悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (190)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その七十五

ぼくと高木セナの背後へと、例の窪地は遠ざかって行く。

何だ?? この違和感は‥‥・
ぼくは今すぐ振り向いて、違和感の正体を確かめたい衝動に駆られていた。しかし、高木セナと一緒でそれは出来ない。ぼくは懸命に堪(こら)えた。
隠し通せるなら、それに越したことは無い。ぼく以外の人間が、あんな『風太郎先生の無残な末路』を見る必要もないし、知る必要もないのだ。
高木セナの手を握り、黙りこんだまま、駐車場へ向かってただ歩を進めた。違和感への問いかけは答えの出ないまま、いつの間にか胸騒ぎのようなものに変わっていった。

「い‥痛い、ヒカリくん」突然、高木セナが訴えた。「手が、痛い」
「あっ ああ ごめん‥」ぼくは慌てて、高木セナと繋いでいた手を放した。知らないうちに強く握ってしまっていたらしい。
「何か、気にしてる? 気になることがあるの?」
「‥ああ もちろん、ツジウラのことだ。ツジウラのこと、考えてた」ぼくは誤魔化した。
「そう‥‥‥」高木セナは、やや上目遣いにぼくの様子をしばらく窺っていた。
余計なことに囚(とら)われている場合ではないと、ぼくは心のざわめきを押し込め、「行こう」と前を見た。すると、仕切り直しをするみたいに今度は高木セナの方から手が伸びて、ぼくの手を優しく掴(つか)んでくれた。

ぼくと高木セナは、駐車場に到着した。
二人して油断なく辺りに気を配りながら、迷わず北東側にある駐車場出入り口付近、舗装道路が良く見渡せる場所まで行った。
ぼくはリュックの中から、風太郎先生に無断で拝借している例の双眼鏡を取り出した。早速両手で構え、ピントを合わせながら、舗装道路を手前から先へとゆっくり舐(な)める様に観察していった。
「どう? ツジウラさん、いる?」
「‥‥いや」
雲に覆われた空の下、真っすぐ北へ伸びる舗装道路上には、一切の人影はない。ぼくは、道路の左右周辺部まで視野を拡げ、さらに観察を続けたが、ツジウラ ソノを見つけることは出来なかった。

「ねえ、ヒカリくん。ツジウラさんのリュックには、『未来の携帯電話』は入ってないかしら‥」
「え?」高木セナの問いかけに、ぼくは双眼鏡を目から外した。
「だって、ヒカリくんのリュックにも私のリュックにも、知らないうちに『未来の携帯電話』が入っていたでしょ? ツジウラさんが本当に『未来のソラちゃん』だったら、彼女のリュックにももしかしたら、同(おんな)じように入ってるんじゃないかと思って‥‥。入っていたなら、私の時みたいにその携帯電話を鳴らしてみたら、ツジウラさんの今いる場所がわかるかなあって‥‥‥」
「ああ、そうか!」ぼくは、高木セナの発想に素直に驚き、感心した。
だが、それは考えられないと同時に思っていた。ソラは小学校へも上がっておらず、まだ幼かったのだ。確かに自分の携帯電話を欲しがってはいたが、ぼくたち夫婦はまだ早いと考え、持たせなかった。
「未来では‥ソラはまだ小さすぎて、携帯電話は持っていなかった‥‥はずだ。ぼくの頭の中に流れ込んできた記憶ではそうだよ」ぼくは、高木セナに嘘をついたシチュエーションのままで答えた。「だから、ツジウラのリュックに入っているはずが‥ない」
「そ‥ そうかぁ」高木セナは、『本当に残念そうに』残念がった。
ぼくは、そんな彼女の豊かな感情表現を束の間(つかのま)、愛(いと)おしく眺めていた。

‥と、ある記憶が突然、頭の中に蘇る。
そう言えば、未来の高木セナ‥である妻が、新しいスマートフォンへの何回目かの機種変更を済ませた後、古いスマホをソラに与えていたことがあった。ソラは大喜びして燥(はしゃ)いだ。そんなソラに妻は、「それはもう、カイセン(回線)が『死んじゃったスマホ』なんだから、お電話はできないからね」などと‥念を押していた。

