ぼくらのウルトラ冒険少年画報 (51)

別冊付録 当時少年だった私がまったく使うことがなかった「用語集」①
「安保は、麻疹(はしか)のようなものだった・・・・」
何の一節だったか、確か大江健三郎氏の小説だったか・・はっきり思い出せませんが、安保闘争(たぶん60年安保)の時、国中が高熱に浮かされた様な状態で、やがて熱が冷めていった後、あれは一体何だったのかとみんな遠い目をしている・・・・みたいなイメージで受けとめました。
当時の状況がなかなかつかめなかった私でしたが、この比喩でなぜか腑に落ちた気がしたのを覚えています。
70年安保は、私自身すでに小学校高学年だったので、断片的ないくつかのニュース映像が記憶にあり、ベトナム戦争に対する反戦運動、成田空港建設問題などの報道はよく覚えていて、中でも、複数の大学で起こっていた「大学紛争」はすごく印象的でした。そのせいか、70年安保はその大部分が大学生らによる「学生運動」だったと言う認識は今もあります。

前置きが長くなりましたが、ここからが本題。「安保闘争の時代に飛び交っていたであろう、しかし普通の日常生活の中ではたぶんあまり使われなかったであろう用語」をいくつか集めてみましたので、ご紹介したいと思います。

[ゲバルト] もとはドイツ語のようです。暴力に訴える、いわゆる実力行使の意味だと思います。「ゲバ」と略して、機動隊を殴る角材を「ゲバ棒」、全共闘内の党派同士の内輪揉め的争いを「内ゲバ」、などと言うように使います。
「やめてケレ!やめてケーレ!ゲバゲバ!」は「老人と子供のポルカ」。

[スローガン] 活動の目的を、明確かつ簡潔に表した言葉。現代風に言えば「キャッチコピー」でしょうか。

[シュプレヒコール] デモ行進や集会で、参加者がスローガンなどを一斉に唱える事。やはりドイツ語らしいです。
中島みゆきの「世情」の歌詞に登場します。「シュプレヒコールの波、通り過ぎていく・・」。

[アジテーション] 「攪拌(かくはん)」の意味。政治活動では、言葉や文章で人々を扇動する事。「アジ」と略して「アジ演説」。大学の校門付近によく立てられていた、「安保粉砕」などのスローガンが書き込まれたでかい看板(通称 立て看)、独特の字体が使われていて、「アジ文字」と呼ばれていたようです。

次回へ続く

 

ぼくらのウルトラ冒険少年画報 (50)

最終話「夕暮れ」 その十
三島由紀夫の短編小説「憂国」は、二・二六事件で仲間たちの決起から外れた形となった陸軍中尉が、勅命に従い反乱軍を討伐するという立場、状況に煩悶し、新婚の妻と共に自決するお話です。
背景となる思想や政治に重きを置いたものではなく、恐らくは特有の美意識、美学が描かれている作品だと思います。
身支度から切腹までの克明な描写。夫の最後を見届け、自らも後を追う新妻の、夫への信頼と若き肉体。自刃の際の苦痛、流れる血の色彩が伝わってくる感覚です。

この小説が特異な存在に思えるのは、発表から数年後、作者自らの制作・脚色・監督・主演で映画化がなされているからです。
自らが創造した話と人物を、(しかもある意味つき詰められた文学作品を)、自らが演じるという事は、一体どんな意味を持っていたのでしょうか?

三島氏が小説のなかに描き出そうとするものは、自身への問いかけであるだろうし、答えであるだろうし、理想であったかもしれません。
映画化は、文字によって描き出された認識や理想を、演じる事によって自らが追体験していくという行為を、氏にさせたのです。
この時点で三島氏は、「割腹自殺」を体験し、「死に際の美」に新たなる演出を加えていたかもしれません。

三島氏は、ボディビルで鍛える事によって美しい身体を手に入れ、自らを更なる理想に近づけていった様に、自身の生き方を自らプロデュースしていった、またそれが出来た人間だったのかと思います。

「事件」自体に対しての考察には到底至りませんが、前にも述べた、三島氏が「演者」でもあった事が、「三島氏の進んだ道の道標」の一つであると、今一度記しておきたいと思います。

次回は、別冊付録です。