悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (39)

第一夜〇タイムカプセルの夜 その二十四

頭の中の‥・机の上に落ちて来た喪失していたジグソーパズルのピースたちは、俺自身がそれを好むと好まざるとに関わらず‥‥、まったく着実に、一切澱むこともなく組み上がっていった‥‥‥‥‥
記憶の欠落部分は、予期せぬ人物の情報によって、近づく夕立の雨音の如く甦(よみがえ)っていったのだ。

それは小学生の時の記憶ではなく、高校生になってからのものだった。
俺とかおりが付き合い出してまだ間もない頃だから、おそらくは高校二年の初夏だと思われる。
昼休み。校庭の植え込みがうまい具合に他の生徒からの目隠しになってくれる、やや傾斜した場所の小綺麗な芝生の上、俺とかおりは並んで腰を下ろしていた。
かおりのお弁当をまず二人で平らげ、売店で買ってきた焼きそばパンを俺が、コロッケパンをかおりが食べた。飲み物は、かおりの飲んでいるペットボトルのお茶か水を弁当箱のふたに注いでもらって飲んだ。こういうことをしている時に、俺たちは付き合ってるんだなあと実感が湧いてくるものだった。
食べてる合間にする会話と言えば、はち切れそうな異性への好奇心を中々水に溶けそうもない分厚いオブラートで包んだような結果的に在り来たりの問いかけと、それに答えようと懸命に沈黙を埋めていく曖昧な形容をふんだんに盛り込んで音符だけで綴れそうな言葉たちだった。
そんな愚かしくも幸せな時間が、昼休みの終わる七分前まで続いた。

「そこ‥‥気になるのか?」
「‥うん」
かおりは教室に戻る前になると、手鏡を出して髪を整える。自然に流した感じのショートヘアーで彼女には良く似合っていたが、毎度必ず同じ部分を触る。左手で手鏡をかざし、右手を回して後頭部左上部分の髪の毛を触っている。
「ここ‥変じゃない?」
「いいや‥・」
「何かここだけ、生え方がおかしい感じなの」
見た目にはまったくおかしなところは無いが、彼女の言っている事にはちゃんと根拠があった。
「私‥小学校二年の時、転んで机の角に頭ぶつけてね‥・、ここを三針縫ったのよ」
「へー‥」
「病院でここをハゲができたみたいに剃られてね‥‥・、生えてきたのはいいんだけどその時からなんか生え方がおかしい気がして‥‥‥‥‥」
「そ‥そう」
話を聞いていてこの時俺の頭に浮かんでいたのは、紛れもない委員長の姿だった。突然の連想。再会であった。

かおりの話は続く。
「生えてこないよりいいかぁ。ホントのハゲはヒサンだもの」
「悲惨‥‥」
「女の子はね。中学の時のクラスの子、円形脱毛症になっちゃって辛そうだったよ」
俺はこの時、円形脱毛症と言う用語を初めて知った。後に高校の図書室で初めて調べ物をしたのも、この円形脱毛症についてであった。

次回へ続く

悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (38)

第一夜〇タイムカプセルの夜 その二十三

俺は自分の机に静かに両手をついてみた。すぐに腰かけなかったのは、椅子が思ったよりも小さく窮屈そうに見えたからだ。

「あ‥‥」委員長が声を漏らした。
彼女を見ると、天井に目をさまよわせ聞き耳を立てている。
「ど‥どうした?」
「‥‥・気のせいかしら‥・校舎の中の騒めきが、一瞬戻ってきたみたいに感じたの‥‥」
校舎の中に身を潜め、いたずらを仕掛けている幻影のような子供たち。委員長に叱りつけられ、すっかり鳴りを潜めていた彼らがまた蠢(うごめ)き出したと言うのだ。実際、俺が机に手をついた瞬間、教室の外の空気が独特の密度を持って廊下側の窓や壁をピシッと揺らせた気がした。
「ねえ!その椅子に座ってはだめ!もしかすると彼らは、あなたが来たことに今やっと気がついて騒ぎ始めているんだわ。あなたを歓迎して動き出したのよ」
「歓迎だって?」
「あなたが校舎を埋めた張本人なら、あなたこそがここを統(す)べる者なのかも知れない。校舎の中を彷徨(さまよ)う彼らの存在は、小学生の頃のあなた自身の投影のような気がする。あなたは彼らのやってることに理解を示していたもの。つまり、彼らにとってあなたが帰って来たことには大きな意味があるの。まるで王様が帰還したみたいにね‥‥。その椅子は玉座なのよ」
委員長の言っていることはすぐには理解できなかった。しかし、俺は取りあえず机に突いた手を引き、自分の席から離れた。すべてを思い出すきっかけになりはしないかと考えていたことだが、何か厄介(やっかい)な事態を招く可能性があるのならご免だ。

俺と委員長は、しばらく押し黙ったまま成り行きを見守った。
委員長の洞察と咄嗟の判断は正しかったようだ。教室の外の空気が、また静寂さを取り戻していた。
安堵とうんざりが綯い交ぜ(ないまぜ)になった感情で、俺はひとつため息を吐いて言った。「‥‥あいつらが俺自身の投影だとは思わないがな‥‥・」
「あら、そう?あなたの彼女のかおりさんだっけ、彼女もあなたは子供みたいないたずらが好きだって言ってたじゃない」
「か、かおりだあ?あいつはテキトーなこと言ってるだけだし。それにもう彼女じゃないから‥‥」委員長の口から、いきなりかおりの名前が出て来たので驚いた。そう言えば校庭にいた時、ふたりでこそこそと話してたっけ‥‥‥初対面のはずなのにと不思議に思っていた。
「かおりと‥何話してたんだ?俺の悪口か?」
「彼女が一方的に話してくれたのよ。色々と言ってたけど、決して悪口ではなかったわ。もしかしたらあなたと別れた理由だったかもしれないけど‥」
「な‥・何だよ?」
「時々、あなたが何を考えてるのか分からなくなるって言ってたかな?」
「ふん‥女がよく言いそうな台詞(せりふ)だなぁ」
ずっと憧れていた女性とする会話にしては滑稽だったが、こんな奇妙な状況下でする会話にしては平凡だった。

「くせ毛の部分の髪を触ってると‥‥触ってるだけなのに‥‥・急に不機嫌になって怒り出す‥‥とか‥‥・」
「え⁈」
「どう?心当たりない?」
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」
この時、俺の記憶の欠落部分の輪郭だけが一瞬、逆光のシルエットのように覗(のぞ)けた気がした。
それは、ジグソーパズルの最後のワンピースが嵌まる前の瞬間と言うより、行方知れずになっていたひと塊ほどのピースが、突然バサリと机の上に降って来た感覚に似ていた。

次回へ続く