悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (107)

第三夜〇流星群の夜 その二十一

僕は少しだけ首を傾(かし)げて、右肩にもたれかかっている彼女の表情を覗(うかが)ってみた。彼女は静かに‥・眠る様に目を閉じていた。今二人こんな状況にあって、彼女が僕の傍らにいることで幾らかでも安らぎを感じてくれていたのなら、それは僕にとっても心の平安であり、掛け替えのない時間であった‥‥‥‥‥

謎の病によって硬くなって動かなくなっていく人間の大半は、おそらく言い知れぬ不安の中にいる。彼らの表情がそれを物語っている気がした。
僕はこれまで、何人かの発病者を間近で目にしてきたが、彼らは一様に目を硬く閉じていた。そしてよくよく観察してみると、顔には皆どこか困惑した様な表情が浮かんでいて、まるで見る事を拒絶したみたいに目が閉じられていたのだ。自分が実際、謎の病にかかってみて分かったが、例えば時計の針が突然見る見る進みだしたり、日常生活の場面がまるでコマ飛びでもしたみたいに欠如していく感覚に囚(とら)われたりと、つまり自分と自分以外の時間の流れ方が徐々に大きくなっていく事で生じる違和感に戸惑い、ついには耐えられなくなって目を瞑(つむ)ってしまったのだろう。容赦なく目に飛び込んでる一切(いっさい)の視覚情報を拒絶していたのだ。

僕がにわかに思いついたのは、「このまま‥‥目を開けたままの状態で石の様に硬くなって動けなくなっていったなら‥‥・、一体全体、どんな景色が見えるのだろうか?‥‥‥‥」と言う好奇心だった。
これからどんどん症状が進行して動けなくなっていくと言うのは、観察している他者からの客観的な表現で、本当は、自分の時間の流れと自分以外の時間の流れとの間の差がただ拡がり続けていって、最終的には自分の時間が完全に静止してしまう事を意味しているはずだ。
だったら、自分の時間が完全に止まってしまうまでは視覚はちゃんと機能していて、それまでの間の目に映ったものを脳が認識できるのではないか、できるのなら試してみたいと考えた。どうせなら時間が止まる最後の瞬間まで、この世界をしっかりと見ていようと思ったのだ。それは見る価値のある、想像を超えた体験に違いない‥‥‥‥‥。

僕はこの試みを実行する事にした。
まず、誰かに発見されて放射性廃棄物として回収されてしまうのは避けたかった。スタジアムに収容されて厚いシートで覆われでもしたら、この試みはまったく意味を持たなくなるからだ。僕はまだ動けるうちに(自分と自分以外との時間の流れの差がまだ小さいうちに)、移動しようと考えた。彼女を静かに抱きかかえ、近くにあった垣根の様な植え込みの陰、やや人目につきにくい場所にゆっくりと移動した。
次に、座る方向、目を向ける方角も変えた。それまで観ていた南の空ではなく、北の空にした。天球ではほとんど位置が変化しない北極星に目線を据えた方が、全ての星が目まぐるしく移動していく南の空よりも判りやすく認識できると考えた。もちろん北極星周辺部の星々も視野に入る。北極星を中心としてすぐ傍を回転し続けている北斗七星とカシオペア座。それと、カシオペア座のすぐ外側にあるペルセウス座も、ぎりぎり視野をかすめるであろう。ペルセウスが左手に持つメデューサの首、その目の部分に当たる変光星アルゴルもだ。

彼女の父親の話に登場したメデューサの首のあるペルセウス座。
僕にはそれが、どこか暗示的な存在に思えてならなかった。

次回へ続く