悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (144)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その二十九

「わらべ‥‥てなあに?」
「童(わらべ)は古い言葉で、子供のことだよ」
「こどもだったら、ソラみたいな?」
「そうだね。でもここに出て来るのは、男の子かなぁ。男の子が、野原に咲いていたバラの花に心惹(こころひ)かれる歌なんだ」
「こころひかれる?」
「そう。すてきだなって思って、お花に恋をしてしまったのかも知れない‥‥‥」
「ふ‥うん‥‥‥‥」
「ソラにはまだ、ちょっと難しい歌かもしれないねぇ」
「ううん。ソラ、このおうた、すきみたい。きにいっちゃった‥‥‥‥‥」


ぼくは‥‥自分の目を疑わざるを得なかった。
出現した更なるその光景。すでに腹を裂かれて逆さまに吊るされていた水崎先生の隣に、同様に腹を裂かれて吊るされた教頭先生の変わり果てた姿‥‥‥‥‥‥‥

流れ出て体全体を染め上げている血は、まだ乾ききってはいない。水崎先生のそれよりはるかに新鮮なのが分かる。逆向きで万歳(ばんざい)をしているみたいに垂れ下がっている両手から、僅かに血の滴(しずく)が落ちて壁際の地べたに茂っている草を濡らした。思わず目を見張ってしまったのは、その両手に指が一本も残っていないことに気づいた瞬間である。十本ともほぼ根元から切断されていたのだ。水崎先生の場合は落ちていた携帯電話と関連づけて、電話をかけるのを阻止する目的で咄嗟(とっさ)に刃物で切りつけ、携帯を握っていた方の手の指を二本切断したのだろうと推測したが、十本全部となるともう意味が分からない。携帯電話も含めて手に何も持たせないし触らせないという『容赦のない警告』のつもりだったのだろうか?
いずれにせよ、二人をこんな目にあわせた者の『猟奇性』がはっきりと表れているのは間違いない。

教頭先生は何時(いつ)何処(どこ)で、こうなってしまう事態に遭遇したのだろう?
ぼくが芝生広場を後にした時、教頭先生は隣接する駐車場にいたはずだ。
‥‥‥もし、もしかしたらあの時‥‥‥かも知れない。ぼくが茂みの中で水崎先生の残した痕跡を辿っていた時、芝生広場の方から喚声とも悲鳴ともとれる賑やかな声が風に乗って聞こえてきた。あの時はそれをてっきり、タキやアラタたちがまた鬼ごっこでも始めたのだと思い込んでしまったのだが‥‥‥‥‥‥

物凄く‥嫌な予感‥が頭の中で渦(うず)を巻いた。すぐに芝生広場へ戻って、確かめる必要がある。
ぼくは後退りを始めた。出来るだけ音を立てない様に細心の注意を払って、ゆっくりと。巨大迷路の外壁(そとかべ)の向こう側には今も当の犯人がいて、こちらに聞き耳をたてている気がしたからだ。

ゆっくり、ゆっくりと後退りをするにしたがって、二人が吊るされている壁が少しずつ遠ざかって行く。
その不気味な光景を眺めながらぼくは、『不吉な連続性』を予見してしまった。
巨大迷路の外壁にはきっとこの後も、腹を裂かれた血まみれの逆さ死体がいくつもいくつも、吊るされていくに違いない‥‥‥‥‥と。

次回へ続く

悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (143)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その二十八

童(わらべ)はみたり 野なかの薔薇(ばら)
清らに咲ける その色愛(め)でつ

「‥‥‥‥‥‥‥‥」
ぼくは言葉を失い‥‥、ただそれを見上げていた。

飽かずながむ 紅(くれない)におう
野なかの薔薇

それは、ツタの葉で覆われた巨大迷路の北側の外壁(そとかべ)にぶら下がっていた。
2メートル余りある外壁の上部に、両足を向こう側に折るかたちで、つまり‥鉄棒に膝を曲げて足だけでぶら下がっているみたいに‥、二本の手をだらりと垂(た)らしてぶら下がっていた。
目と口が開いたままの逆さまの顔がこちらを向いている。当然垂れ下がっている長めの髪の毛は、明らかに女性のものである。しかし、誰であるのかが判別できない。判別を困難にしていたのは、全てが赤く染まっていたからだ。
恐らくは血の赤が、流れ出した血液が、逆さまの上半身を染め上げたのだろう。

しかし、ぼくが第一印象で女性の体を『大きな赤い花』だと感じたのは、赤く染まった上半身を見たからではない。大きな赤い花は、女性の腹部あたりにその大輪を咲かせていたのだ。
腹が見事なまでに切り裂かれていた。内臓が、大腸と小腸が、今にも溢(あふ)れ落ちんばかりにそこから顔を出している。とぐろを巻いた大小の腸。そのピンク色のぐるぐるに、赤い血が絶妙な彩色(さいしき)で絡(から)みつき、幾重(いくえ)もの花弁を持つ正(まさ)しく『大輪の赤い薔薇』が仕立て上げられたのだ。

「やっぱり‥‥‥水崎先生‥‥なのか‥‥‥」ぼくの目線はいつしか、女性の垂れ下がった左手の上で止まっていた。その手の人差し指と中指が、途中から欠落していた。
ぼくは小刻みに震えている手をポケットの中に入れ、拾った二本の指を取り出してみた。しかし、もはやそれが何の役にも立たないことを悟り、力が抜けたみたいに、ポトリ、ポトリと、足元に落とした。

ぼくは考えてみた。
人の腹を裂き、壁に逆さまに吊り下げることに、何か意味があるのだろうか?
当然‥答えは出ない。当たり前だ。ただ痛いほど感じ取ったのは、水崎先生をこんな目に遭わせた犯人の狂暴性と、ぼくとみんながいるこの場所の計り知れない危うさである。

「手遅れにならないうちに、このことをみんなに知らせないと‥‥」
そうだ、そうなのだ。もはや悠長(ゆうちょう)にこの遠足の継続を願ってばかりもいられない。教頭先生にも進言して、一刻も早く迎えのバスをよこしてもらおう。

ぼくがそんな判断を下して壁の前から退こうとしたその刹那(せつな)、外壁の向こう側で何かが動く気配がした。
ドスン!ドスバシ!バサリバサササァァーッッ
壁にぶら下がっている水崎先生の赤い花(死体)の隣に、新たな赤い花がぶら下がった。
やはり腹を裂かれ、血でまみれた逆さまの人間‥‥‥‥‥‥
だが、今度はそれが誰であるのかすぐに分かった。

メガネは外れてはいたが間違いなく‥‥‥、教頭先生だった。

次回へ続く