悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (116)

第四夜〇遠足 ヒトデナシのいる風景 その三

休憩が終わり、ぼくたちはまた歩き出した。
やや上(のぼ)り傾斜のある舗装されていない道ではあるが、十分な幅があり視界は開けていて歩きやすかった。
ぼくは列の後方あたりを、やはりモリオと並んで歩いた。

「さっきタキのやつが、何であんな古い歌を突然歌い出したのかがわかったよ‥・」モリオが下を向いたまま、ぼそりと言った。
「古い歌て‥、朧(おぼろ)月夜のことかい?」
「ああ、そのオボロヅキよ。歌詞が古っぽくてわかりづらいだろ。聞いたことあるけど習ってはいないよな」モリオが横目でぼくを見て、同意を催促した。
ぼくは、(なるほど‥‥文部省唱歌と言えど、小学二年生ではまだ習ってもいない理解しにくい一曲てわけか。待てよ‥‥、『文部省唱歌』て今はまさか『文部科学省唱歌』なんて言わないよな‥)などと考えながら、モリオに曖昧に頷(うなず)いてみせた。
「タキはこの春から合唱部に入ったんだ。そんでもって、最初に練習してるのが歌っていたオボロヅキらしい」
「おぼろ月夜だよ」ぼくはモリオにツッコミを入れながら、「そうか」と思い出した。
我が小学校には特別に合唱部があって、二年生から入部できる。高学年になるとコンクールなどに出て、ちゃんとした実績を残している。確かに春になると必ず、音楽教室から『朧月夜』が聞こえてきたものだ。『花』や『荒城の月』も聞こえてきていた。
「そんでもって、フタハとミドリも合唱部に入ってたんだってさ。そんでもってフタハとミドリは、転入してきてすぐのツジウラ ソノを合唱部へ誘ったらしい。だからさっき一緒になって歌ってた女子三人は三人とも合唱部だったってわけだ」
「そう‥だったのか」ぼくは納得した。「上手だったな‥‥」特にツジウラ ソノが、と心の中で付け加えた。

そのうわさの女子三人組は、ぼくたちよりずっと前を歩いていた。
列の先頭は葉子先生と、彼女に好んでつき従って歩く十人ほどの集団。三人はその少し後ろをつかず離れずと言った状態で歩いていた。さらにその後ろは(ぼくやモリオを含めたおもに男子なのだが‥)、割と勝手気ままな感じでそこここに散らばっていて、意味も無くだらりと列を長くしていた。そんな子たちの尻を叩くのが最後尾を歩く教頭先生で、それと同時に愚かしい逸脱者の出現にも目を光らせていた。
そんな長い列の中、極めて特異に映る存在があった。軽いフットワークであちらこちらと休みなく動きまわって、まったくポジションが定まらない様子の風太郎先生だ。コンパクトに折りたたんだ捕虫網を携えて、絶えず辺りの木陰や茂(しげ)みを窺(うかが)っている。珍しい虫を発見しようものならパッと網を展開し、こなれた無駄のない動作でササッとすくい取る。「何捕ったの?」と駆け寄って来た男子たちには、まだ網の中でもそもそしている虫の解説を、どんな図鑑よりも分かりやすく話して聞かせる。虫好きで、今日も虫取り網をしっかり持参してきたタスクなんかにとっては、風太郎先生は最も身近なヒーローなのだ。
もしかしたら遠足を一番楽しんでいるのはこの人ではないかと思えてくる彼の振る舞いは、周りの男子たちをも巻き込んで、結果としてその場その場を盛り上げていた。
たた‥、ぼくとモリオの後ろの最後尾から全てを見ているであろう教頭先生は、いい顔をしていないはずだ。振り向いてわざわざ確認しなくても、それは断言できる。

「だって‥‥、大人ってそう言うものだから‥‥‥‥‥」
退屈なあくびをかみ殺しながら、ぼくは独り言を言った。
並んで歩いているモリオは、今度は何も言葉を返してこなかった。どうやら聞こえていなかったらしい。
「一体ぼくらは‥‥‥どこへ向かってるんだ?」急にそんな疑問が湧いてきて、また口に出してみた。

「はあ?」モリオが呆(あき)れてぼくを見た。

次回へ続く

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