悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (40)

第一夜〇タイムカプセルの夜 その二十五

自己免疫が正常に機能しなくなり、体が自分の組織を攻撃した結果、円形状(十円玉大)の脱毛が起こる自己免疫疾患の一つと考えられるが、詳しいメカニズムはまだ分かっていない。発症の誘因として、ストレスや過度の疲労、睡眠不足などがあるといわれている。
「円形脱毛症」については、おおよそそのようなことが書かれていた。

かおりに髪の毛の話を聞かされた二日後、俺は、学校の図書室で医学書を捲り、パソコンで検索した。
俺をそこまでさせたのは、小学生のままのあの時の委員長の姿が頭から離れなくなっていたからである。
もし委員長の「はげ」が円形脱毛症だったなら、俺は彼女の病気をからかい、笑いものにしたことになる。ただ女の子を泣かせたのとは随分意味合いが違ってきて、きっと自分が許せなくなる。要するに俺は、委員長が円形脱毛症ではなかったという反証が欲しかったのだ。
しかし、調べれば調べるほど事態は俺の期待したものからどんどん遠のいていった。まるで、良心の呵責(かしゃく)に苛(さいな)まれながら彷徨う永遠に答えの出ない迷路の中に、自ら身を置いてしまった気がした。
俺が酷く気になったのは、発症の誘因として挙げられていた「ストレス」という文字である。俺はもはや小学生ではなかった。情報として、或いは自らの感覚から、ストレスがどいうものかある程度は知っていた。
かおりの話に出てきた円形脱毛症を発症した中学時代のクラスの女の子は、明らかに家庭に問題があった様子で、両親の離婚を機に学校から居なくなったそうだ。なんらかのストレスがその子の精神を蝕んでいたことは想像に難(かた)くない。
だったら委員長はどうだったのか‥‥‥‥‥。
実は‥・怖ろしい光景が俺の頭の中に‥‥浮かんでいた。

委員長の‥・机の上、机の中、バッグや道具入れの中、ノートや教科書のページとページの間、筆入れのペンとペンとの隙間、上履きの中‥‥・に蠢(うごめ)く‥‥虫、虫、虫、虫‥‥足がもげた虫、ドロリと潰れた虫、グシャリと死んだ虫‥‥‥‥‥

俺はいたずらで、いったいどれだけの虫を委員長に仕掛けたのだろう‥‥‥‥‥。
俺はもはや小学生ではなかった。高校生になるまでに何人もの虫を苦手とする人間に会って来たが、彼らがどれほど虫を嫌悪しているのかを知った。知るたびに自分の認識を新たにせざるを得なかった。
誰にも咎(とが)められず、明るみに出ないのをいいことに、愚かにも一年以上に亘(わた)って俺は委員長に虫を仕掛け続けたのだ。

俺が仕掛け続けた虫は‥‥・委員長の強いストレスになってはいなかったのか?
委員長が実際円形脱毛症になっていたとしてその誘因となったのは、毎日あちらこちらから現れ、時には家に帰ってからもバッグの中から出現する虫によるストレスではなかったのか?
もしこの問いが当たっていたのなら俺は、自分が憧れていた女の子にはげを作らせ、そのはげをからかい笑いものにして泣かせた、最低の男と言うことになる!
俺は大声で叫び出したくなった。

パタリと本を閉じる。クリックしてログアウトする。俺は図書室を出た。
もうたくさんだ。小学生の俺は今の俺ではない。振り返って今更何になる。何ができる。何もできやしない。考えるだけ無駄じゃないか。もうたくさんだ。二度と考えるな。二度と考えなくていい‥‥‥‥‥‥。
今が大事なんだ。それでいいじゃないか。

以上が‥‥‥俺が思い出したすべてだ。校舎を地中深く埋めた理由が分かったような気がした。

次回へ続く

悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (39)

第一夜〇タイムカプセルの夜 その二十四

頭の中の‥・机の上に落ちて来た喪失していたジグソーパズルのピースたちは、俺自身がそれを好むと好まざるとに関わらず‥‥、まったく着実に、一切澱むこともなく組み上がっていった‥‥‥‥‥
記憶の欠落部分は、予期せぬ人物の情報によって、近づく夕立の雨音の如く甦(よみがえ)っていったのだ。

それは小学生の時の記憶ではなく、高校生になってからのものだった。
俺とかおりが付き合い出してまだ間もない頃だから、おそらくは高校二年の初夏だと思われる。
昼休み。校庭の植え込みがうまい具合に他の生徒からの目隠しになってくれる、やや傾斜した場所の小綺麗な芝生の上、俺とかおりは並んで腰を下ろしていた。
かおりのお弁当をまず二人で平らげ、売店で買ってきた焼きそばパンを俺が、コロッケパンをかおりが食べた。飲み物は、かおりの飲んでいるペットボトルのお茶か水を弁当箱のふたに注いでもらって飲んだ。こういうことをしている時に、俺たちは付き合ってるんだなあと実感が湧いてくるものだった。
食べてる合間にする会話と言えば、はち切れそうな異性への好奇心を中々水に溶けそうもない分厚いオブラートで包んだような結果的に在り来たりの問いかけと、それに答えようと懸命に沈黙を埋めていく曖昧な形容をふんだんに盛り込んで音符だけで綴れそうな言葉たちだった。
そんな愚かしくも幸せな時間が、昼休みの終わる七分前まで続いた。

「そこ‥‥気になるのか?」
「‥うん」
かおりは教室に戻る前になると、手鏡を出して髪を整える。自然に流した感じのショートヘアーで彼女には良く似合っていたが、毎度必ず同じ部分を触る。左手で手鏡をかざし、右手を回して後頭部左上部分の髪の毛を触っている。
「ここ‥変じゃない?」
「いいや‥・」
「何かここだけ、生え方がおかしい感じなの」
見た目にはまったくおかしなところは無いが、彼女の言っている事にはちゃんと根拠があった。
「私‥小学校二年の時、転んで机の角に頭ぶつけてね‥・、ここを三針縫ったのよ」
「へー‥」
「病院でここをハゲができたみたいに剃られてね‥‥・、生えてきたのはいいんだけどその時からなんか生え方がおかしい気がして‥‥‥‥‥」
「そ‥そう」
話を聞いていてこの時俺の頭に浮かんでいたのは、紛れもない委員長の姿だった。突然の連想。再会であった。

かおりの話は続く。
「生えてこないよりいいかぁ。ホントのハゲはヒサンだもの」
「悲惨‥‥」
「女の子はね。中学の時のクラスの子、円形脱毛症になっちゃって辛そうだったよ」
俺はこの時、円形脱毛症と言う用語を初めて知った。後に高校の図書室で初めて調べ物をしたのも、この円形脱毛症についてであった。

次回へ続く