次回へ続く

悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (189)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その七十四

「私やっぱり‥、ツジウラさんにいろいろ聞いてみたいな。だって、未来の自分の子供かもしれない人だものね」
ぼくの頭痛が落ち着いてしばらくたって、高木セナが芝生広場を左右に見渡しながら言った。

「ああ、ぼくもだ‥」
実際、ツジウラ ソノにいろいろ聞いてみたいのは、ぼくも同じだった。ただ、高木セナが見た『夢』の通り、ソラの部屋で親子三人で遠足の話をしたその数か月後、ソラは結局遠足には行けず、死んでしまったのだ。いろいろ聞いてみたいのは同じでも、(どういうわけか、大人であるはずの記憶をまったく持っていない様子の)高木セナはそのことをまだ知らず、(大人の記憶がそのままの)ぼくは当然知っているわけで、それぞれの望んでいる『いろいろ聞いてみたい』内容には、計り知れない温度差があったはずだ。
それでもとにかく、ツジウラ ソノの行方を突き止めておいた方が良いに決まっている。芝生広場ではここ数時間、『ヒトデナシ』自体の出現とヤツの仕業だと思われる謎の『子供の声色(こわいろ)や怪しい物音』はすっかり鳴りを潜めていたが、だからと言って、女子がひとり歩き回って平気な場所であるはずがない。

「もしかしたらツジウラさん、つくづくこの遠足が嫌になって‥‥、一人でお家に帰ろうとなんて‥してないよね?」高木セナがぼくを見て、心配そうに言った。
「‥‥かも、しれないな」ぼくもそれは否定できないと思って答えた。ただ‥答える前に、ツジウラ ソノが帰ろうとしている家はどこだろう?もし彼女が本当に『娘のソラ』だったとしら、帰るべき家は一つ、『我が家』のはずだ‥‥などと考えてしまっていた。
「ともかく、彼女を捜してみよう!」ぼくは、沸き出て来る不要な雑念を振り払う様に、きっぱりと言った。

ぼくと高木セナは、芝生広場のあちこちに目を配りながらも、取り敢えずは駐車場に向かうことにした。もしツジウラ ソノがここから脱出しようとするなら、林の中の道か、駐車場から北へ真っすぐにに伸びて国道と繋がっている舗装道路のどちらかを使うことになる。林の中の道は、彼女がいなくなった頃、ぼくたちや他のみんながすぐ近くの雑木林に全員いたので、通り過ぎたなら気づくはずだし、もし気づかなかったとしても、ツジウラ ソノはモリオと一緒に行動していた時、道の途中まで行って『ヒトデナシ』の待ち伏せに合い、奇妙な体験をしている。もう一度この道を選ぶ可能性は極めて低いだろう。だとしたら、残るは舗装道路である。
「舗装道路は、真っすぐで見渡せるから、用心しながら簡単に歩いて行けそうだけど、あそこが一番危険なんだ。『ヒトデナシ』の方からも恐らく、丸見えだからね。現に車で向かって来た何人かがすでに、犠牲になっている」ぼくは高木セナの手をしっかりと取って、リードするように歩を進めた。
「そうね、ここはもう誰も入ってこれないし出て行けない『りくのことう(陸の孤島)』なんだもんね」高木セナは手を繋いでももう恥ずかしがることもなく、僕に合わせて懸命について来た。

気が急(せ)くあまり、途中の窪地を迂回するのを忘れていた。気がついた時には、かなり近づいてしまっていた。風太郎先生の無残な亡骸(なきがら)が横たわる例の場所である。ぼくは慌てて高木セナの真横に並び、身を寄せた。その場所と高木セナの目線の間に体を入れて、彼女に見えないようにしたのだ。
さいわい、通り過ぎてしまうまで、高木セナはずっと前を向いていた。

「ん?」
ほっと胸を撫でおろしながら最後に横目で、風太郎先生の遺体にかけて置いたレジャーシートに一瞥(いちべつ)をくれた瞬間だった。
ぼくは、その様子に何か‥‥ 違和感を覚えた。

次回へ続く