悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (132)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その十九

見つかった水崎先生の携帯電話は、道路で待機していた教頭先生に渡され、ぼくたち全員は駐車場に戻った。
駐車場には葉子先生の他に風太郎先生も駆けつけていた。虫取り網の返却をずっと待っていたタスクや、彼以外にも十人ほどの興味本位な生徒が集まってきていた。

「とにかく‥、水崎先生が姿を見せない理由の手掛かりが何か残されてないか、調べてみましょう」
おそらく普段から機械操作の苦手な教頭先生は、水崎先生の携帯電話を葉子先生に手渡した。先生たちはそそくさと、集まっていた生徒の目から隠れる様に駐車場にたった一台だけ停まっている水崎先生の車の影まで行って、早速携帯電話に残された履歴などの情報を確認し始めた。
「なあタスク。どんな虫が捕れたのか、先生のコレクションと比べっこしないか?みんなも、どっちのコレクションがすごいか興味あるだろ?」風太郎先生がわざとらしい陽気な声を出して、虫取り網を返してもらったタスクと他の生徒たちを誘い、皆を引き連れて駐車場から出て行った。彼は葉子先生から事情を聴いていて、今は生徒を遠ざけた方が良いと判断して気を利かせたのだ。

ぼくとモリオとツジウラ ソノは、駐車場に残っていた。
駐車場と芝生の境界に並べられている縁石(えんせき)の上に三人で腰を下ろし、事の成り行きを見守っていた。ぼくたちは最早(もはや)この一件の関係者であり、当然その顛末(てんまつ)を知る権利があると思った。
「ひと仕事終えた後のコイツも、また格別なんだよな‥」そう言いながらモリオが、リュックから本日三種類目のチョコレートを取り出し、嬉しそうに頬張(ほおば)り始めた。
その隣に座るぼく、そのまた隣にいるツジウラ ソノは、黙って前方を見ていた。車の影にいる先生たちの動向を静かに窺っていた。

予期せぬ展開になった‥‥、ぼくはそう思っていた。
草の中で見つけた人の指は、二本ともそのまま残してきた。ぼくが観察した限りではそれらは間違いなく本物で、しかも、節(ふし)くれだってないスマートな滑らかさは成人女性の‥おそらくは十中八九水崎先生の指であろう。もし持ち帰ったりしてみんなに見せたりすれば忽(たちま)ち大騒ぎになり、当然警察沙汰(ざた)になるだろうし、そうなればその時点でこの遠足は中止、ぼくらはすごすごと帰ることになる。
「そんなことは断じて‥‥させない‥‥‥」つい口からそんな言葉が漏れた。自分でもびっくりした。
「はあ?なんだって?」モリオがぼくの顔を覗き込んできた。
「あ‥いや、何でもない‥」ぼくはごまかしたが、自分が『この遠足』を思いのほか楽しんでいる事にその時はじめて気がついた。

とりあえず落ち着いて、何が起きたのか?或いは何が起きているのか?、考えてみることにした。
水崎先生は、ぼくたちより先に車でこの駐車場に到着した。そしてなぜか徒歩で駐車場を出て道路を少し戻り、さらに道路を逸れて左脇の茂みに深く入り込み、そこで携帯電話を落とした。自分自身の‥二本の指といっしょに‥‥‥‥。
「ん?」
急に、『高木セナの腕の傷の話』が脳裏に浮かんだ。彼女は、林の中の道の草むらに潜んでいた何者かに刃物の様なもので傷つけられた可能性がある、と解釈していたところだった。
もしかしたら水崎先生も、刃物の様なものを持った何者かに遭遇し、そいつから逃げようとしてあの茂みに入り込んだのではあるまいか。そして、助けを呼ぼうと携帯電話を取り出し掛けようとした時、追って来たそいつに刃物で指を切り落とされて、その場に携帯電話を落とした‥‥‥‥‥‥‥
「‥‥で、そのあと‥‥、水崎先生はどうなった?」ぼくの自問自答は続いた。
隣に座っていたツジウラ ソノが不思議そうな顔で、そんなぼくを見ていた。

