悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (158)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その四十三

タキとアラタが、『ヒトデナシ』と思われる男の真正面目がけて全力で駆け出して行ったという様子をモリオの口から聞いた時、ぼくの頭の中には一つの記憶が蘇っていた。

そうだ、あれは遠い日の‥‥いつかの放課後。
生徒たちがランドセルを背負い、三々五々、校庭を横切って帰って行く中、タキとアラタともう一人‥(そのもう一人は誰だったか、顔も名前も思い出せないが‥‥)がふざけ合っていた。ふざけ合いはいつの間にか追っかけっこ状態になり、その『もう一人』がタキとアラタを追いかける『鬼ごっこ』になった。三人のはしゃぐ声が校庭に響く。
やがてタキとアラタは校庭の隅のフェンスに追い詰められ、追いかけていた『鬼』が、もう逃げられまいと言わんばかりに両手を広げて、ゆっくりとふたりに近づいて行った。
この時タキとアラタがとった行動が、モリオが語っていた先の描写とまったく同じだったのだ。
近づいて来る『鬼』の真正面目がけて、タキとアラタがふたり一緒になってに突進していったのだ。『鬼』はハッとして足を止め、向かって来るふたりをしっかり受け止めて捕らえるべく、腰を落として身構えた。
ところがである。待ち構えていた『鬼』の子の体(からだ)100センチ手前でタキとアラタが突然右と左の二手(ふたて)に分かれ、『鬼』の子の両脇をそれぞれが走り抜けて行ったのである。『鬼』にとってそれはまったく予想だにしない変化だったのだろう、結局自分の両脇を走り抜けて行くタキとアラタどちらにも咄嗟(とっさ)に反応はできず、ただ、あれよあれよと見送ることしかできなかったのだ。
つまりタキとアラタは、茫然と立ち尽くすだけの『鬼』を尻目に、まんまと逃げ果(おお)せたわけで、考えるにこれは、ふたりが鬼ごっこなどで時おり仕掛けるらしい、見事に息の合ったトリックプレーであったのだ。

ぼくは、『タキとアラタの命知らずの突撃』が、大方(おおかた)この『いつかの放課後』と同じ展開に違いないと踏んで、彼らのトリックプレーの成功に期待を寄せつつ、モリオの話の続きに耳を傾けた。

「オレたちみんな驚いたよ。タキもアラタも恐ろしさのあまり頭がおかしくなっちまったか、もうヤケクソになって、そいつに体当たりでもするのかと思ったんだ‥‥‥‥」モリオはそこで口を噤(つぐ)み、なぜか訝(いぶか)し気な表情を浮かべた。
「なんだよ、どうした?タキとアラタはホントに体当たりでもしたか?‥」ぼくは少し冗談めかして、モリオに催促してみた。
モリオは訝し気な表情を顔に貼りつけたまま、「‥‥‥ふたりが『ヒトデナシ』にぶつかる‥って思った瞬間‥‥‥」と言って、また黙る。
「瞬間‥どうなった?タキとアラタが右と左にでも分かれたか」
「えっ? あッ! 確かに分かれた!そうだった!でもどうしておまえが知ってんだ?ヒカリ」
「あいつらが時々使うトリックなんだ。見たことがある。‥それでふたりとも、『ヒトデナシ』のわきを無事に通り抜けられたんだろ?」
「‥‥‥‥それが‥‥、ちゃんと見てなかったんだ‥‥‥」
「はあ??見てなかったって、何でだよ?」
「何でって‥‥」がっかりしたぼくの質問に、モリオは釈明しようとしたが、彼に代わって言葉を続けたのは、傍らで聞いていたツジウラ ソノだった。
「それは、私たちの前を‥‥、蝶々(ちょうちょ)が横切ってったから‥よ」
「はあ???」訝し気な表情を浮かべるのは、今度はぼくの番だった。

「タキくんとアラタくんが『ヒトデナシ』のすぐ手前で右と左の二手(ふたて)に分かれてくのを見た次の瞬間、突然モンシロチョウが十匹くらい現れて、モリオくんや私、他の子たちのすぐ目の前をゆっくりゆっくり、フワフワと横切って行ったの。たぶん全員がそれにすっかり気を取られてしまったんだと思う。蝶がどこかへ飛んでってから我に返って前を見直したんだけど、その時にはもう道には誰もいなかった。タキくんもアラタくんも‥、暗い陰みたいな『ヒトデナシ』の姿も‥‥‥全部がいつの間にか消えてなくなってた‥‥‥‥‥」ツジウラ ソノは遠い目をして、ぼくにそう言って聞かせた。

