悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (261)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その百四十六

内なるぼくの導き‥なのだろうか?
歌は、ぼくを誘っている‥と思った。

「 手折(たお)りて行(ゆ)‥かん‥ 野なかの薔薇(ばら)‥‥ ‥ 」
ぼくはそう呟(つぶや)いて、すっと右手を被せるようにして触れていた‥壁の『赤い音符』を、指と指の隙間から眺めた。
明らかにシューベルト作曲の譜面をなぞって配置されていた『赤い音符』の一番おしりの二音。たっぷり血の付いた『切断した腕のスタンプ』で押された様子の、厚みのある血の塊(かたまり)だった。そしてその二つの血の塊の部分部分から、重力に抗しきれずに壁伝いに垂れて行った赤い筋が二本。いずれも、血はすでに乾ききっていて、贅沢に使われた油絵具のごとく、壁にしっかりとへばりついていた。
音符が花なら、垂れて行った筋はまるで花の茎(くき)だった。『二輪の赤い薔薇』が、板の壁から浮き出しているみたいにほくには見えた。

本当にこの花を‥‥ 摘(つ)める‥かも 知れない‥‥

それは、予感めいた感覚だった。
「 ‥手折りて行かん‥‥ 」ぼくはもう一度そう呟くと、壁の『赤い音符の花』に被せていた右手を、ゆっくり‥ゆっくり‥と下げて行き、『筋を引いている花の茎』のすぐ横で静止させた。
「 手折りて‥行かん‥ 」ぼくは、覚悟を決めたみたいに目を瞑(つむ)る。
「 手折りて‥行かん」そしてそっと、指を『花の茎』に回り込ませるイメージで、あるはずの壁板を意識すること無く、指を前方にやはりゆっくりと差し込んで行った‥‥‥‥

「 ‥‥‥‥‥‥‥‥ 」
すでに右手指先を十数センチ前方へ、突き出している‥はずである。しかしここまで動かしても、指先が壁板(かべいた)に触れてはね返される感覚が‥‥一向(いっこう)にやって来なかった。
この世界、理にかなっていない現象が起こり得(う)ることなど、最初から織り込み済で取った行動だった。ここで包み込む様に指を内側に曲げて手前に引けば、あの血の筋でできた『花の茎』が『赤い音符の花』共々、すっぽりと右手の中に収まって取れてしまいそうな気がした。
堪(たま)らず、今すぐ目を見開いて一体どうなっているのかを全部確かめたい衝動に駆(か)られたが、それをやってしまったら、こういう時は往々(おうおう)にして目を開けた途端(とたん)に全てが霧散霧消(むさんむしょう)して、すっかり台無しになってしまうに違いないという馬鹿げた思い込みもあった。

「 ‥‥‥‥‥‥‥‥ 」
手を伸ばした辺りの空間が、歪(ゆが)みでもしているのか? それとも‥‥‥‥
ぼくは、目を開けるのを我慢できているうちに、だったらいっそのこと、右手をもっと前へ前へと突き出し続けて、どれくらいで指先が壁板に当たるかを試してみるのも面白いのではないかと、奇妙なことを考え始めていた。
そしてぼくは、それを実行に移した。取り敢えず、指先が何かに触れるまで少しずつ、前方へ突き出し続けた‥‥‥‥‥


「 ヒ!ヒカリさん?! 」
と、その時突然、ぼくの後ろからセナの大声が響いた。
「 何??その右手! 右手があ!大変よ!! 」

「 えっ? 」
ぼくは思わずその声に、瞑っていた両目を見開いていた。

次回へ続く

悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (260)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その百四十五

童(わらべ)はみたり 野なかの薔薇(ばら)
清らに 咲ける その色愛(め)でつ
飽かずながむ 紅(くれない)におう
野なかの薔薇

手折(たお)りて往(ゆ)かん 野なかの薔薇
手折らば手折れ 思出ぐさに
君を刺さん 紅におう
野なかの薔薇

童は折りぬ 野なかの薔薇
折られてあわれ 清らの色香(いろか)
永久(とわ)にあせぬ 紅におう
野なかの薔薇


傑作と言われたゲーテの詩を、近藤朔風が訳詞した『野中のばら』は、名訳である。シューベルトの曲に声を弾ませ、あるいはヴェルナーの曲に酔いしれながら、子供だったぼくもよく歌った。
その頃にはほとんど理解していなかった歌詞の『真意』が味わえるようになったのは、やはり大きくなってからだったと思う。なぜなら詞には明らかに、野ばらに喩(たと)えられた清らかな女性と少年との出会い、さらに少年の、彼女に対する憧(あこが)れと淡い恋心が描かれているからだ。
ぼくが強く惹かれたのは、二番以降の描写だった。野に咲いていたばらへの少年の思いが、純粋であればあるほど、彼はその美しさを手に入れたくなる。 『手折りて往かん 野なかの薔薇』 そして、摘み取って持ち帰ろうとする。 『手折らば手折れ 思い出ぐさに』
少年の身勝手な愛に、摘まれる花も僅(わず)かな抵抗を試みる。野ばらには刺(とげ)があった。 『君を刺さん 紅におう』 そしてとうとう‥ 『童は折りぬ 野なかの薔薇』 『折られてあわれ 清らの色香』‥‥
果たして‥ 少年の指には血が滲(にじ)み出て、微(かす)かだが一生忘れられぬ‥そんな痛みが残った。 『永久にあせぬ 紅におう』 
ぼくには、『紅におう』は、少年の流した真っ赤な血に思えたし、痛みは、花を摘んだその代償として、『永久に』与えられたものなのだと思った。

ぼくは今でも、どこかで『野中のばら』の歌詞に接する度(たび)に、しみじみ思い出す。
幼き日の恋の顛末(てんまつ)などというものは、少年の未成熟な心と身勝手な行動が自ら招き入れてしまった罪悪感と後悔を背負い込むことで、大概(たいがい)は幕が引かれるのだ‥‥‥と。


しばらくの間(あいだ)ぼくは目を閉じて‥‥、シューベルトの曲に乗って脳裏に流れている『野中のばら』の歌を、黙って聞いていた。
ぼくの拵(こしら)えたこの世界に、ぼくにとって意味を持たないことなど、何一つ存在しないはずだと‥‥もう一度自分に言い聞かせていたし、もしかしたらこの歌が、求めていた内なる声であるかも知れないと‥‥考えていた‥‥‥‥

やがて‥閉じていた目をゆっくり開いて見ると‥‥、壁に描かれた『赤い音符』の最後の二音の上に、自分の手が被(かぶ)さる様に置いたままになっているのが視界に入った。そしてその‥、置きっぱなしにしていた自分の手が‥‥、紛れもない『少年の手』であったことに、改めて気がついた。
そうだ! ぼくの体は今『小学二年生の少年』だったんだ! と気づいた瞬間‥‥‥‥、なぜ歌が脳裏に流れて来たのかが腑(ふ)に落ちた。

次回へ続く