悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (75)

第二夜〇仮面 その十九

神社を後にして山道を100メートル余り進むと、右側に石段が現れた。
『胎内くぐり』の文字と、斜め上方を向いた矢印が描かれた看板が立っている。
私は石段が延びる右の小山を見上げた。

頂上付近に茂る樹木の隙間から、白っぽい岩肌が確認できる。間違いない、あれが胎内くぐりの洞窟のある場所だ。
「以外に近かったんだ‥‥」私はほっとした。これなら日が暮れきるまでに何とか到着して体験できそうだ。
石段は山道同様に良く整備されていて、敷き詰められた平らな石の一つ一つが幅広く、段差も緩やかで上がりやすかった。木材に見せかけたコンクリート製の手摺りも、所々にいい感じで設置されている。
ところが登り始めてみると、緩やかな分ジグザグに何度も折り返し、頂上に到着するまでに百段は優に超える数の石段を踏破しなければならなかった。アニメ「天と地と僕と」で、ワタル少年があちこち擦り剝きながらよじ登っていった急勾配の坂道のイメージはないものの、本来(観光地として整備される前)は、人を遠ざける神聖な場所であったろう事は、時間を惜しんで急ぎ足だった私が登っていくだけで完全に息が上がってしまった‥さながら修行苦行を体験している様な実感から、まさに身に染みて理解できた。

「ぶはあぁァァ‥‥・」石段を登り切った私は、もう一歩も動けない立ちん棒になった両膝に両手を突いて地べたを見つめ、呻(うめ)き声を漏らした。そして、息を整えながらゆっくりと顔を上げる。眼前には考えていたよりも遥かにどっしりとした質量を持った奇岩がそびえ立っていた‥‥。
もっともそれは一つの岩からなるものではない。大小様々な大きさの岩がいくつも組み合わさって、奇妙奇天烈(きみょうきてれつ)な様相の岩山を構成しているのだ。その岩と岩の合わせ目に微妙な隙間ができて、人が何とか通り抜けられる様になった空間がつまり「胎内くぐりの洞窟」だ。
入口はすぐに分かった。左斜めに20度程傾いた細い縦長の三角形。幅は1、5メートル、高さは岩と岩の合わせ目まで含めると3メートルはある。しかしそれは入口だけで中は窮屈そうだ。覗き込もうと近づいてみると、右わきに案内看板が建っていた。「胎内くぐり」の謂(いわ)れと体験する際の注意書きが長々と記されている。謂れは骨董屋のおじいさんの解説で十分だったので、注意書きに目をやり、私はそれを声を出して読んでみた。
「12歳未満の方、体調のすぐれない方は入洞を控えて下さい‥‥。大きな荷物を持っての入洞はできません‥・。汚れても良い服装で入洞しましょう。一人ずつ、間隔を空けて入洞しましょう。洞窟内で大声を出したり、ふざけるのはやめましょう‥‥‥」横書きの文章を読みながらだんだん目線を下げていく‥‥。と‥、看板の支柱の根元に、何かカラフルでガサガサしたものが絡んでいるのが視界に入ってきた‥‥‥‥‥

「はっ」

私はそれを素早く拾い上げまじまじと見つめた。お菓子の!包み紙だった!実奈が捨てたお菓子の包み紙だ!
「実奈!みんな!」振り向いて洞窟の入口に向かって叫んでいた。
もう間違いない。みんなは確かにここに来ている。
私は勇んで洞窟の暗闇に身を投じていった。

次回へ続く

悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (74)

