悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (136)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その二十三

「一体‥‥何を言ってるんだ?」
高木セナの途方もない言葉に、ぼくは呆れた。だから、こう続けた。「夢でも見てるのか?」と‥‥。

「うん‥。お弁当食べた後‥夢を見たの」と高木セナは答えた。『やぎさんゆうびん』ではなく、会話が見事に成立した。
ぼくは沈黙してしまった。そして、いつかも同じ様な言葉を聞いた覚えがあると思った。
確か‥小学一年生の秋だったか‥‥。ぼくはその時も高木セナと同じクラスだったのだが、授業中に彼女が突然、教壇に立つ教師に向かってこう言った。「夢を見たよ‥先生」
「どうしたの?高木さん。居眠りして寝ぼけてるの?」教師は呆れ顔で高木セナを見た。
しかし彼女は眠っていたわけではない。後ろから見ていたぼくが保証する。それに後々彼女から聞き出した言葉から推察すると、彼女が見たと言っている『夢』とは、どうも『彼女自身の頭の中に突然浮かんできた映像』の様なものらしい。

「おじいさんが飛んでった。女の子も飛んでった。エプロンのおばさんも飛んでった。みんなどうなっちゃうの?」
「高木さん、やっぱり寝ぼけてるのね。誰も飛んでったりしないわよ。目を覚ましてちょうだい」
教室中が爆笑につつまれた。

学校から帰ってから知った事だが、町の商店街で人身事故があったらしかった。暴走した車が通りすがりの老人と幼女を跳ね飛ばし、女性店員を巻き込みながら店に突っ込んで止まった。三名が死傷する結果となった痛ましい事故だった。
「ヒカリも気をつけるのよ」と母親からその話を聞かされ、ぼくはすぐに『高木セナの戯言(たわごと)』を思い出した。そして何時(いつ)起きたのかと母に尋ねてみて、背筋が寒くなった。事故が発生したのは、教室で高木セナが「夢を見た」と言い出したのとほぼ同時刻。いや正確には、その一時間ほど後だったのである。
これは、単なる偶然の符合(ふごう)に過ぎないのか‥‥、それとも‥‥‥‥‥
「よ‥げん?」
高木セナは未来に起きる事を夢に見て、言い当てたのだろうか?

「お星さまは今までのこと‥、お日さまはこれからのこと‥を夢で見せてくれるの」やはり後々、高木セナはそんなふうに言った。つまり、夜見る夢は過去の出来事を、昼見る夢は未来の出来事を映し出してくれるという意味らしい。

「一体どんな‥‥夢を‥見たんだ?」
ぼくは高木セナのそんな能力を完全に信じているわけではなかったが、聞かないわけにはいかなかった。
夢を思い出しているのか、高木セナはしばらく黙っていたが、ぼくの目の色を窺(うかが)いながら恐る恐る語り出した。
「‥‥みんなを迎えに来た‥‥帰りのバスの中だった。でも‥誰も乗ってないの。運転手さんしかいないの。座席には‥リュックとか水筒とか‥帽子は置いてあるんだけど誰もいない。そのリュックや帽子をよく見てみると、赤いもので汚れていて‥‥さっきから床が滑るのでそっちもよくよく見てみると、一面が真っ赤に染まっているの」夢の映像をなぞる様にそこまで言って高木セナは言葉を切り、ゴクリと大きな音を立てて唾を飲み込んだ。
「私‥‥運転手さん大変ですって声を出した。みんながいません、床が血でいっぱいですって‥。でも運転手さんは何も言わないし何もしてくれない。私、運転手さんに止めてくださいって詰め寄った。その時ちゃんと運転手さんの顔を‥見たら‥‥‥‥‥‥」彼女が言いよどむ。
「顔を見たら?」ぼくは催促する様に相づちを入れた。

「運転手さんの顔が‥‥‥、すっかり大人になった‥ヒカリくんの顔‥をしてた」

次回へ続く

悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (135)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その二十二

背後に‥‥‥人の立つ気配がした。
舗装道路から茂みを分け入って来たその道筋に、ぼくは今背を向けている。気配の人物はそこを辿って、明らかにぼくの後をつけて来たのだ。

「何か‥‥、ぼくに用が‥あるのかい?」ぼくは背を向けたままで質問した。
しかし、いくら待っても、気配の人物からの返答はなかった。
「いつも君の代わりに喋ってくれる草口ミワは‥一緒に来なかったのか?」そう言いながら、ぼくは目を伏せたままでゆっくりと振り向いた。
そして伏せた目を、目の前にいる人物に向けて上げてみる。やはりそこには予想通り、『高木セナ』が身を竦(すく)める様にして立っていた。

「ずっとぼくを見てただろ? いったい誰だろうと考えたけど、他の事をほったらかしにして長い間ずっと同じものを集中して見ていられるのは、クラスの中では君ぐらいだと思い当たった」
「‥‥‥‥見てたんだけど‥‥‥ 感じてたの‥‥‥‥」高木セナは消え入りそうな声だったが、そこで初めて口を利いた。
「感じてた?」ぼくは首を捻(ひね)った。「何を感じたんだ?このぼくに‥」
「‥‥ヒカリ‥くん‥は、‥‥隠してる‥し‥‥‥、‥初めるつもり‥‥なん‥だって‥‥」
「はあ‥‥‥‥」ぼくは半分呆れて、彼女をちょっと睨(にら)みつけたのかも知れない。
高木セナは竦んだ様に見えていた首を、さらに竦めた。


高木セナ‥‥。彼女との会話は、大体がいつもまどろっこしくて、成立させるのに一(ひと)苦労する。
ぼくが初めて彼女と話した時、ぼくは童謡の『やぎさんゆうびん』の歌詞を思い浮かべたのを憶えている。

白やぎさんから お手紙ついた
黒やぎさんたら 読まずに食べた
しかたがないので お手紙かあいた
さっきの手紙の ご用事なあに

黒やぎさんから お手紙ついた
白やぎさんたら 読まずに食べた
しかたがないので お手紙かあいた
さっきの手紙の ご用事なあに

つまりこの歌詞が示す通り、情報の伝達を試みるものの、いつまでたっても主題に入れず、無意味なやり取りが際限なく続いて行く‥感じがしたのだ。

振り返ってみると、本来の彼女は決して無口ではなかった。
そういう印象が定着してしまったのは、世話を焼きたがる草口ミワらの要らぬお節介のせいで、いつの間にか本人もそれに合わせるみたいに、第三者への伝達を委(ゆだ)ねる様になってしまったのだ。

しかし今にして思えば、ぼくは本来の高木セナとの『やぎさんゆうびん』的な会話が、決して嫌いではなかったのかも知れない。むしろその時の彼女の印象は心のどこかに深く刻まれ、十五年後の‥『人生にとって意味のある再会』に繋がって行く‥‥‥‥‥

そんな事、今はどうでもいい。ぼくは急いでいる。少しでも時間を無駄にしたくないのだ。
「ぼくに用があってここまでつけて来たのなら、その用件をはっきり言ってくれ」ぼくは高木セナをこれ以上萎縮(いしゅく)させない様に、できる限り優しさを装(よそお)って言った。
高木セナは目線をあちらこちらに動かして躊躇(ちゅうちょ)していたが、しばらくしてこう言った。

「‥人がいっぱい‥‥‥死ぬの?」

次回へ続く