悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (29)

第一夜〇タイムカプセルの夜 その十四

「お‥女の子の‥‥‥‥声だ‥‥」俺は言った。
「‥・そうかしら?私には変声期前の男の子の声に聞こえる‥‥・」委員長は言った。
目を閉じて、もう一度ふたりして聞き耳を立てた。

余りにも微かで判別するのは難しいが、すすり泣く声が子供のものであるのは間違いない。
「‥‥もっと近づいて確かめるしか‥・なさそうね」
委員長と俺は、連絡通路からの突き当りの廊下を右へ、声がする方向へと歩き出した。

「泣き声の子は‥‥悪意の犠牲者かもしれないわね‥‥・」さっきまでと同じで、やはり俺の前を歩いている委員長が言った。
「‥‥‥‥‥」俺は答えなかった。別のことで頭の中がいっぱいになっていたからだ。
俺は自分を疑い始めていた。
グラウンドで‥‥みんなの前で‥・島本が指摘したように、このもう一つの校舎を埋めたのは俺自身なのかもしれない‥‥‥・と。
もちろん身に覚えはない。しかし、いつか遠く闇の中へ追いやって見えなくなった記憶が、突然ぼんやりとその輪郭を取り始めることがある。今がそんな感覚で、疑わしい記憶が、委員長と行動を共にする間に、徐々に焦点を結びつつあった。

「子供が泣いている場所まで行けば、この悪意の巣窟を統(す)べるものの正体を突き止められるかもね‥」委員長は言った。
「‥‥‥‥‥‥」今度も俺は答えなかった。
委員長が、俺を誘導しているように思えてならなかった。これではオブザーバーと言うより、ナビゲーターだ。
やはり彼女には、何かの意図があるのだろうか‥‥‥

前方、廊下の左手に、上へと通じる階段が現れた。
委員長が立ち止まり、俺も立ち止まる。
すすり泣きがさっきよりも幾分明瞭になった。明らかに階段、階上のどこかから反響気味に聞こえてくる。
この階段を三階まで登れば、六年生の教室が並んでいるはずだ。少なくとも俺たちの在学中はそうだった。
委員長と俺は顔を見合わせた。

「‥‥行くわよ」委員長が一段目に足を掛けた。

「ちょっと待ってくれ」
「ど‥・どうしたの?」
「何か‥‥違和感を感じるんだ‥‥‥‥」
委員長は足を引き、真っすぐに俺を見た。

俺はこの時、随分と疑り深くなっていたし、妙に頭が回った。
「この校舎の入り口を見つけた時から思ってたんだが‥‥‥、本当に三階はあるのか?」
「どういうこと?」
「入り口があったから、校舎も丸々土の中に埋まってるんだろうと思い込んでないか?入り口を掘り当てたのは、地上からせいぜい五、六メートルの深さだった。もしこのもう一つの校舎が三階建てなら‥‥、屋上と三階部分は、グラウンドの土の外に出てたはずだ」
「‥‥‥そ、その通りね」委員長は頷いた。

俺は委員長の眼差しをしっかりと受け止めていた。さらに説明する。
「それに‥‥・ここが、何かを隠したり封じ込めるために埋められた場所なら、肝心なものはもっと深い所へ埋められてる気がする‥‥‥」
そして最後に、こう付け加えた。
「俺なら‥‥そうする」

次回へ続く

悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (28)

第一夜〇タイムカプセルの夜 その十三
校庭のそこかしこで蝉がまだ鳴いている。
夏休みは終わったというのに、蝉たちだけがまだ休みの続きを謳歌している気がして羨(うらや)ましかった。

小学六年生の二学期の始まりの日、夏休みの宿題と一緒に気怠さを抱えて教室に入った俺は、すでに席に着いて周りの女子と言葉を交わしている委員長の姿に、思わず目を奪われた。
委員長が、ヘアバンドをしていたのだ。
運動会でリレーの選手に選ばれた委員長の赤いはちまき姿を見たことはあったが、そんな彼女を見るのは初めてだった。光沢のある深い青色で幾らか幅広のそのヘアバンドは随分とおしゃれで、何よりも彼女によく似合っていた。
クラスのみんなが注目しているのが分かる。俺はドキドキした。そして何故だか、気後れする自分を感じた。
それは、彼女の品格をより際立たせる効果を持つ絶妙のアイテムだった。

委員長がおしゃれしようがしまいが、俺のすることに何ら変わりはない。俺はそう強く思った。必ずもう一度彼女の「あの表情」を引き出して、彼女も俺たちと同じ小学生だということをしっかりと確かめてやる。

その日の学校でのスケジュールは「帰りの学活」を済ませて、後は割り当てられたそれぞれの場所を掃除して下校するだけとなった。
掃除にかかる前に俺は、早速委員長に仕掛ける虫を仕入れようと、校舎と体育館を繋ぐ渡り廊下に出た。
手入れのされた中庭に、雨除けの屋根の下を簀の子の板が数メートル敷いてある。花の時期がとうに終わったツツジ 紫陽花が建物沿いに低い垣根を造り、桜の木が三本、緑の葉を茂らせていた。ここなら上履きを履いたままで、適当な虫を見つけられそうだった。
渡り廊下から外れ下草に足を踏み入れた時、桜の木の陰に誰かいることに気がついた。
「ん?‥」

よくよく見てみると‥‥そこに立っていたのは紛れもなく、委員長であった。

 

「ねえ‥・」

委員長の呼びかけで俺は我に返った。
振り向くと委員長は、床に撒かれた画鋲を靴できれいに搔き分けながら通り抜け、画鋲が途切れたあたりの廊下の先にすでに立っていた。
掲示スペースにあった一枚を剥がして隠したことを委員長が気に留めていない様子に、俺はほっと胸を撫で下ろした。
「い‥今行くよ‥‥」

委員長が作ってくれた道を辿って彼女のところまで行く。
連絡通路は終わり、次の棟の廊下が左右に、何の障害物も無くひらけていた。
「‥ねえ‥‥聞こえない?」委員長が廊下右手の前方を目を細めて見ながら、小声で言った。
俺は耳を澄ませた。「‥‥‥‥‥‥」

幽(かす)かだが‥‥‥確かに聞こえた。
誰かがいとも悲し気に‥‥すすり泣いて‥いた。

次回へ続く