悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (142)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その二十七

頭で考えていたほどの時間を要する事もなく‥‥ぼくは目的地に到着していた。

ずっと‥『こんもりした緑の小山』と呼んでいた場所‥‥‥‥。
しかしその頃には厚い雲が空全体を覆(おお)い、辺りもすっかり日陰の領域に飲み込まれていて‥‥、目の前の『緑の小山』は、得体の知れないどす黒い塊(かたまり)に見えた。

数メートルの距離を置いて、しばらく足が竦(すく)んで動けないでいた。
小学二年生の今のぼくの目線に対してまるで立ちはだかる『壁』の様にそれはそびえている。たくさんの樹木が密集した膨(ふく)らみで構成されているのではなく、ツタの葉でびっしりと埋めつくされた垂直に立った面(めん)の連なりで出来ていて、その平らさは明らかに人為的な匂いがした。

「どうやら間違い‥‥なさそうだな‥‥‥」
ぼくはゆっくりと近づいていった。恐る恐る『壁』に手を伸ばし、ツタの葉をそっと搔き分けてみた。
葉と葉の隙間から垣間見えたのは、古びて黒くくすんだ木の板。予想通りだ。ぼくは掻き分けていた辺りの葉を両手で鷲掴(わしづか)みにして、蔓(つる)ごと勢いよくむしり取った。
ブチブチッ!ブチリ!ガサガサガササァァー ー
頑丈(がんじょう)そうな木の板を張った正真正銘の壁が現れた。巨大迷路の仕切りであり、外壁である。
閉鎖されてから長い年月が経過しているはずだが、全く朽ちた様子は見られなかった。
「イメージ‥通りじゃないか‥‥」ぼくはどこから湧いて出たとも知れない、謎の感慨に浸っていた。

迷路の外壁を含めた仕切り壁の高さは2メートルあまり、まだツタに覆われていて確認はできないが、中央に山の頂(いただき)のごとく突き出ている部分は、展望櫓(やぐら)であろう。
この壁伝いに右に行けば、やはりツタの葉に隠れているだろうが、巨大迷路の入口と出口が隣り合った場所にあるはずだ。そして左に歩いて行って角を回り込めば‥‥‥‥‥

「角を回り込めば‥‥迷路の北側‥‥」林の中の道から見えていた、『赤い花』が咲いていたはずの場所である。

ずっと気になっていたのだ。直ぐに確かめようと思った。
だがここまで来てみて、胸を不吉な予感が満たした。‥否、違うな。最初からだ。赤い花を遠目で見かけた時から、ずっと嫌な予感がしていたのだ。嫌な予感がしていたからこそ、確かめなくてはいけないと思い続けていたのだ。
「さっさと確かめてしまおう。時間がないんだ」自らを鼓舞(こぶ)する様にそう口走り、ぼくは左に向かって歩き出した。壁伝いに行き、角を曲がる時、北側の壁全体がすぐに奥まで見渡せるようにと、大き目に膨らんで回り込むみたいにして曲がった。

ぼくは曲がった。そして‥‥‥‥‥足を止めた。

大きな『赤い花』‥‥が咲いていた。

次回へ続く

悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (141)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 番外編 キャラクターブック(2)

今回は、遠足に参加している生徒以外のキャラクターと、作中に綴られている諸々(もろもろ)の名称 事象について解説していきます。

〇登場人物

葉子先生  遠足を引率するクラスの担任である女性教師。絶えず子供達の動向に目を配っていて、誰かがケガをした時などは手際よく処置できる。実直で模範的な先生である。

風太郎先生  遠足を引率するクラスの副担任である男性教師。若く、教師になったばかりで、風貌(ふうぼう)だけではなく時にその言動も、まだまだ大学生の域を出ていないのかも知れない。虫に詳しく昆虫採集を趣味にしていることと、声を掛けられる気安さのせいもあって、男子生徒には絶大な人気がある。

教頭先生  遠足を引率するベテランの男性教師。話好きであり、地域の歴史にも詳しい。管理職ゆえの常識的な判断を絶えず求められていて、何かのアクシデントが起こって遠足を続行するか否かが問われた時など、彼が責任を負って決定を下す立場にある。

水崎先生  自家用車で現地に先乗りして同行する予定だった女性の養護教諭。子供の扱いが上手く、生徒達から人気がある。モリオも彼女のファンの一人であるらしい。
一行が現地に到着した当初から行方知れずで、引率してきた教師たちを戸惑わせる。彼女の車は現地の駐車場に残されていて、後に着メロの音をきっかけとして駐車場近辺の茂みの中から、彼女の携帯電話も発見される。

ソラ  たびたびヒカリの語りの中に登場してくる謎の人物。これまでの情報では少女(もしくは幼女)であり、『葬儀の回想』があったことから、すでに亡くなっているらしい。ヒカリ本人との関係は今のところまだ不明である。因みに、大人になった高木セナがその葬儀に参列している描写があった。

ヒトデナシ  ?

〇作中登場の名称・事象

ハルサキ山  遠足の目的地。かつてのフィールドアスレチック施設の一部を整備し直した『芝生広場』があり、広場を含めた付近一帯をそう呼称しているが、『山』と呼ぶほどの標高はないらしい。クラスに配られたメールやプリントによると、トイレや水道が備えられていて『安心して自然とふれあえるところ』との説明書きがあった様だ。

巨大迷路  すでに閉鎖されたフィールドアスレチック施設の目玉だった人気建造物。まだ未確認ではあるが、施設全体が閉鎖された後も取り壊されずに、廃墟となって残っている可能性がある。ヒカリが林の中から目撃した『赤い花』が咲いていた場所である『こんもりした緑の小山』が、もしかしたらそれなのかも知れない。
モリオの父は子供の頃、営業当時のこの迷路を体験していて、タイムアタックで不名誉な記録を残している。ヒカリも、迷路の全体像やディテールをなぜか具体的にイメージできて、その佇(たたず)まいをまるで『木の砦(とりで)』であると称している。

朧月夜(おぼろづきよ)  作中、途中休憩で立ち寄った菜の花畑で、合唱部の生徒達に歌われた唱歌。モリオが、『菜の花畑のうた』と勘違いしていた。

野ばら  作中、水崎先生の携帯電話の着メロとして奏でられ、それに合わせてツジウラ ソノが歌唱した印象的な歌曲。ゲーテの詩に名立たる作曲家が曲をつけたもので、日本では近藤朔風の『野中のばら』の訳詞で歌われるシューベルトとヴェルナー作曲の二作品が良く知られている。
因みにツジウラ ソノが歌ったのは『シューベルト作曲の 2/4拍子の軽快な印象のヴァージョン』の方である。

擬態  生き物が、自衛や捕食などの様々な目的の為に、体の色や形を他の生き物の姿や様子に似せること。作中では『人の手に見える虫』について生徒から質問を受けた風太郎先生が、疑問符付きではあるが取りあえず『擬態』として説明している。

次回から、『遠足』再開です。