次回へ続く

悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (157)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その四十二

「葉子先生と‥フタハやミドリがそんなことになってる時、たぶん俺たちは林の中の道をとっくに逃げていて、後から来てる子たちよりもずっと先の方にいた‥‥‥」そう語り出したのはモリオだった。

モリオとツジウラ ソノは、最初に『ヒトデナシ』が駐車場に現れて教頭先生に襲いかかった時、一番近くにいた。事態を把握して真っ先に逃げ出したのも彼らだった。
「葉子先生が『逃げて!逃げなさい!』て叫んだんで、二人で夢中で逃げたんだ」と、モリオ。ツジウラ ソノも「うん‥」と頷いた。「途中、広場に集まってたやつらにも、逃げろって声をかけながら必死で走った。気がついたら俺とツジウラ、他にタキとかアラタとか‥全部で男女八人だったか、林のすぐ前まで逃げて来ていた」

その時のそこに集まったみんなは明らかにパニック状態だったらしい。誰もがじっとしていることに耐えられなかった。だからアラタの、「このまま林の中の道を戻ろう!ここからできるだけ遠くへ逃げた方がいいに決まってる!」という呼びかけに、一も二もなく同意した。
「どうしていいかわからない時てのは、もっともらしいことを言うヤツと、やたら行動的なヤツについつい、ついて行くもんなんだよな‥」と、モリオは回想した。

林の中の道に入った。先頭は『やたら行動的なヤツ』のタキ、その傍らを『もっともらしいことを言うヤツ』のアラタが歩いた。首をすくめて互いに体を寄せ合った女子が三人、金魚のフンみたいにその後に続き、モリオとツジウラ ソノは背後に遠ざかって行く芝生広場を気に掛けながら、一番後ろを歩いた。
来る時に一度だけしか通ったことのない道ではあったが、一本道である。迷う心配は無かった。それぞれの頭の中は整理のつかない状態であっただろうが、それでもみんな、ただ黙々と歩いた。

二十分ほど歩いて‥先頭のタキが、「来る途中で休憩した菜の花畑が、そろそろ見えてくるはずだよな‥‥」と、ぼそりと言った。そんな時だった。彼らの前に黒い人影が現れたのは。

「えッ?」「おい!」「何?‥‥‥」
15、6メートル前方である。道の真ん中に立ちはだかる『陰の様な男の輪郭』に全員が気づき、思わず足を止めた。
「モリオ! もしかしてアイツ‥‥なのか?」アラタが、一番後ろにいるモリオに声を掛けた。駐車場で教頭先生を襲った犯人を目撃しているモリオに、確認を求めたのだ。
「‥‥まさか?? どうしてこんなところにいるんだよ?」モリオの声は震え、明らかに戸惑っていた。「駐車場からここまで、ものすごい近道でもあるのか?‥‥」それが答えだった。
「私にも‥‥、同じ人に見える」モリオのすぐ横にいたツジウラ ソノが念を押した。よくよく見てみると男の手には、やはり刃物の様なものが握られていた。
その場が凍りついて、男と対峙したそのまま、計り知れない感覚の時間が流れていった‥‥‥‥‥


「オレは‥行くぜ」
フリーズしていた世界をふたたび動かす様に、押し殺した声でタキが言った。「そうだよな?」傍らに立つアラタに同意を求める。
「ああ、もちろんだ。ここで引き返してたまるか‥」アラタが、同じ声のトーンで返答した。
「おい、やめとけ!相手は人殺しだぞ!」堪(たま)らずモリオが言った。女子三人が強く抱き合って、懸命に首を横に振った。
「オレたちだけでも‥行く」「見てろ。大人には負けない」タキとアラタの二人はそう言って、背を屈めて身構えた。
後ろで黙って二人を見ていたツジウラ ソノはその時、『彼らはこの状況を切り抜けるための策(さく)を、ちゃんと用意しているのだ』と直感的に思ったそうだ。

タキがアラタに目配せした。と次の瞬間、二人は揃って、まるで短距離走の始まりみたいなスタートダッシュを切った。
ダッ! ダタタタタタタタタァァ!!!
タキとアラタは、壁となって前方に立ちはだかる男の真正面目がけて、全力で駆け出して行った。

次回へ続く