悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (67)

第二夜〇仮面 その十一

「‥・私は楽などしていません。一生懸命生きているだけです‥‥‥‥‥」
私は、漸(ようや)くそれだけの言葉を絞り出した。
涙は止まっていた。一滴たりとも、もう込み上げては来なかった。私の心を占める感情が、さっきまでのみんなにもう会えないと言う単純で分かり易い悲しみから、複雑でかなり深刻な痛みに変貌してしまっている事に気がついた。何故か頭の中には小学校の頃の、誰とも馴染めず教室で一人でいる自分の姿がぼんやりと浮かんでいる‥‥‥‥。

店の中に流れている音楽がいくつかの楽曲を経て、いつの間にかショパンの「別れの曲」に変わっていた。
そのピアノの旋律に抗(あらが)う事のない絶妙のタイミングを見計らって、私を気遣う様に、おじいさんが語りかけてきた。
「‥・以上の推論が、現時点であなたにお話しできる全てです。あなたには結果的に辛い思いをさせてしまったかも知れない‥‥。しかし落ち着いて考えてみて下さい。今回この地でもたらされた変化は、これからのあなたがより理想的な生き方を見い出していく為の試金石(しきんせき)となるものではないでしょうか?」
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥」私は何の言葉も返せない。ただ顔を上げて、虚ろな目でおじいさんを見ているだけだった。
「気休めを言ったつもりではないのですが‥‥‥すみません、謝ります。あなたにとっては大きな試練となるのかも知れないのですね‥‥・」おじいさんはそう言って、謝罪の意を示す様に丸眼鏡の奥の両目を静かに閉じた。

相談は終わった。それが好むと好まざるとに関わらず、おじいさんからの信頼できる情報は得られたわけだ。
私は椅子からゆらりと立ち上がり、おじいさんに深く頭を下げた。「ありがとうございました」とお礼の言葉を発したつもりだが、無言だったかも知れない‥‥。
机の上に置いてあったみんなの顔を回収してリュックに入れ、再び頭を下げておじいさんに背を向ける。覚束(おぼつか)ない足取りで出口に向かった。
遠ざかる途中、背を向けていたはずのおじいさんが、まるでその役目を終えたとでも言う様に店の奥の薄暗がりに溶けて消えていくのが見えた‥‥‥‥‥

 
どれ位の間‥店にいたのだろう?
私は骨董屋を出て立ち止まり、スマホを手に取った。もちろん時刻を確認するためだったが、この期に及んでもまだみんなから、何らかの通信が入っていやしないかと言う微かな期待もあったのだ。
しかしその期待は見事に打ち砕かれた。履歴どころか、時計さえ見る事が出来なくなっていた。ディスプレイに表示されるはずの文字や数字、並んでいるはずのアプリの絵まですべてが文字化けしたみたいに(いや、もっとそれ以上の状態だ)、判読判別不能になっていたのだ。
「ああ‥‥‥」私は絶望の呻(うめ)きを漏らした。おじいさんの指摘した「友達を認識で出来なくなった」とはまさにこんな事までを言うのだと、そしてその状況は刻々とわが身に降りかかってくるのだと痛烈に実感した。
全身から力が抜けていき、ガクリと膝をついていた。

みんなが‥‥、私の大切なたった一つの居場所が‥‥‥、私にそっぽを向いた。
一生懸命作って来たのに、育てて来たのに‥‥‥‥‥、また爪弾(つまはじ)きの独りぼっちだ‥‥‥‥‥‥
頭の中にまた、小学校の教室で一人でいる自分の姿が浮かんだ。

「間違っていたんだ。取り繕ってばかりいたから‥‥‥‥」
「間違っていたんだ。生きる方法自体が‥‥‥‥」
「全部自分のせいじゃ‥ないか‥‥‥‥‥‥‥‥」
どこからか、そんな声が聞こえて来た。

次回へ続く

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