次回へ続く

悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (131)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その十八

着信音が途切れてまた再び鳴り出す、そんな仕切り直しが三回繰り返されていた。

ツジウラ ソノの言葉通り、ぼくたちは着信音が鳴っている時はその音に意識を集中させて、音の聞こえてくる方向にゆっくりと慎重に、出来得る限り雑音を立てない様に茂みの中を進んだ。音が途切れている時は再開するまでの時間を、自分の周囲の草を踏みつけて折ったり、その辺で拾った手ごろな棒を振ってなぎ倒したりしながら、前進するためのスペースを作っておくのに使った。
そうして仕切り直しが五回目を数えた時、ぼくたちは舗装道路から十メートル以上茂みに入り込んだ地点にいた。約束通りに虫捕り網の竿(さお)を高く掲げて、先生たちに今いる場所を示している。

「近い‥‥よな‥」モリオが言った。
「ああ‥‥かなり近い‥」ぼくは答える。明らかにぼくたちは、『水崎先生の携帯電話』のすぐ近くにまで来ていた。
次の着信音が鳴り出したら、かなりの確率で、場所を特定する事ができるだろうと思えた。
「次で‥見つける」
「ああ‥見つけるさ」
そんなモリオとぼくのやり取りを聞いて、「ねえ‥」とツジウラ ソノが提案してきた。
「ここだと思えるところにすごく近づいたら、声は出さずに‥黙って指を差しましょ。三人それぞれが別々に、指を差して知らせるの」
「‥なるほど」モリオが、そしてぼくも、彼女の提案の意図を察した。「もし指差してるところが三人とも同じだったら‥‥・」
「探し物はそこにある」三人が声を揃えていた。次の着信音が聞こえてくるまでの、僅(わず)かな時間でのやり取りだった。

そして、これを最後にしてみせるという決意の『仕切り直し六回目後の音』が、野ばらのメロディーが流れ出した。

集中していた。
モリオも、ツジウラ ソノも、もちろんぼくも‥‥‥‥‥
みんな、スローモーションの様に動き出す。それぞれの間合いが、狭(せば)まっていくのが分かった。

近い‥近いぞ‥‥近い‥‥‥。ぼくは立ち止まり、目をつぶっていた。そして暗闇の中で耳だけを頼りにするみたいに、ゆっくりと右手を上げてその人差し指を、音のする方に向けた。
他の二人が動きを止めた気配を感じた瞬間、指差した手をそのままにそっと目を開いていった。

自分の手と‥‥、ツジウラ ソノの手と‥、モリオの手が見えた。みんな同じ場所を指差していた。
目の前の、実ができる前のヘビイチゴがびっしりと地面に密集している草むらだ。
三人で顔を見合わせ頷いた。探し物はそこにあるのだ!

ガサガサガササッッ
三人同時に屈み込み、ヘビイチゴの葉を搔き分けた。着信音は途切れていたが、もう関係なかった。
「あ!」モリオが声を上げた。そして葉の中からそれをゆっくりと摘まみ上げた。「あった‥ぞ‥‥」
薄いピンク色の、中折れ型の携帯電話だった。折れた状態ではなく、開いていた。
緊張感がとけたモリオは、その場に座り込んだ。「よかった‥」そう呻(うめ)いてツジウラ ソノも座り込んだ。
ぼくは‥‥、葉の中に手を突っ込んだままの姿勢で、固まっていた。今手に触れているものの正体を、知ろうとしていた。
それはふたつあった。最初は二匹の芋虫(いもむし)かと思った。しかし触ってみると硬く、生きてはいなかった。葉と葉の隙間から垣間見えた3センチ前後の長さのそれらは青白い色をしていて、それぞれ片側の先には‥‥、良く手入れされたきれいな爪(つめ)がついていた‥‥‥‥‥‥

次回へ続く