第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その六十七
その『夢』の中で、妻は絶叫していた。
娘が消え失せた宙に向かって何度も何度も手を伸ばし、前のめりになって藻掻(もが)き、そして泣き喚(わめ)いた。
いつの間にか『夢』は終わっていたのだろうが、妻はやはり泣き喚いていた。夢と現実の境界を越えて、まるでその境目(さかいめ)が無かったかの様に、ずっとずっと泣き続けていたのだ。
なぜなら妻にとって『昼間の夢』は、ほとんどがやがて現実となってしまう、『予知の夢』だったのだから、妻はそのことを痛いほど身に染みて、承知していたのだから‥‥‥‥
妻が語り終えた『夢』の内容は、僕にとっても衝撃的だった。動悸(どうき)が激しくなっているのを、はっきりと自覚していた。
恐らく‥‥、それほど遠くない未来に、娘のソラの身に、予想だにしていない何かが、起こるのだ。
「‥‥ソラは‥」
僕は、泣き疲れてほとんど放心状態でカーペットの上に座り込んでいる妻に質問した。「夢の中であやとりをしていたソラは、今とは違う‥、少しは成長しているソラだったかい?」
「‥‥‥‥‥‥‥」妻は俯(うつむ)きぎみに一点を見つめ、しばらくの間黙り込んでいたが、やがて首を小さく横に振って言った。「今と変わらない‥‥、同(おんな)じソラだった‥‥‥」
その答えを聞いて、今度は僕が黙った。妻の見た『夢の暗示』が現実のものとなるのは、『夢』によってまちまちではあったが、すぐに『これだ これだったのだ』と気づかされるものもあった。妻の見た『夢の中のソラ』が、今と変わらないソラだったのなら‥‥、現実のソラの身に何かが起こってしまうのは、『近い』のかも知れない‥‥‥‥‥
居間のローテーブルの脇、ソファーにも腰かけず、妻と僕の二人はカーペットの上に直(じか)に座り込んだまま、ただ黙っていた。ただ黙って、僕はあらゆる不吉な事態に、考えを巡らせていた。
夢の中、ソラが『赤いあやとり紐に包まれて消えていく』というのは、いったい何を意味しているのか?そしてそれはいつ、娘の身に起こるのか?『終わる』と言う事はもしかしたら本当に‥‥‥‥
どれくらいの時間が経過していたのかは分からない。突然、家に備えてある電話機が鳴った。
僕は思考を遮(さえぎ)られ、妻は瞬(まばた)きを二つして我に返った。
鳴り出した電話はどうしたわけか三回のコールで途切れ、時を経ずして今度は僕の携えているスマートフォンが鳴り出した。きっと同じ人物が掛けている。たぶん、最初家電(いえでん)に掛けたが、この時間には誰も出ないことを思い出し、すぐに僕のスマホに掛け直したのだ。我が家の事情を多少なりとも承知ている人物が、慌てて僕たちに何事かを伝えようとしている‥と、僕は直感的にそう思った。
果たしてその連絡は、やはりソラがお世話になっている保育所からのものだった。
ソラが何の前触れも無く突然意識を失い、病院に救急搬送されたと言うのだ。僕と妻は目を見張り、互いを見つめ合った。
それが始まりで‥‥、ソラの命が『終わる』まで10ヶ月も‥‥無かった。
次回へ続く