悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (272)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その百二十七

こんな気持ちの悪い世界を、創り出しちまった‥‥ だって?!?
ぼくはしばらくの間、ヤツが何を言い出したのか解らなかった。『こんな気持ちの悪い世界』とは‥ 今彷徨(さまよ)っている巨大迷路のことを言っているのか?? そんでもって、ここを『創り出しちまった』とは‥一体全体‥‥ どういう意味なんだ!?

おいおい!違うだろ! この巨大迷路廃墟だけではなくて、林の中の道も芝生広場も駐車場も、舗装道路も周りの茂みも全部含めて、ハルサキ山全体のことを言ってるんだよ! つまりはこの遠足のすべてが、創り物だってことだ!!
それも、こんがらがっちまってるおまえの作、演出ときてるから、何もかもが気持ち悪いぜ!!

ヤっ、ヤツはいったい‥‥ 何を言ってるんだ???? この『ハルサキ山への遠足』が全部、『ぼくの作、演出による創り物』だと?!?
馬鹿も休み休み言え! ぼくは確かに、この遠足への参加を望んでいたのかも知れないが、いろんなトラブルに、有無(うむ)を言わせず巻き込まれて来てしまっただけじゃないか!

おいおいおい!この期に及んで、まだそんなことを言うか!
ハッキリさせておくが、おれは、おまえが完全に壊れてしまう前に何とかしようと、ここでこうして初めて、口を出すことにしたんだ。おまえが恐れている、おまえの人格を乗っ取ろうなどとは、微塵(みじん)も、一ミリも、端(はな)っから考えてない。ここに来るまでにおまえは、自分の知らないうちににおれの人格が勝手に何度か表れて、汚い言葉で人を罵(ののし)っていったとかどうとか思っているみたいだが、おれは一切そんなことはしていないからな。全部、壊れかけたおまえの人格がやったことだ。

嘘をつけ!そんなの嘘に決まっている。 現に今、ヤツはぼくの体を乗っ取って、何事もなかったかのようにセナと手を繋いで、仲良く歩いているじゃないか!

なっ、仲良くだって?! おいおいおいおい、もしかしておれに嫉妬しているのかよ!
安心しろ。おれは乗っ取ったりしていない。おまえとちゃんと話すために人格を、言わばニュートラルの状態にしてやっただけさ。ただ夢遊病みたいに歩いてるだけで、おれでもおまえでもないんだ。

‥‥‥‥‥‥。くそぅ‥‥。
いつだってヤツの言うことは正しく聞こえる。今までだってずっと、そうだったんだ。だからぼくは、ヤツが大嫌いだったんた。
ヤツが心の中から語りかけることは、いつも正しくて筋が通っている。
ヤツは頭が切れて、現実的で、おまけに悲観主義者だから、夢や理想を求めるより現実を見据えろと語りかけて来て、様々な刺激に高鳴る心を萎(な)えさせる存在だった。最初はヤツの声に耳を傾けて、それに従っていた。そのせいか、ぼくは、家族を始めとする周りの大抵の大人達から、大人びた賢い子供だと誉(ほ)め称(そや)されたものだった‥‥‥‥‥
やがて思春期を迎え、そんな何もかもが嫌になっていった。うんざりしてしまった。つまらない現実の枷(かせ)を粉々に打ち砕き、どこかへ走り出して行きたくなった。そして、ヤツの声に逆らうことこそ、意味のあることに思えて来たのだ。
そんなふうにぼくは、ヤツを蔑(ないがし)ろにすることで、本当の自分を見つけていけたような気がする‥‥‥‥‥

だからなんだ!おまえは何が言いたい! 今回のおれの忠告にも、耳を貸さないとでも言うつもりか?

‥‥そうかも‥‥‥ 知れない‥‥‥‥‥

次回へ続く

悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (271)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その百二十六

「違う!」「そんなことはない!」と否定してはみたものの、『もう一人の自分』の言い分にぼくは「そうかも‥知れない‥」と、どこかで納得しかけているところがあった。
ヤツの言葉は乱暴に聞こえるが、その実(じつ)冷静な観察眼に裏打ちされた様な説得力を持っていて、ぼくの心に一々(いちいち)が響いて来たのだ。だから、ただ感情的に騒ぎ立てているだけのぼくに対して、ヤツは最初から最後まで主導権を握り、支配的なポジションからぼくの欺瞞(ぎまん)を一つ一つ論(あげつら)うことによって、ぼくをすっかり追い詰めていったのだった。
ぼくはヤツのことを、『世の中で一番嫌な奴』『自分とは永遠に相容(あいい)れないタイプ』だと思った。

しかし、よくよく考えてみると‥‥ こんなに嫌な奴が『もう一人の自分』である理由が、だんだんと分かってきた。

振り返って見ればぼくには、物心(ものごころ)がついた子供の頃から、自分自身の癖(くせ)や性格の其処彼処(そこかしこ)に、『嫌い』な部分があったものだ。そういうものを自覚してしまった時など、じぶんは嫌な人間だと自己嫌悪に陥(おちい)ってしまったり、直さないといけないと思い悩んだり、最終的には忘れた振りを決め込んだりもしたものだが‥‥、成長して大人になっていくにつれ、取り立てて省(かえり)みるのも面倒になっていった。つまりは自己愛が勝(まさ)って、開き直ってしまったのだ。
もしかしたらヤツは、ぼくのそういう部分を全部集約し、『もう一人の自分として人格化してしまった存在』なのかも知れない。
ぼくが、ヤツの言葉を否定しながらも、結局のところ傾倒してしまうのもそのせいだ。


「おれはこれでも、おまえのためを思って口を出してるんだ‥」

何度目かの‥ヤツの恩着せがましい声が、ぼくの頭の中に聞こえた。
ヤツの存在に心当たりがあったぼくの精神状態は、幾分(いくぶん)落ち着きを取り戻していた。
しかしこれから先、聞きたくもない嫌な話をヤツからずけずけと聞かされる‥そんな予感めいたものがあった。

「ソラが旅立って‥ それを受け止めきれていないおまえの気持ちは‥理解できる‥‥」

そうら‥やっぱり始まった。一番聞きたくない、耳を塞(ふさ)ぎたくなる話だろう?

「受け止めきれないのは仕方がないが、おまえはそれをわざわざ‥全部背負い込もうとしてるんだろう」

ああ、良かった。これが頭の中だけで聞こえる声で。
ヤツにも、一応感謝しておこう。なぜなら、セナと、ヤツのコントロール下にあるぼくの体は、しっかりと手を繋いだまま、先の見通せない直線通路を、今も淡々と歩いている。この状態なら、ヤツがどんなことを口走ろうと、それに対してぼくがどんな無様(ぶざま)なリアクションをしようと、一切(いっさい)をセナに知られる心配はないからだ。
ヤツは続けた‥

「当然、背負い込もうとして背負いきれるもんじゃない。そんでもって、どうにかしようと踠(もが)いてるうちに、何をやっているのか‥どうしていいのやら‥分からなくなって‥‥‥ とうとうこんな気持ちの悪い世界を、創り出しちまったわけだろうが!」

次回へ続く