悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (41)

第一夜〇タイムカプセルの夜 その二十六

委員長が‥・真っすぐに俺を見ていた。
すべてを思い出したであろう俺を‥・真っすぐ見ていた。

思い出した瞬間‥‥何かが起こると思っていた。例えば映画のクライマックスからエンディングに向かうシーンのように、この校舎が突然崩れ落ち始めるとか、外へと通じる一本の光の道が現れるとかだ。しかし、何も起こらなかった。それに、校舎を埋めた理由に心当たりができても、埋めた行為自体には相変わらず記憶がない。
本当にこの校舎は、俺の記憶を封じ込め葬り去るために俺自身が作り上げた場所だったのか?‥‥‥‥‥‥

「思い出したのね‥」委員長が言った。
「ああ‥‥」
「話してくれるわね」
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥」
俺は沈黙した。躊躇(ちゅうちょ)したのではない。話したくなかったのだ。
話したなら、当時のそして今に至るまで抱えてきた俺の委員長への思いと罪を、洗い浚(ざら)いぶちまけることになる。
言えはしない。それはまるで、歪み切った愛の告白ではないか。

「もう‥‥・ここを出よう‥‥‥‥」ため息のように俺は言った。
「何ですって?」
「ここに居ると‥‥息が詰まりそうなんだ。思い出したことは、ここを出てから話すよ」
今度は委員長が黙り込んだ。俺から視線を逸らし、俯いた。
「‥‥‥出られないわ‥」
「え?」
「私が出させやしない‥‥・」
「どっ、どういうことだ?」
「だって今からここは‥‥あなたが罪を償うための牢獄になるんだから」
委員長が顔を上げた。口元には歪んだ笑みが張り付いていた。それは、俺が初めて目にする彼女の表情だった。
「???何を言ってるんだ‥‥‥‥。君は一体‥‥‥??」

コンコン‥‥
その時教室に、ガラスを叩く音が響いた。
教室を見回す俺。教室には俺と委員長しかいないはずである。
音は廊下側とは反対の窓、地中の土でぎっしり詰まった窓の外から聞こえる。
コンコンコン‥・
土の中から人の顔が出現し、窓の外ガラスにへばり付いていた。同じく土の中からねじり出た右手がガラスを叩いている。
「しっ!島本⁉」
グラウンドで闇の中に溶けて消え失せた島本が、土に埋もれながらこちらを見ていた。
島本は無表情のまま、訴えるようにこう言った。「委員長が埋めたんだ。僕は、委員長がこの校舎を埋めるのを見てたんだ」
「何だって⁉」
「グラウンドであの時僕が指差したのは、委員長だ。彼女は君の真後ろに立ってたじゃないか。それを言いたくて‥‥・」
俺は委員長を見た。委員長はやはり口元に笑いを浮かべたまま、微動だにしていなかった。
島本は続ける。「気をつけろ。彼女は委員長だけど、本当の委員長じゃない。彼女は君自身が拵(こしら)えた‥‥‥‥」土が島本の顔を侵食するように埋めていき、終わりの方はよく聞き取れなかった。

その言葉を最後に島本は土の中に消えてしまった。

俺は委員長を見た。委員長は俺を真っすぐに見据えていた。
机二つほどの距離を置いて、俺と委員長は正面から向かい合った。
教室に‥‥長い沈黙が訪れた。

次回へ続く

悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (40)

第一夜〇タイムカプセルの夜 その二十五

自己免疫が正常に機能しなくなり、体が自分の組織を攻撃した結果、円形状(十円玉大)の脱毛が起こる自己免疫疾患の一つと考えられるが、詳しいメカニズムはまだ分かっていない。発症の誘因として、ストレスや過度の疲労、睡眠不足などがあるといわれている。
「円形脱毛症」については、おおよそそのようなことが書かれていた。

かおりに髪の毛の話を聞かされた二日後、俺は、学校の図書室で医学書を捲り、パソコンで検索した。
俺をそこまでさせたのは、小学生のままのあの時の委員長の姿が頭から離れなくなっていたからである。
もし委員長の「はげ」が円形脱毛症だったなら、俺は彼女の病気をからかい、笑いものにしたことになる。ただ女の子を泣かせたのとは随分意味合いが違ってきて、きっと自分が許せなくなる。要するに俺は、委員長が円形脱毛症ではなかったという反証が欲しかったのだ。
しかし、調べれば調べるほど事態は俺の期待したものからどんどん遠のいていった。まるで、良心の呵責(かしゃく)に苛(さいな)まれながら彷徨う永遠に答えの出ない迷路の中に、自ら身を置いてしまった気がした。
俺が酷く気になったのは、発症の誘因として挙げられていた「ストレス」という文字である。俺はもはや小学生ではなかった。情報として、或いは自らの感覚から、ストレスがどいうものかある程度は知っていた。
かおりの話に出てきた円形脱毛症を発症した中学時代のクラスの女の子は、明らかに家庭に問題があった様子で、両親の離婚を機に学校から居なくなったそうだ。なんらかのストレスがその子の精神を蝕んでいたことは想像に難(かた)くない。
だったら委員長はどうだったのか‥‥‥‥‥。
実は‥・怖ろしい光景が俺の頭の中に‥‥浮かんでいた。

委員長の‥・机の上、机の中、バッグや道具入れの中、ノートや教科書のページとページの間、筆入れのペンとペンとの隙間、上履きの中‥‥・に蠢(うごめ)く‥‥虫、虫、虫、虫‥‥足がもげた虫、ドロリと潰れた虫、グシャリと死んだ虫‥‥‥‥‥

俺はいたずらで、いったいどれだけの虫を委員長に仕掛けたのだろう‥‥‥‥‥。
俺はもはや小学生ではなかった。高校生になるまでに何人もの虫を苦手とする人間に会って来たが、彼らがどれほど虫を嫌悪しているのかを知った。知るたびに自分の認識を新たにせざるを得なかった。
誰にも咎(とが)められず、明るみに出ないのをいいことに、愚かにも一年以上に亘(わた)って俺は委員長に虫を仕掛け続けたのだ。

俺が仕掛け続けた虫は‥‥・委員長の強いストレスになってはいなかったのか?
委員長が実際円形脱毛症になっていたとしてその誘因となったのは、毎日あちらこちらから現れ、時には家に帰ってからもバッグの中から出現する虫によるストレスではなかったのか?
もしこの問いが当たっていたのなら俺は、自分が憧れていた女の子にはげを作らせ、そのはげをからかい笑いものにして泣かせた、最低の男と言うことになる!
俺は大声で叫び出したくなった。

パタリと本を閉じる。クリックしてログアウトする。俺は図書室を出た。
もうたくさんだ。小学生の俺は今の俺ではない。振り返って今更何になる。何ができる。何もできやしない。考えるだけ無駄じゃないか。もうたくさんだ。二度と考えるな。二度と考えなくていい‥‥‥‥‥‥。
今が大事なんだ。それでいいじゃないか。

以上が‥‥‥俺が思い出したすべてだ。校舎を地中深く埋めた理由が分かったような気がした。

次回へ続く