悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (209)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その九十四

カサ‥ コソッ‥カサ‥ トッ‥トッ‥トン‥‥
迷路の仕切り壁一枚隔てて、確かに人が動いている気配がする。
どうやら‥壁に手を這(は)わせたり突くかしながら、ゆっくりと移動しているらしい。そんな、微(かす)かな、壁との摩擦音が‥、伝わってくる。

ぼくと高木セナは進行方向右手側の仕切り壁に視線を向けたまま、その場で一切の動きを止め、耳を欹(そばだ)てていた。
トッ‥ カサ‥ トン‥トン‥ トッ‥‥

壁の向こう側にいるのは一人で、それに決して上背(うわぜい)のある人物ではなさそうだ。おそらく、子供がひとり‥‥。伝わってくる音を感じ取りながら、そう思った。
ぼくは高木セナに目配(めくば)せし、前に進む意思表示をした。彼女が頷(うなず)く。以心伝心(いしんでんしん)、ぼく達は息を殺してゆっくりと、そして素早く、壁伝いに前進を再開した。
通路の次の分岐(ぶんき)を右に曲がる。それで『人の気配がしている場所』の通路にすぐにつながるわけではなかった。そのまま通路を今度は左に曲がり、次にまた右に曲がった。ぼくは『人の気配がしている場所』を意識しながら、頭の中に予想できる何通りかの『迷路の俯瞰(ふかん)図』を描いていた。右に左にやや遠回りのかたちだが、着実に目当てのその場所へと近づいていった。
「ぼく達より先にここに入った内の一人が、迷って彷徨(さまよ)ってるのだとしたら‥‥」ぼくは声を潜(ひそ)めて高木セナに言った。「出会えればその子から、何か役に立つ情報を聴き出せるかも知れない」
そして、「次の角を右に曲がったらいよいよだ」と伝えて黙った。高木セナはコクリと大きく頷いて見せて、体全体を緊張させて身構えた。

ぼく達は当然、角の手前で立ち止まった。
「‥‥‥‥‥‥」ぼくは高木セナを背後にまわし、そーっと自分の首だけを伸ばして、角の向こう側を覗き込む。

えっ?
その場所にいたのは、まったくの予想に反した人物だった。
「アラタ‥ か?!」

立っていたのは‥、葉子先生の指示を受け逃げようとしていた林の中の道の途中で、タキや他の数人と共に何処(いずこ)ともなく消え失せたのだとモリオから聞かされていた、『アラタ』だった。
しかし次の瞬間、ぼくが驚いて目を見張ったのは、出会った人物がアラタだったからだけではなかった。アラタが右手に『人の腕』を握っていたからである。そしてどうやらその腕は『アラタ自身の左腕』であるらしく、彼の体の本来左腕が伸びているべき場所は、千切れたか捥(も)ぎ取られたみたいに、中ほどからふっつりと途切れていた。

当然アラタの体のあちらこちらは‥‥ 彼自身の流してきた血と幾千の飛沫(ひまつ)で真っ赤に‥ あるいはどす黒く染まっていた。

次回へ続く