何の前振りもなくお見せしたのは、『弘法大師が掛けようとした橋の杭(橋脚)であった』と言う伝説の残る奇岩群です。
打ち寄せる波が、一列に立ち並ぶ岩々を洗い、砕け散ります。十数メートル離れた私のいる場所にも砕けた波の潮煙(しおけむり)が風に運ばれて僅かに飛翔し、顔に降りかかっていました。
目を細め身を固くし、繰り返し打ち寄せて砕ける波と、それを受けても微動だにしない岩々をただただ眺めている私でした。
続いては、雲ひとつない秋の空‥‥‥です。
その遥か上空にポツンと浮かぶのは、猛禽(もうきん)の『鳥』であります。
見上げている間、一切羽ばたくことなく、両翼の角度をさり気なく変化させるだけでゆっくりと旋回し空にあり続けている‥‥‥。地べたに足をつけ、せかせかと歩き回るしか能のない自分にとってその姿は、『孤高の存在』に映りました。
空にあり続けている…
その言葉がしっくりくる眺めです。
せかせかと地べたに足をつけ歩き回るしか能がない自分…私も学生の頃同じような言葉で作文を書いた記憶がよみがえりました。
自然から見たら人間なんてちっぽけな存在なんだろうなぁって思いますね。
素晴らしい景色を見せて頂きました。
いつかその地に立って自分の目で見たいなぁって思いました。
ありがとうございました。
コメントありがとうございます。
例えばこの鳥に私が見たのは、自然と共にあって、その中で生き抜くことで余分なものがすべて削ぎ落とされていった、洗練された眩しい姿だったのかも知れません。
人間はやっぱりややこしいし面倒くさいです。それに、時々どこへ向かっているのか分からなくなります。