悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (100)

第三夜〇流星群の夜 その十四

「軌道エレベーター計画」。
欧米では「ジェイコブズ・ラダー(ヤコブの梯子)」と呼ばれた。旧約聖書に記された、天使が上り下りする天と地を結ぶ梯子である。
軌道エレベーターが完成し計画通り運用されれば、人類にとってそれは一つの救済。神の国へのアプローチでもあるのかも知れない。人類が今まで培(つちか)ってきた科学技術が、はたして神に祝福されるものであるかどうかが試されるのだ‥‥‥。

計画推進の準備拠点として、既に存在する「国際宇宙ステーション」が使用される事が発表された。
宇宙空間での様々な実験や研究に利用されてきた施設であり、アメリカとロシアを軸としてこれまでに複数の国が運用に関わって来た。日本も決して例外ではない。その「国際宇宙ステーション」が大規模な増設と改修を行う事から、「軌道エレベーター計画」はスタートする。自国の宇宙ステーションを建設中だった中国も、「国際宇宙ステーション」への全面協力を約束した。
ただ、「国際宇宙ステーション」は地上から約400㎞上空の熱圏を飛行している。カーマン・ラインと呼ばれる、大気圏と宇宙空間を分ける線引きのすぐ外側である。目指す「軌道エレベーター」の宇宙空間側の構造物を設置する静止軌道は、赤道上の高度35,786㎞の地点(この地点の物体の軌道周期はほぼ24時間で地球の自転周期と同じになり、赤道上の地上あるいは海上からは上空に静止している様に見える)、熱圏のさらに外側の外気圏であった。「計画」の概要は次の通りだ。宇宙側の構造物設置は、低緯度(赤道に近い)で静止軌道投入に適したギアナ宇宙センター(フランス国立宇宙センターロケット発射基地)からロケットを打ち上げる。地上側の発着点となる構造物も、低緯度でできるだけ条件の良い陸地上に建設する(最初の一基目は、海上設置での気象によるリスクを避けたかたちだ)。宇宙と地上を結ぶケーブルは、予(あらかじ)め「国際宇宙ステーション」に運び込んでいた資材を、宇宙輸送機によって静止軌道上まで運搬、徐々に組み立てていく‥‥‥‥。

本当にこんな計画が実現可能なのか?「謎の病」によって世界経済が多大なダメージを受け、各国が財政破綻の危機に瀕している中、計画に掛かるはずの膨大な費用はどうやって捻出するつもりなのか?
計画が発表された報道を見て、僕は正直そんな疑問を持った。
ところが、計画は予想だにしない速さで進行していった。半年後にはもう、幾つもの宇宙ロケットが矢継ぎ早に、「国際宇宙ステーション」へ向けて発射されていた。
日本でも、大型無人輸送ロケットの製造が急ピッチで行なわれていた。
気づかされ、後に知ったのは、計画の推進力は民間が握っていたと言う事と、世界の大企業、資産家と呼ばれる人々がこぞって莫大な無償援助を約束していた事実である。

一週間に一機は必ず、宇宙に向けてロケットが打ち上げられた。「国際宇宙ステーション」は地球から肉眼ではっきり確認できるほど、大きくなっていった。
‥僕は‥‥‥、どこか変だと思った。
そんな矢先、ネット上で奇妙な書き込みを見つけるようになった。それらは即座に削除されていったが、覚えている言葉がある。
「ノアの箱舟」‥‥‥‥、やはり旧約聖書に登場する名称である。

次回へ続く

悪夢十夜~獏印百味魘夢丸~ (99)

第三夜〇流星群の夜 その十三

まさに「一筋の光明(こうみょう)」が必要だったのかも知れない‥‥‥‥‥‥

このまま手をこまねいていては人類絶滅という最悪の未来も予想される、まったく終息が見いだせない事態。その真っ暗闇の中、おそらく世界に微かな希望の光だけでも灯したかったのだ。
始まりはアメリカ合衆国のNASAなど宇宙開発を研究する機関、及び幾つかの民間企業からの共同提唱だったと聞いている。ヨーロッパ連合の主だった国にロシアが加わり、結果的に中国まで巻き込んでの壮大な「軌道エレベーター計画」が発表された。

「軌道エレベーター」とは、ロケットを使わずに宇宙空間と地上とを行き来できる装置である。
SFの世界ではない。宇宙への極めて現実的な進出手段となり得る輸送機関として、近年、すでに様々な研究や開発がなされてきていた。数万キロメートル上空の静止軌道上の衛星と、赤道付近の海上に浮かべた建造物をケーブルで結び、そのケーブルに沿って運搬に適した昇降機を上下させる事で、使い捨てのロケットを使うのとは比較にならない程の低コストで、人間や物資を宇宙空間まで輸送できる。

宇宙への進出は、どんな状況下でも、永遠に人類の夢であり続けている‥‥、そう考えたわけだ。
だが、この計画が足早に推進されるに至った一番大きな理由は、世界中に溢れかえっていて今なお増え続けている「高レベルの放射性廃棄物」、つまり謎の病で石の様に硬くなった犠牲者の「遺体」、の処理問題を一気に解決できると期待されたからであろう。
計画が発表された時点での「遺体」の数は、世界で既に7億人を超えていただろう。それぞれの国でそれぞれの処理がなされていたが、それももう限界にきていた。日本においては、行われなくなったスポーツの球技場や競技場を中心に、仮置き場として「遺体」は集められてきたが、どこも満杯の状態で、新たな場所の確保をしなければならなかった。構造上、地殻変動のほとんど起こらない国の地域では、迷わず密閉して地中深く埋める方法を採用したが、「遺体」の数が想定をはるかに超える勢いで増加していったため、かかる費用で財政が破綻した。

「軌道エレベーター」が機能し、さらに増設されていけば、世界中の「遺体」は効率良く宇宙へと運び出され、宇宙空間へ放出されていくだろう。

彼女の父と母は謎の病に倒れ、自衛隊の特別処理班によって回収されていった。彼女はそれ以来、両親の姿を見ていない。
「お父さんとお母さんは‥‥‥星になるのよ‥‥‥‥‥」星空を見上げて、彼女はそう呟いた。

次回へ続く