悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (160)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その四十五

「ツ‥ ツジウラ ちょっと待った!」
驚いたモリオは思わず、前を走るツジウラ ソノを呼び止めていた。

ツジウラ ソノは振り向いて足を止める。声をかけてきた当のモリオはすでに走るのをやめていて、彼女から顔を背(そむ)けたままの状態で、頻(しき)りに後方を気にしていた。
「どうしたの?‥‥モリオくん」
「‥‥‥‥‥それが、おかしいんだ」モリオはそう言って、すでに100メートル以上遠ざかって小さくなってしまった、道の途中に残してきたみんなを指差した。
「おかしいって‥‥何が?」ツジウラ ソノが不審げに歩いて来て、モリオの傍らに並ぶ。
「見てみろって、あれを!」
ツジウラ ソノはモリオの言う通りに『みんな』の方を見た。

「え?」彼女は目を丸くして驚いた。「あれって!もしかしてタキくんとアラタくん??」
「やっぱ、そう見えるよな‥」
身動きが取れず道の途中で待機している十数人の集団の中に、明らかにタキとアラタの二人の姿が見受けられたのだ。

「ふたりとも‥‥無事だったってこと?」
「どうもそうらしい」モリオが呆(あき)れた口調で答えた。「どうする?戻って、何やってたのか聞いてみるか?」
「‥‥そうね」ツジウラ ソノはそう言葉を返したものの、実はこの時、タキとアラタ 二人の様子に違和感を覚えたと言う。
「ねえ、何か‥おかしくない?」
「ああ、おかしいさ!あいつらはいつだって、おかしいのさ!」
「冗談抜きで‥さ。見た感じがやっぱり何かおかしいよ‥」
「そうかあァァ?」
二人して目を凝らして、改めてタキとアラタの様子を窺(うかが)う。タキとアラタは集団の真ん中に立っていて、周りのみんなに、頻(しき)りに何事か語りかけている様だ。

「そう言えば、薄汚れて見えるな‥。もしかしたら『あの男』に追っかけられて逃げ回って、草の中を走り回ったり転んだりして汚れたのかもな‥‥‥」
「うん‥そうかも知れないけど‥‥、私には、どこかぼやけて‥‥くすんだ‥感じがする‥‥‥」

そうこうしていると、集団がいきなり動き始めた。
「あれれ?みんなが歩き出した!」
どうやらタキとアラタが、みんなの先導をしているらしかった。林の中の道をひと塊になって、奥の方へと進んで行く。
「きっと、無事に戻って来たタキとアラタが、道をこのまま先に進んでも大丈夫だって、みんなにそう吹き込んだんだ」
「きっと、そうね。行って、彼らふたりに直接確かめてみましょう」
ツジウラ ソノがそう言って走り出した。そしてモリオも、遠ざかって行く集団に追いつこうと走り出した。

しかし、ツジウラ ソノとモリオは、タキとアラタの導きで遠ざかって行く集団に、結局のところ追いつくことができなかった。
それはまったく不思議なことで、林の中の道は、ほとんど脇道のない一本道である。走って近づいて行けば、前を行く者を見失うなど有り得ないことのはずだった。ところが、気がついたら、彼らは忽然と消えていた。最初にタキとアラタが謎の男とともに消え失せたのは、蝶に気を取られて目を離していた僅かな間の出来事だったが、今度は、目を離した覚えなどまったくなかったと言うのに‥‥‥‥
「空が曇って、林の中が暗くなっているせいだ‥‥」
「道を逸れて、どこか茂みの中へ入り込んで行ったのかも‥‥‥」
モリオも、ツジウラ ソノも、狐につままれた様にしばらくの間、立ち尽くしていた。

結果として、みんなとはぐれてしまったモリオとツジウラ ソノの二人だが‥‥、芝生広場まで戻って、葉子先生たちと行動をともにすることを決断したそうだ。


「後で気がついたことなんだんだけど‥‥」
ツジウラ ソノがそう前置きして、その時の回想を締めくくる様に語り出した。
「林の中の道のあの辺りって確か、芝生広場に来る途中に高木さんが腕を『何か』に切りつけられて、血を流していた場所‥‥ではなかったかしら?」
ツジウラ ソノを知り、彼女の独特の感性に興味を抱いていたぼくは、「へえ‥」とだけ曖昧な相槌(あいづち)を打ち、言葉の続きに耳を傾ける。

