる男子の一人」くらいにしか思っていないはずだ。二人だけでまともな言葉の遣り取りをしたことがないし、出来はしない。
逃げるしかないと思った。

カコッ‥・
乾いた木がコンクリートを打つ音がして、俺は振り返った。
渡り廊下に敷かれた簀の子の板が鳴ったのだ。簀の子の板を渡って、誰かが大急ぎで校舎側の出入口に駆け込んだように見えた。
もしかしたら一部始終を見られていたのかもしれないと焦りを感じ、結局これがきっかけとなった。俺は委員長に背を向け、全力で校舎の入口に向かって駆け出した。

「かばんを取って来て、そのまま帰ってしまおう‥‥今日はもうそれでいい‥‥・」
校舎の中うす暗い廊下で息を整えながら、俺は教室に戻ろうとしていた。三階までの階段を登るため近道の廊下を左に折れた時、塵取りと外箒を抱えた島本と出くわした。普段からほとんど話もしない奴だったので、声も掛けずにそのまますれ違った。

「たかが女の子を一人‥‥泣かしただけじゃないか‥‥‥‥‥」
俺は自分自身に何度もそう言い聞かせていた。

次回へ続く