ぼくらのウルトラ冒険少年画報 (8)

第二話「長いトンネル」 前編
脳の学習機能・情報処理能力の副産物でしょうか、人はいたるところに「顔」を見つけます。
たとえば群生する草木の中に、あるいはそこかしこの壁のシミに、時には窓やドアの配置具合で建物自体が巨大な顔に見えたりもします。
つまり目、鼻、口を勝手に見出して「顔」のようだと判断してしまうのです。

小学三年生の私は寝室の布団の中、天井を見つめていました。
天井の木目や節の痕が人の顔に見えます。
何かを叫び出しそうな間延びした老人の顔。
怖いとは思っていません。
私は怖がりではありましたが時にそれに勝る好奇心を持ち合わせていました。

その頃始まった「ウルトラQ」続いて「ウルトラマン」というテレビ番組があって、テレビで怪獣が見られるとかじりつく様に見ていました。しかしストーリーや演出が結構怖いものが多く、時には「トイレに一人で行けない」状態になったりもしていましたが、お話には必ず終わりがあります。
モンスターは退治され、恐ろしい出来事は何かしらの理由・原因が明らかにされて収束します。そうなると私は「そうだったのか」と納得し安心するのです。
「好奇心を働かせ探求し原因を突き止める。それによって得体のしれないものも安心できるものになる。怖いと目を背けてばかりでは決して何も変わらないし永遠に安心を手に入れる事ができない。」という法則を私はテレビドラマで学習していたのでしょう。
ところが・・・それは裏を返せば原因を突き止めて納得し安心できないうちは、怖いものは怖いものであり続けるという事を意味しています。

私は天井を見つめながら、日中の冒険の結果を思い返していました。
友達数人と、誰かが住んでいるという噂の学校付近の防空壕を見て回ったのです。
私一人では到底できない大冒険でした。途中で拾った木の枝を手にしっかりと握りしめていたように思います。闇の中に足を踏み入れる緊張感を、鳴き続けるセミの声が笑っていました。
「・・・おらんぞ・・・・そんなもん」
「フン・・・」
防空壕一つ一つにも個性があります。深く掘られたもの、浅いもの、広いものや曲がったもの。二つ三つと防空壕をはしごしていくうちに徐々に私は「安心」を獲得しようとしていました。大冒険がふざけた遊びに変わりかけていたその時、友人の一人が何かを踏みつけました。
わりと奥行きがある防空壕。入り口付近の薄闇に目を凝らしてみると、それは何か食べ物の箱と包み紙のように見えました。
「おい!何か食ったあと あるぞ」
「えっ⁉」

たまたまゴミが落ちていただけで、誰かが住んでいたわけではない・・・・
私は上掛けを被りそう結論付けました。
しかし「安心」を手に入れる事はできなかったのです。

次回へ続く

ぼくらのウルトラ冒険少年画報 (7)

「防空壕」追記
以前から何らかの形にしておきたいと考えていた漫画原案の「ぼくらのウルトラ冒険少年画報」。
その第一話「防空壕」を「読み物」として三回にわたってお送りしてきた訳ですがいかがだったでしょうか。

漫画を描く場合まず決められたページがあって、あらかじめそれに合わせて「ネーム」というコマ割りとセリフで構成された絵コンテのようなものを作っておきます。当然この段階で起承転結、「見せる絵」などをはっきり意識して組み立てていくのですが、活字で描く場合、テンポや絵と文字の情報量の違いからか当初考えていた表現が成立しにくい事に気づき、「読み物」として再構成してみました。

以降の予定ですが
第二話「長いトンネル」
第三話「秘密基地」
第四話「死体」
第五話「月の石」
最終話「夕暮れ」
と続きます。

主人公である「私」が「闇」への認識をさらに深くしていく展開の中、「人間にとっての根源的な闇」「恐れ、あるいは畏れの原点」とは何かを、子供の目を通しながら私なりの考察を織り交ぜ描いていくつもりです。
よろしかったらお付き合いください。