悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (170)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その五十五 

「わたし‥‥ヒカリくんと‥‥‥ 結婚するの?」

高木セナの突然のその質問に、ぼくは虚を突かれた様に押し黙ってしまった。
ここで今、『そんなこと』を正直に答えるべきか否か、迷ったのだ。なぜならぼくはここでは小学二年生のはずで、理由は良く分からないが、そのクラスの一員として遠足に来ているからだ。
「‥‥‥いったい、どんな夢を‥‥見たんだい?」
ぼくは質問に答える前に、まず、彼女が見た夢の内容を知っておこうと思った。

「‥‥‥‥‥‥‥‥‥」
高木セナは答えなかった。それどころか、赤い顔をますます赤くして、居たたまれないといった具合にすっかり俯(うつむ)いてしまった。

そんな彼女の様子を前に、無理に聞き出すことはデリカシーに欠けると判断したをぼくは、背負っていたリュックを外した。そしてその中から、スマートフォンを取り出してみた。
「これと‥同じようなものを、君も持っていたはずだよね‥‥」ぼくはそのスマホを、高木セナに指し示した。
弾かれたみたいに顔を上げてしばらくそれを見ていた高木セナは、「あ‥‥うん‥」と返事をして背中の自分のリュックを外して、トイレの中で『グノシエンヌ』を奏でていたスマホを取り出した。「‥でもこれって、勝手にリュックに入ってて‥、わたしのでは‥ないの」
「いや‥」ぼくはゆっくりと首を振った。「それは確かに君のものだ。少し未来の君自身が持っている、少し未来の携帯電話なんだ」
高木セナは目を丸くした。

ぼくは手元のスマホを操作し、今日何度目かの発信をした。
発信した電波がどこかの中継基地局を経て、高木セナの持っているスマホに着信し、やはり今日何度目かの『グノシエンヌ』が流れ出した。
「そいつの、画面をちゃんと見てごらん」ぼくは彼女を促した。
「‥‥‥ヒ‥カリ?」彼女は、それに初めて気がついた様子で、タッチパネルに浮かび上がった発信者の名前を読み上げた。
「そう‥ぼくの名前。ぼくの電話番号にぼくの名前を登録したのは、君自身のはずだ」
高木セナの瞳が、輝き出した。
「君とぼくを結んで、今流れているメロディーで君の居所をぼくに教えてくれたこいつは、やっぱり君と同(おんな)じで、ぼくのリュックに知らないうちに入ってたんだ。なぜそんなことが起こったのか全然説明できないんだけど、きっとぼくたちが近い将来には『特別な絆』で結ばれているっていう‥‥証拠だとぼくは思う」

高木セナの質問に対しての、決してはっきりとした解答ではなかったが、彼女は納得した素振(そぶ)りを見せてくれた。ぼくを見つめる彼女の瞳の中に、奥行きの様なものが生まれていた。
「生きていれば自然に‥‥未来はやって来る」ぼくはそう締め括(くく)った。
そして来たるべき未来に存在している、ぼくたちのかけがえのない日々と‥‥ 突然舞い降りて来た深い悲しみと絶望を‥‥‥ 思った。

次回へ続く

悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (169)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その五十四

ぼくは、駐車場のトイレに隠れていた高木セナとタスクを、芝生広場西側の端の雑木林で待機している葉子先生たちと合流させた。
背中に受けた傷からの出血でかなり消耗している葉子先生ではあったが、「良かった‥。他の子たちもどこかに隠れていて、無事でいてくれると嬉しいんだけど‥‥‥」と、今にも消え入りそうな声で言った。
タスクの痛めた右足はどうやら捻挫(ねんざ)らしく、フタハとミドリが葉子先生の指示を受けて早速、タオルを使って足首を固定する応急手当をした。モリオもこの時は甲斐甲斐(かいがい)しく林の中で手頃な木の棒を拾ってきて、「これを杖に使うといいぜ‥」と言ってタスクに手渡していた。
高木セナは、ここに着いてすぐに知った葉子先生の様子にショックを受け、しばらくの間、先生の傍らに黙ったまま座り込んでいた。そして、その高木セナの後ろにいて、すべてをだだ静かに見守り続けていたツジウラ ソノの姿が、なぜか印象的だった。

とにかく、助けが来るまで、ここで待機しているのが良策だと思わせる状態ではあるが、警察や救急は果たしてやって来るのだろうか‥‥‥‥‥

「もう一度、あちこち行ってみる。もしかしたら他のみんなも、見つけられるかも知れない‥‥」みんなにそう言い置き、頃合いを見計らってぼくは立ち上がった。
雑木林を抜け出し、芝生広場に向かってさっさと歩き出す。すると案の定(あんのじょう)、高木セナがぼくの後をついて来た。

「‥‥‥‥‥‥‥‥‥」ぼくは黙って、高木セナがぼくの横に並ぶのを許した。ついて来るなと言っても、どうせ彼女は聞きはしないだろう‥‥。そうやって二人でしばらく歩いて、雑木林が幾分遠ざかった場所まで来ると、高木セナは待っていた様に、初めて口を開いた。
「‥あのね、実はトイレに隠れていた時‥‥、また夢を見たの‥‥‥」
「ああ‥そうだろうと思ったよ‥」ぼくは少し呆れた口調で答えた。
「‥あのう‥それでね、ヒカリくんに聞きたかったの‥‥」
「ああ‥わかってるさ‥。夢の中でまた、ぼくが登場したんだろ?」
「う、うん!」横を歩く高木セナが、ビックリしたみたいに大きく頷くのが分かった。
「今度のぼくは一体、何を仕出かしたんだい?」ぼくはため息混じりに、おどけて見せた。
「う‥うん‥‥‥‥‥‥」彼女はそう言い出して、なぜか口ごもった。そしてそのまま黙り込んで、ついには立ち止まってしまった。
「どうした?」ぼくも立ち止まり、振り向いて彼女の様子を窺(うかが)った。

高木セナはこの期(ご)に及(およ)んで、明らかにもじもじしていたのだ。
そうして、振り向いたぼくに対して、顔を赤らめながら絞り出した言葉は、こうだった。
「わたし‥‥ ヒカリくんと‥‥‥ 結婚するの?」

次回へ続く