第二夜〇仮面 その十八

私には‥・、何が本当の自分の気持ちだったのか分からなくなる事がよくある。
友達が欲しいと思った時も、ずっとひとりでいるのが寂しかったからなのか、単なる学校での社会性が必要だったからなのかが今ではもう分からない。結果的に集団に属する事に成功し、それをできるだけ良好な状態で維持しようと心掛けてきたわけだが、居心地の良さは感じるものの、中途半端な生温(なまぬる)さや緩慢(かんまん)な従属感が絶えずつきまとい、果たしてこれが本当に「自分の欲していたもの」だったのかを疑う事も頻繫(ひんぱん)にあった。更にはその疑いも、時が経てば経つほど風化していくみたいにどうでもいいものになっていき、人はこうしてすべての物事の「最初の意味」を忘れていって、習慣としての日常に埋没してしまうのだろうと、世の中の道理の一部を垣間見ている様な気になった。現に私が「ポイ捨てゴミを見過ごせないでゴミを拾う女」になって、今もそれを実行し続けている事にはもはや意味など無い。悲しいかな、考えるより先に体が勝手に動いてしまっているのだ。
苦悶の中にいた中学時代だったらきっと、何もかもすべてを破壊してどこかに葬ってしまいたい衝動が突然何の前触れもなく湧きあがってきて、その気持ちを抑えるのに四苦八苦していた事だろう。今もそう言う衝動はあるにはあるが、集団での高校生活と言うものをある程度享受(きょうじゅ)してしまった分、あの頃とは比較にならないくらいちっぽけで、角砂糖一つ壊せやしない代物になり果てた。
しかし‥‥、そんなみんなとの毎日が、いざこうして「みんなを認識できない」と言う予想だにしない事態に陥ってみると、みんなの存在の意味が改めて分かった気がする。私は酷く感情的になっているし、悲しんでいる。どうしていいか分からなくて途方に暮れている。
私はやっぱりみんなが好きだったんだ。みんなとの生活を失うのが耐えられそうにないんだ‥。
この気持ちは偽りでなはなく、本当の自分の気持ちである‥気がする‥‥‥‥‥‥‥

夕暮れはすでに始まっていた。
考えていたより長居をしてしまったみたいだ。

私は沼に、社殿に‥、今度こそ背を向け歩き出した。
背中のリュックが軽くなった意味を知りつつ足を速める。スカートのポケットに手を突っ込んで、中に入れてあったお菓子の包み紙を握りしめ、懸命に足を運ぶ。辺りが明るいうちにどうにか、胎内くぐりの洞窟に辿(たど)り着きたかった。その行動がまったくの矛盾の中にある事は分かっていた。過去の認識の象徴である「みんなの顔」を沼に沈め、新しい認識の到来を祈願してきたばかりなのに、今は「実奈が捨てていったお菓子の包み紙」だと信じるゴミ屑をポケットの中でしっかりと握りしめている。先を急いで、「並行世界」にいるかも知れないみんなを追いかけ、胎内くぐりの洞窟に向かっている。矛盾しているからと言って、このままみんなを認識できないでいる集合場所に帰って、祈願が成就するのを大人しく待ち続けるなんて事は無理だ。並行世界の何かの齟齬(そご)でみんなと接触できる可能性があるのなら、その一縷(いちる)の望みにしがみつくのは当然の行動だ。
私はひるこ神社の敷地内から元の山道に戻るべく、境界にあたる鳥居を抜けた。

ゲボゴ‥コ‥‥ココ‥‥‥‥‥

私は振り向いた。
空耳ではない。今確かに、沼の方から何かの鳴き声の様なものが聞こえた。
「‥何?‥‥‥何だろう‥‥‥‥‥‥‥」
遠くなった沼の水面に波紋などの変化は確認できない。
沼の水の中は見る限り藻が控えめに繁っている程度で、魚や亀どころか‥貝一つ見つけられなかった。水がきれい過ぎる環境は返って生きもの繁殖には適さないのかも知れない‥‥、泡が出ていたのはきっと湧き水の流れのせいだろうと勝手に納得していた。

「カエル?‥だったのかも‥‥‥」
私は、それ以上は考えるのをやめにして、沼から目を背けた。
そしてもう振り向く事なく、胎内くぐりの洞窟目指して山道を歩いて行った。

次回へ続く