第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その四十三
タキとアラタが、『ヒトデナシ』と思われる男の真正面目がけて全力で駆け出して行ったという様子をモリオの口から聞いた時、ぼくの頭の中には一つの記憶が蘇っていた。
そうだ、あれは遠い日の‥‥いつかの放課後。
生徒たちがランドセルを背負い、三々五々、校庭を横切って帰って行く中、タキとアラタともう一人‥(そのもう一人は誰だったか、顔も名前も思い出せないが‥‥)がふざけ合っていた。ふざけ合いはいつの間にか追っかけっこ状態になり、その『もう一人』がタキとアラタを追いかける『鬼ごっこ』になった。三人のはしゃぐ声が校庭に響く。
やがてタキとアラタは校庭の隅のフェンスに追い詰められ、追いかけていた『鬼』が、もう逃げられまいと言わんばかりに両手を広げて、ゆっくりとふたりに近づいて行った。
この時タキとアラタがとった行動が、モリオが語っていた先の描写とまったく同じだったのだ。
近づいて来る『鬼』の真正面目がけて、タキとアラタがふたり一緒になってに突進していったのだ。『鬼』はハッとして足を止め、向かって来るふたりをしっかり受け止めて捕らえるべく、腰を落として身構えた。
ところがである。待ち構えていた『鬼』の子の体(からだ)100センチ手前でタキとアラタが突然右と左の二手(ふたて)に分かれ、『鬼』の子の両脇をそれぞれが走り抜けて行ったのである。『鬼』にとってそれはまったく予想だにしない変化だったのだろう、結局自分の両脇を走り抜けて行くタキとアラタどちらにも咄嗟(とっさ)に反応はできず、ただ、あれよあれよと見送ることしかできなかったのだ。
つまりタキとアラタは、茫然と立ち尽くすだけの『鬼』を尻目に、まんまと逃げ果(おお)せたわけで、考えるにこれは、ふたりが鬼ごっこなどで時おり仕掛けるらしい、見事に息の合ったトリックプレーであったのだ。
ぼくは、『タキとアラタの命知らずの突撃』が、大方(おおかた)この『いつかの放課後』と同じ展開に違いないと踏んで、彼らのトリックプレーの成功に期待を寄せつつ、モリオの話の続きに耳を傾けた。
「オレたちみんな驚いたよ。タキもアラタも恐ろしさのあまり頭がおかしくなっちまったか、もうヤケクソになって、そいつに体当たりでもするのかと思ったんだ‥‥‥‥」モリオはそこで口を噤(つぐ)み、なぜか訝(いぶか)し気な表情を浮かべた。
「なんだよ、どうした?タキとアラタはホントに体当たりでもしたか?‥」ぼくは少し冗談めかして、モリオに催促してみた。
モリオは訝し気な表情を顔に貼りつけたまま、「‥‥‥ふたりが『ヒトデナシ』にぶつかる‥って思った瞬間‥‥‥」と言って、また黙る。
「瞬間‥どうなった?タキとアラタが右と左にでも分かれたか」
「えっ? あッ! 確かに分かれた!そうだった!でもどうしておまえが知ってんだ?ヒカリ」
「あいつらが時々使うトリックなんだ。見たことがある。‥それでふたりとも、『ヒトデナシ』のわきを無事に通り抜けられたんだろ?」
「‥‥‥‥それが‥‥、ちゃんと見てなかったんだ‥‥‥」
「はあ??見てなかったって、何でだよ?」
「何でって‥‥」がっかりしたぼくの質問に、モリオは釈明しようとしたが、彼に代わって言葉を続けたのは、傍らで聞いていたツジウラ ソノだった。
「それは、私たちの前を‥‥、蝶々(ちょうちょ)が横切ってったから‥よ」
「はあ???」訝し気な表情を浮かべるのは、今度はぼくの番だった。
「タキくんとアラタくんが『ヒトデナシ』のすぐ手前で右と左の二手(ふたて)に分かれてくのを見た次の瞬間、突然モンシロチョウが十匹くらい現れて、モリオくんや私、他の子たちのすぐ目の前をゆっくりゆっくり、フワフワと横切って行ったの。たぶん全員がそれにすっかり気を取られてしまったんだと思う。蝶がどこかへ飛んでってから我に返って前を見直したんだけど、その時にはもう道には誰もいなかった。タキくんもアラタくんも‥、暗い陰みたいな『ヒトデナシ』の姿も‥‥‥全部がいつの間にか消えてなくなってた‥‥‥‥‥」ツジウラ ソノは遠い目をして、ぼくにそう言って聞かせた。
次回へ続く