「もしかしたらあれが‥‥‥すべての出来事の前触(まえぶ)れだったみたいな‥気がするの‥‥‥‥」

次回へ続く

悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (159)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その四十四

林の中の道の途中、行く手を阻む『ヒトデナシ』に果敢に突進していったタキとアラタ。その行動をただ見届けることしかできなかった残された五人が、突然目の前を通り過ぎて行ったモンシロチョウの群れに目を奪われ、彼らが立つ道の前方で繰り広げられたはずの言わば『決定的瞬間』から図らずも目を離してしまった。
しかしそれは僅か、ほんの二、三秒の間だったらしい‥‥‥‥‥


「あれ?どこ行った? あれれれれ??」モリオが、上擦(うわず)った声を出した。「タキは?アラタはどうなったんだ? あの『男』はどこ行った?‥‥」「‥‥みんな消えちゃった」ツジウラ ソノも呆然とした様子で呟く。互いに硬く抱き合っていた三人の女子達は、全員引きつった表情で、周辺のあちこちに隈(くま)なく目と首を動かしていた。
だが‥どこにも、誰もいない。ついさっきまで誰かがいたと感じられる‥草の葉一本、石ころ一つの微かな痕跡すら発見できなかった。
五人が五人とも揃って目を離してしまった隙に、タキとアラタと『ヒトデナシ』までが、忽然(こつぜん)と消え失せてしまったのだ。

「こ‥これってもしかして‥‥、神隠しってやつか?」モリオが、ぼそりと言った。

「何それ?タキくんもアラタくんも、死んじゃったってこと?」モリオの言葉に反応したのは女子達だった。「先に進んだら、私たちも神隠しになるの?」「いやだ!いやだもう!」一人がべそをかいてその場に座り込んでしまった。他の二人もつられて座り込む。「‥‥‥‥‥‥」ツジウラ ソノだけが、ただ無言で立っていた。
結局そのまま、彼らは林の中の道の途中で、まったく身動きが取れなくなってしまったらしい。


事態が‥さらに複雑になったのは、しばらくしてやはり林の中の道を芝生広場から避難して来た生徒十数人の後発の一団が、彼らと合流してからだった。
「この道の先に行ったら、また『犯人』が待ち伏せしていて、何か恐ろしい目にあうかもしれないんだ‥」と立ち往生(おうじょう)していたモリオたちが説明するのに対して、後から追いついた一団の一人が、「この道を行って、芝生広場からできるだけ遠くへ離れなさい‥って葉子先生が言ったんだ‥‥」と、すっかり青ざめた顔で訴えた。「それに『犯人』はずっと、たぶん今も芝生広場にいるはずだし‥‥」別の一人が付け加える。
モリオは反論する。「いや、さっきは確かにこっちにいたんだって。本当だよ!」
そこにいる全員が黙り込んでしまった。お互いがお互い、嘘の情報を言っているとは思わなかったが、妥協するわけにもいかなかったのだ。

「私、広場に戻って‥‥、葉子先生に報告してくる」沈黙を破って、そう提案したのはツジウラ ソノだった。
「そうだな、それしかない。‥‥俺も行くよ」モリオが賛成し、同行を申し出た。
この膠着(こうちゃく)状態を一刻も早く解消すべく、みんなをそこに残して早速、二人は芝生広場への道を戻り始めた。
「急ごう!」そう言ってツジウラ ソノが走り出し、「やっぱ走るんだよな‥」と、同行を申し出た事を少し後悔したみたいに呟いて、モリオが後に続いた。

百メートルほど走って‥‥、モリオが、同行を申し出た事をかなり後悔し始めた時、なぜか理由も無くほとんど無意識に、走りながら後ろを振り向いたそうだ。そして彼はその時、道の途中に残してきた、遠ざかって小さくなっていくみんなの中に紛れた‥‥、とんでもないものを見つけてしまったのだった。

次回へ続く