悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (133)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その二十

ぼくが水崎先生の携帯電話を探すことを自ら買って出たのは、「おまえ一体何を企んでる?」とモリオが問い質してきた様な下心が別段あったわけではない。強いて言えばそれは‥・『久しぶりの遠足』の中で芽生えた単なる子供じみた好奇心‥‥だったのだろうと思う。
ぼくは、『予期せず唐突に与えられたこの非日常』の中に身を置くことで、日頃の自分が解放されていくのを感じていたのだ。

「もしかして‥‥ヒカリくんは、水崎先生がどうしたか心当たりがある?」
駐車場と芝生広場の境に並べてある敷石の上に、モリオとぼくとツジウラ ソノの三人は揃って腰を下ろしていた。そして、ぼくの右隣に座っているツジウラ ソノが神妙な面持ちで問いかけてきた。
「えっ?心当たり?‥‥そんなのあるわけないよ」ぼくは彼女に話しかけられたことに少し動揺して、ぶっきらぼうに答えた。「ただ、このままじゃあマズイなって思って。このまま水崎先生が見つからなかったら遠足が中止になってしまうかも知れないから、なんとか探せないかずっと考えてたんだ」
「水崎先生が見つからないと、何で遠足が中止になってしまうんだ?」今度はぼくの左隣でチョコレートを食べていたモリオが、口をモグモグさせながら質問してきた。
「実は‥さっき聞こえちゃったんだ」ぼくはそう言いながら前方に目をやった。ぼくたちの前方には水崎先生の車が止まっていて、その車の向こう側には教頭先生と葉子先生が隠れる様にして立っていた。「教頭先生は、そろそろ水崎先生が行方不明かどうかの判断をして、連絡しなきゃいけないって話してた」
「連絡するって、警察にか?」
「ああ、たぶんな。でもそれより先に学校や校長先生だな。それと、ぼくたちを迎えに来てくれるバスの予定時間を変更して早めるみたいな話もしてた」
「つまり、私たちみんな、もう帰ることになるわけね‥‥‥」

「まだここで、やりたいことがあるんだ」ぼくはそう言って立ち上がった。
「もしかして‥‥やっぱりあそこに行くのか?」ぼくを見上げてモリオが言った。
ぼくは無言で頷いた。『あそこ』とはもちろん、茂みの中のこんもりした緑の小山。巨大迷路の廃墟と思われる場所である。あそこまで行って、ずっと気になっている『赤い花』の存在の有無を確かめておきたかったのだ。しかしこの期(ご)に及(およ)んで、やりたいことがもう一つ増えていた。水崎先生の二本の指以外の体が今どこにどうしているか、それも確かめたくなったのだ。
「俺はもうつき合うつもりはないけど、おまえがどこへ行ったのか先生に聞かれたら、適当にごまかしておいてやるよ」
「‥たのむ」指を見つけたことをみんなに黙っていたぼくは、それだけを言った。
ぼくとモリオのやり取りを黙って聞いていたツジウラ ソノは、訝(いぶか)し気な表情をしていたものの、結局そのまま‥黙ったままでいた。

ぼくは、正面前方にいる先生二人がこちらに視線を向けていないことを確認すると、彼らに気づかれないよう注意を払いながらのゆっくりとした動きで、駐車場の端にある舗装道路側への出入り口へと歩き出した。しかしこの時、今までずっと背中を向けていた芝生広場の方から、誰かがぼくを(ぼくだけを)じっと見ていたことに気がついた。

次回へ続く

悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (132)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その十九

見つかった水崎先生の携帯電話は、道路で待機していた教頭先生に渡され、ぼくたち全員は駐車場に戻った。
駐車場には葉子先生の他に風太郎先生も駆けつけていた。虫取り網の返却をずっと待っていたタスクや、彼以外にも十人ほどの興味本位な生徒が集まってきていた。

「とにかく‥、水崎先生が姿を見せない理由の手掛かりが何か残されてないか、調べてみましょう」
おそらく普段から機械操作の苦手な教頭先生は、水崎先生の携帯電話を葉子先生に手渡した。先生たちはそそくさと、集まっていた生徒の目から隠れる様に駐車場にたった一台だけ停まっている水崎先生の車の影まで行って、早速携帯電話に残された履歴などの情報を確認し始めた。
「なあタスク。どんな虫が捕れたのか、先生のコレクションと比べっこしないか?みんなも、どっちのコレクションがすごいか興味あるだろ?」風太郎先生がわざとらしい陽気な声を出して、虫取り網を返してもらったタスクと他の生徒たちを誘い、皆を引き連れて駐車場から出て行った。彼は葉子先生から事情を聴いていて、今は生徒を遠ざけた方が良いと判断して気を利かせたのだ。

ぼくとモリオとツジウラ ソノは、駐車場に残っていた。
駐車場と芝生の境界に並べられている縁石(えんせき)の上に三人で腰を下ろし、事の成り行きを見守っていた。ぼくたちは最早(もはや)この一件の関係者であり、当然その顛末(てんまつ)を知る権利があると思った。
「ひと仕事終えた後のコイツも、また格別なんだよな‥」そう言いながらモリオが、リュックから本日三種類目のチョコレートを取り出し、嬉しそうに頬張(ほおば)り始めた。
その隣に座るぼく、そのまた隣にいるツジウラ ソノは、黙って前方を見ていた。車の影にいる先生たちの動向を静かに窺っていた。

予期せぬ展開になった‥‥、ぼくはそう思っていた。
草の中で見つけた人の指は、二本ともそのまま残してきた。ぼくが観察した限りではそれらは間違いなく本物で、しかも、節(ふし)くれだってないスマートな滑らかさは成人女性の‥おそらくは十中八九水崎先生の指であろう。もし持ち帰ったりしてみんなに見せたりすれば忽(たちま)ち大騒ぎになり、当然警察沙汰(ざた)になるだろうし、そうなればその時点でこの遠足は中止、ぼくらはすごすごと帰ることになる。
「そんなことは断じて‥‥させない‥‥‥」つい口からそんな言葉が漏れた。自分でもびっくりした。
「はあ?なんだって?」モリオがぼくの顔を覗き込んできた。
「あ‥いや、何でもない‥」ぼくはごまかしたが、自分が『この遠足』を思いのほか楽しんでいる事にその時はじめて気がついた。

とりあえず落ち着いて、何が起きたのか?或いは何が起きているのか?、考えてみることにした。
水崎先生は、ぼくたちより先に車でこの駐車場に到着した。そしてなぜか徒歩で駐車場を出て道路を少し戻り、さらに道路を逸れて左脇の茂みに深く入り込み、そこで携帯電話を落とした。自分自身の‥二本の指といっしょに‥‥‥‥。
「ん?」
急に、『高木セナの腕の傷の話』が脳裏に浮かんだ。彼女は、林の中の道の草むらに潜んでいた何者かに刃物の様なもので傷つけられた可能性がある、と解釈していたところだった。
もしかしたら水崎先生も、刃物の様なものを持った何者かに遭遇し、そいつから逃げようとしてあの茂みに入り込んだのではあるまいか。そして、助けを呼ぼうと携帯電話を取り出し掛けようとした時、追って来たそいつに刃物で指を切り落とされて、その場に携帯電話を落とした‥‥‥‥‥‥‥
「‥‥で、そのあと‥‥、水崎先生はどうなった?」ぼくの自問自答は続いた。
隣に座っていたツジウラ ソノが不思議そうな顔で、そんなぼくを見ていた。

次回へ続く