悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (123)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その十

「ねえセナちゃん、傷の方は大丈夫?」
聞こえてきたその問いかけに、ぼくもモリオも見るとは無しにそちらを窺(うかが)ってしまっていた。どうやらぼくたちの隣にいる女子のグループの中に、来る途中で腕に傷を負って血を流していた高木セナがいたみたいだ。

高木セナはコクリと頷(うなず)いて、『平気』の意思表示をした。
広場に到着したら、養護教諭である水崎先生に診てもらうはずだったが、彼女が姿を見せないでいるため、友達が心配していたのだ。傷は大したことなかったのだろう、担任の葉子先生の応急処置で十分だったようだ。
「でもね、セナちゃんが言ってるこの傷ができた理由が変なのよ」と‥いつも高木セナと一緒にいて、大人しくてあまり喋りたがらない彼女の世話を焼いている草口ミワが口を開いた。
「背の高い草がいっぱい茂ってた場所の横を歩いてたら、大きなバッタがいたんですって。そしたらそのバッタがいきなり羽を広げて飛び出してきて、セナちゃんの腕をスーッとかすめていったかと思ったら、たったそれだけで皮膚が切れて血が流れ出ていたそうよ‥・」
「何それ!だったらバッタに腕を切られたってこと?」聞いていた女子の一人が驚いて言った。
「それがね!それがね!セナちゃんにはその時飛び出したバッタが一瞬、人の手に見えて!広げた羽が一瞬、手に握られた鋭い刃物に見えたんですって!」
「何それ!気味悪い!」「セナちゃん!本当?」「ホントなの?」みんなが興奮して口々に叫んだ。
ぼくもモリオも、聞こえて来た会話の思わぬ展開に、思わずそちらに目を向けてしまっていた。
みんなの視線が高木セナに集まっていた。
高木セナは怯えた様に少し震えながら、小さく、ゆっくりと頷いた。

その時である。女子のグループとはぼくたちを挟んで反対側に陣取っている男子のグループから喚声が上がった。ぼくとモリオは首を忙しく動かし、今度はそちらに目を向けた。
「よお、みんな。ちゃんとお弁当は済ませたか?」そう言いながら登場したのは副担任の風太郎先生だった。
「先生!」「風太郎先生」「先生は食べたの?」二言三言(ふたことみこと)軽い言葉が飛び交って、場が大いに盛り上がった。やはり風太郎先生は、男子には根強い人気があった。
「ところでみんな‥‥、どっかで水崎先生見かけてないよな?」
男子みんなはそろって首を振った。やはりそうなのかとぼくは思った。風太郎先生はさり気なく生徒たちの様子を覗(のぞ)きに来た体(てい)で、本当は水崎先生を捜している。彼女はまだ見つかっていないのだ。
風太郎先生はぼくとモリオにも声をかけ、通り過ぎて、あまり普段から支持を得られていない女子グループの前まで行って、彼女達にも話しかけようとした。ところが、先に話しかけてきたのは女子達だった。
「風太郎先生、虫に詳しいよね‥」「人の手に見えるバッタって‥いる?」

風太郎先生は面食らった表情で「はあ??」と言った。

次回へ続く

悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (122)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その九

「お弁当にしないか?ヒカリ‥」と唐突にモリオが言った。
グウゥ‥ゥゥ さらに唐突に、モリオのお腹が鳴った。

「とにかくお弁当だ。確かめに行くか行かないか決めるのはその後だ‥それがいい」
モリオは今まで眺めていた風景に背を向け、さっさと歩き出した。
「おっ お弁当が先なのか?」ぼくは、駐車場を出て行こうとするモリオを目で追いかける。
すぐにでも確かめておきたい『赤い花』の存在の有無ではあったが、そのこだわりは飽くまでもぼくだけのものである事にその時気がついた。モリオを付き合わせる意味はないのかも知れないし、モリオにとってはいい迷惑かも知れない。当たり前の事だ。
「それも‥・そうだな‥。探検するにしても、腹ごしらえが先だな」逸(はや)る気持ちを抑え、ぼくもモリオの後に続く事にした。後ろ髪を引かれながら『こんもりした緑の小山』から目を離す。そして振り向こうとしたその時だった。
「‥ん?」
ぼくは動きを止めた。そのままの姿勢で耳を澄ませていた。
何かが聞こえたのだ。
「‥‥‥‥‥‥‥」
確かに聞こえている。風に乗ってどこからか‥・今にも消え入りそうな幽かな音色。音楽のメロディーか?‥‥‥‥‥
「どったの?」先に行っていたモリオが、フリーズしているぼくに気がついて声をかけてきた。
「音楽が‥‥聞こえるん‥だ‥」そうモリオに返した時、すでにそれは聞こえなくなっていた。

「鳥の鳴き声だったんじゃあないの?」
「いや、確かに音楽だった。なんか聞いたことのあるような‥そんな感じの‥‥‥」
広場の芝生を踏みしめながらぼくとモリオは、お弁当のために腰を落ち着ける場所を探していた。
先生から、お弁当にする時間は各自の判断にまかされていたので、あちらこちらでもう始まっていた。やはり涼し気な木陰が良いだろうと広場の西側の縁(ふち)辺りにある林の方まで歩いて行くと、何組かのグループがすでに絶好の場所に陣取っていた。
ぼくたちは二人だけなのをいい事に、女子のグループと男子のグループに挟まれた僅かな空間にさり気なく滑り込み、最初からそこにいたかの様に座り込んだ。
「さてさて‥・」
モリオは早速リュックから三色おにぎりを取り出し、残っている四種類のチョコレートの中から今どれを食べるべきか吟味し始めた。
「チョコをおかずにおにぎりを食べるのか?」ぼくはサンドイッチを用意しながら、からかい半分でモリオに質問した。
「そうさ」モリオは即答する。しかしそれはやはり彼の冗談で、チョコはちゃんと、おにぎりを平らげた後のデザートとして食された。

そんな中、ぼくたちの右隣りに陣を張る女子のグループ、おおかたがお弁当を終えてくつろいでいる彼女たちから聞こえて来た会話があった。
「えっ! 水崎先生まだ見つからないの?」
「うん そうみたい」
「先生みんな、あたふたしてるよ‥‥‥・」

次回へ続く