悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (82)

第二夜〇仮面 その二十六

私は自分で気づかないうちに‥‥、何枚もの「仮面」を着けていたようだ‥‥‥。
そしてそれが今、外れていった。外れて、沼の底に沈んでいった。

「仮面が外れた」と言うのは‥‥‥、偽りの自分ではなくなった、あるいは本来の自分に戻った事を意味するのだろうか?
例えば、虚栄 虚飾にまみれていた心の穢(けが)れが拭い去られ、浄(きよ)められたみたいな感じで受け入れれば良いのだろうか‥‥‥‥‥‥

だったら私は‥‥‥どうして涙を流している?
無くなったかも知れないと思った顔がちゃんと残っていて、ほっとした涙ではない。なぜか‥‥‥悲しく‥なったのだ。

毎日の生活の中‥‥‥、生き難(にく)いと感じたり、上手くいかないと立ち止まってしまったなら、前を向こうとしている人間なら、そんな状況を少しでも何とかしたいと考えるだろう。お手本となる他人の生き方を真似(まね)てみたり、本音と建て前を使い分けるみたいな処世術まがいの色々を実践したりもするだろう。その場その場を何とか切り抜けようと、少しでも受けるダメージを軽くしとうと自分を偽って、押し殺して行動してみたりもする。それらが総じて「仮面を着けること」に繋がっていったのなら、それは非難されるべきものではないと私は思う。思いたい。様々な葛藤や止む負えない妥協の末に選択されてきた「血がにじんだ様な痛々しい生き方」であって、それを続けて来た私にはむしろ「仮面」は、心の血と汗と涙の結晶みたいに思えたのだ。
そんな私の大切な一部分であったとも言える「仮面」が、突然いくつも私から外れ‥‥、沼に沈んでいったのだ。
今までの生き方が、頑張って来たつもりの生き方が否定されて、「ちゃんと真面(まとも)に生きなさい」「もう一度やり直してみなさい」と言われているみたいで‥‥‥虚(むな)しく、ただ虚しく‥‥‥‥悲しかったのだ。

涙が止まっても、私は脱力して敷石の上に座り込んでいた。
友達の「みんな」を認識できなくなり、ここまで何とか生きてきた証(あかし)の様なものを失った。そして、「仮面」が象徴する私の生き方がすべてを招いたと言う事実を突きつけられた。
夜空に輝く満月は、私の計り知れない虚無感を照らし出していた。
私はここに‥‥、「切っ掛けの地」と呼ばれるこの場所に来るべきではなかったのだ。この先何を思い、何を考えて生きて行けば良いのだろうか‥‥‥‥‥‥

チャポ‥ッ‥ポ‥‥‥
焦点の定まっていなかった視界の隅、沼の水面の一部分がゆっくりと持ち上がっていく様子が映った。
見ると、すでにあった「みんなの振りをしているもの達」の左側6、7メートルのところ、まるで対を成す様に新たに五つの人の形をしたもの達が水面に立ち上がっていた。
「あ‥‥‥‥」
それは紛(まぎ)れもなく私。私の姿形(すがたかたち)。中学のセーラー服を着た私、お気に入りだったジャンパースカートを着た私、高校のブレザーを着た私、夏服の私、そして今の私と同じ格好の私。五人とも正確に、過去と現在の私をコピーしていた。
「‥仮面‥‥が落ちたせい‥か‥‥‥‥」私はすぐに理解した。五人の顔は、さっき水の中に沈んで消えていった仮面でできているのだと。
そして‥‥「五人の私」達もまた、「みんなの振りをしているもの達」と同じ様に、私に向かって手招きを始めたのだった。

次回へ続く

悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (81)

第二夜〇仮面 その二十五

私の顔が私の顔から離れて落ちて‥‥、ゆらゆらと水の中に沈んでいくのが見えた。
「えっ!えええ??」
私は咄嗟(とっさ)に水中に手を伸ばした。敷石の上から身を乗り出し、限界まで前のめりになって、沈んでいく自分の顔を何とか摑まえようとした。ザバザバと伸ばした手が水をかき回す。だが水の中の独特の遠近感に惑わされてか、顔を摑まえる事は叶わなかった。
「あァ‥ァ‥‥」水底の闇に溶けて消えていく自分の顔を見送って嘆きの声を上げた。しかし次の瞬間、更なる驚愕(きょうがく)の成り行きがすでに私の身に降りかかっていた。

ボチャン ボチャボチャ ボチャチャンン‥ン
水音が立て続けに響いた。
またもや私の顔から、今度は立て続けに複数枚の私の顔が離れていき、全部が全部水の中に落ちていったのだ。
「なッ?!な!な!な!なあああァ??!!」
顔が、顔が、私の顔が、四枚五枚と水の底へ、ゆらりゆらりと沈んいくではないか!
私は慌てふためいて前のめりの姿勢から体を反らせ、顔を上に向けた。下を向いたままだとどんどん落ちて顔が無くなってしまう気がしたからだ。

「どうなったの?!どうなった??私の顔 どうなったの?????」
両手を顔に持っていって触ってみようとしたが、怖くなった。どうなっているか怖くて触れない。皮が剥がれたみたいに、真っ赤な血が滲(にじ)みだした肉と筋だけの状態の顔になっていたらどうしよう‥‥。グロテスク極(きわ)まりない顔を想像したら叫び出したくなった。
「いやよ!そんなのおォォ!!!」

満月の夜の沼に、私の声が響き渡った‥‥‥‥‥‥‥‥‥
離れた水面(みなも)に立つ「みんなの顔」を着けてみんなの振りをしているもの達が、相変わらず私に手招きをし続けていた。
「か‥‥‥‥‥‥仮面‥なの?」私は我に返った様にそう呟いた。
水の中に落ちて沈んでいった私の顔はもしかしたら‥‥、私が着けていた仮面だったのかも知れない。顔から剥がれた全部が全部、私が今までに着けてきた、あるいは着けざるを得なかった、仮面‥‥‥‥‥。
私は、行き場をなくしていた両手をゆっくりと顔に近づけ、そして触れさせた。
そこには、いつもの皮膚の感触がちゃんとあった。眉も鼻も頬(ほお)も‥‥、どこにも異常な感じはなかった。
「仮面‥・だったのか、やっぱり‥‥‥‥」
胎内くぐりの洞窟を体験した事で起こり得た現象だったのかも知れない。私は仮面を、それもどうやら今まで複数のものを着けてきていて‥‥、今それがいっぺんに全部外れたと言う事だろうか。

顔出しパネルに残っていたみんなの顔を、私がみんなに着けさせた仮面だと骨董屋のおじいさんに指摘された時、身に覚えは無かったものの、完全な否定はできなかった。今落ちていったたくさんの自分の顔が仮面であると解釈しても、自ら意識して仮面を着けた自覚はなかったのに、やはり否定する気持ちはない。どうしてだろう‥‥‥‥‥‥

「そう言う‥‥‥ものなんだよ、きっと‥‥‥‥‥‥。生きていたら‥‥‥知らず知らずのうちにそう言う風になっちゃう事だって‥‥‥‥‥あるでしょう?」開き直った様に私は、そんな台詞を並べ立てていた。
「違う?‥‥違わないでしょ?‥‥‥‥‥」
私は両手で顔を覆った。急に悲しくなったからだ。
「誰か‥‥答えてよ‥‥‥‥‥‥‥」
そして予想した通り、目から涙が溢(あふ)れ出てきた。

次回へ続く